変容するInstagram画像
言葉の限界を超えて、バイブスが情緒に訴える
- 文: Mary Retta
- アートワーク: Skye Oleson-Cormack

@anewspecimenが今年の8月に投稿したInstagramの画像には、言葉がない。翼があるからおそらく天使だと思うけれど、バラ色の不透明な姿が雲の中に浮かび、体からオレンジ色と青緑色が球形に放射している。像の中心の心臓がある辺りには、眩い白光が輝いている。キャプションは「How I been feeling (最近の感じ)」で、同じように感じている人たちからの賛辞がコメント欄に連なる。このような視覚イメージが、独自の言語を産み出している。言葉数が少ない、あるいはまったく言葉を使わないにもかかわらず、コミュニケーションの手段になっている。
かつてのInstagramが「あるべき生活」を記録する場所であったなら、今のInstagramは「あり得る生活」を夢想する場所だ。2010年に誕生した当初、Instagramに投稿される画像は、気取らないセルフィーや笑顔の友人の中に時たま綿菓子みたいな雲の浮かぶ空が混じるといった具合で、絵のような美しさと平凡な日常の狭間に漂っていた。最初の10年間、ユーザーは生活の中の喜びを紹介した。休暇や誕生日や婚約や友人たちの写真は、編集され、フィルターをかけられ、明るい光で笑顔が強調された。だが最初の10年が終わる頃、喜びは見つけることも表現することも難しくなり、ユーザーはそれ以外の感情を投稿するようになった。怒り、戸惑い、ブラックジョーク。Instagramの最初の10年の「きれい」が共通項だったが、次の10年の共通項は「バイブス」になるだろう。
バイブスは、意図して定義付けを拒絶する概念だ。多くの場合、無意識に肯定的あるいは否定的な価値観と結びつき、良いバイブスか悪いバイブスのどちらかに分かれる。物理界の「バイブレーション」は「弾性の物体あるいは媒質が周期的に揺れ動く事象。一般的に、ほぼすべての物理系が均衡状態から動かされ、均衡を回復しようとする力に反応できる場合に生じる」と定義される。感知されるか否かも定かでないバイブスは、目に見える実体もなく、始点にも終点にも無関係に、その中間の広がりの中で不思議なものを作り出そうとする。言葉を越えた場所に存在し、言葉から生じる境界と限界を超える。私がどんなに一生懸命に説明してみても、実際に感じなければバイブスは理解できない。
Instagramの#vibes をざっと検索すると、人あり、自然あり、食べ物あり、さまざまな写真が出てくる。大部分は普通にきれいだが、バイブスはただきれいなだけを超えなくてはならない。それこそが、2010年代のInstagramに溢れた審美感と一線を画す傾向だ。一見したところ、全然違う種類の画像に見えるかもしれないが、そこには共通性がある。夕陽や完璧な食事や愛する人の笑顔を繋ぐのは、時や場所やスタイルではなく、それらすべての排斥だ。画像として提示された瞬間は、物ではなく、感覚、風合いや色合い、隠蔽的に歪んだ笑いの温かさで、明確にバイブスを伝達する。定義づけという重荷から解放されて、瞬く間に私たちを肉体から運び去り、どこか柔らかな領域へ連れて行く。通常の写真が時系列の特定の瞬間をとらえるのに対し、人物の顔を出さず、物より情緒を強調するグラフィックに、「時」は存在しない。人物よりバイブスに特化した画像の増加は、Instagram上で手軽な情緒体験が進行していることを示唆する。図書館で自己啓発本を拾い読みして、気が済んだら棚に戻す。それと同じ行為のソーシャルメディア版だ。
パンデミックと「黒人の命は大事だ」運動が全世界を席巻するにつれ、ノンポリ的コンテンツは現実から乖離し、社会も受け容れなくなった。それにつれてInstagramへの投稿作法も変わり始めた。セルフィーは大量のインフォグラフィックに場を譲った。情報をスタイリッシュに伝達する数々の画像は、先住民族への土地返還運動から警察の予算を削減する必要性まで、重大な政治課題をすっきりと共有できる塊に分解してみせた。ミームやその他のテキスト画像が溢れ、自己成長も子供時代のトラウマも、あらゆることに関して、時には頭のネジが外れた、時には痛烈なディスクールを展開した。誠実と楽観の境界にある口調で、絶望を認めつつ、絶望に屈することを拒否した。そういう「冗談っぽい」グラフィックから新しい社会観が生まれ、集団として背負う苦悩を嘆くと同時に、より甘美なものへの憧れを明白に示すようになっていった。おそらく、素晴らしい生活を記録する場であったInstagramは、社会の混沌を認識する場になったのだ。

バイブス コンテンツのデザイナーやアカウントはそれぞれに違えど、大まかにいくつかの属性は共通している。先ず、特定の視覚的語彙が歴然として、おとなしい色使い、斜体のフォント、淡い線が好まれる。滅多に人の顔を描かないところは、現在Instagramを支配しているテキスト グラフィックとよく似ているが、違うのは言葉の使い方だ。数少ない言葉を注意深く選び、愛情を込めて整理し、いくぶん意味不明ではあっても心地よいフレーズに仕立て、形の定まらない概念をばらまく。情緒的なアドバイス、肯定、悟りの黙想は、スピリチュアルもどきだ。現在のInstagramをスクロールするのは、ある意味で、精神を乱打する行為に等しい。セルフィーがあると思えばインフォグラフィックが現れ、バイブスなグラフィックの後にミームが続く。「ただ存在し、存在することを楽しむ」。「与えられることを信じる」。「私は無であり、私はすべて」。大抵は現在形で書かれたテキストが、たちまちにしてユーザーをファンタジーに引き込む。今、この時、あなたは無であり、あなたはすべて。論理の袋小路を画像で視覚的に表現し、情緒に訴える。
作る側の意図と見る側の解釈には一種の緊張関係があり、同じ画像を見ても、楽天的に受けとる人もいれば虚無的に受けとる人もいる。だが、この種のグラフィックが登場し始めた2020年後半以後、見倣うユーザーは増加し、それにつれて人気も着実に上昇中だ。グラフィック デザイナーたちは、スタイルの観点ではなく、発散するエネルギーを表現した名前を名乗り、マインドフルネスとスピリチュアリティを魅力的に混ぜ合わせ、パステル調の夢幻的な情景に埋め込む。この傾向に参加しているアカウントは枚挙に暇がない。Estefania Loret de Molaは、簡単にはいかない自己成長に詩的な光沢をかぶせる。例えば「mindset(考え方)」と「action(行動)」というふたつの言葉を2本の矢印で囲んだ画像の背景は、レッド、イエロー、ピンクが織りなす柔らかな渦巻きだ。@anewspecimenは、異界の天使のような像を描き、愛とエネルギーを優しく諭す。「Be someone’s light (誰かの光になる)」と題された画像は、暗いグレーの背景の中で、ひとりがもうひとりの背中に明るい光の球を当てている。Manassalineは、他のグラフィック デザイナーにくらべてテキストを多用し、フォロワーたちが正しい道を歩んでいると勇気づける。この画像では、「the past (過去)」が左下、「the future(未来)」が右上にあり、グリーンの背景の中央に置かれた黒点が「Be here now(今、ここ)」と記されている。@beamingdesignは、ネオンとパステルの色使いで、安心感を与える。ブルーからピンク、ピンクからグリーンへと変化する画像が呼びかけるのは、「Just be and enjoy being (ただ存在し、存在することを楽しむ)」。
Instagramは、今や、アカウントの事実と虚構ではなく、ある種の誠実、漠然として時間と無関係に共有される誠実が問われる場所だ。確固たるものや永続するものが何ひとつないように感じられる時代にあって、この世ならぬ曖昧な次元に群がることは、私たちが頼れる唯一の言語のような気がする。グラフィックは、語彙を作り出し、表現しえないものを表現する視覚言語となったのだ。悲しみ、怒り、恐怖、自信の喪失。それ以外に表現すべきことがあるだろうか? だが、バイブスの周期的な往復運動は、沈黙の後に残された空間を埋めることができる。バイブスは、言葉の限界を乗り越える。
Mary Retta は、カルチャー、アイデンティティ、インターネットをテーマとするライター。『VICE』、『The Nation』、『The Guardian』、その他多数に記事を執筆している
- 文: Mary Retta
- アートワーク: Skye Oleson-Cormack
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: November 5, 2021

