SSENSE x Burberry:
シカゴ ルネッサンスに
美しく開花した
レイヴン・レネー
R&Bの新星は
アーティスト仲間との交流から
自分のメロディーを見つける
- インタビュー: Khalila Douze
- 写真: Pegah Farahmand

2021年6月にニューヨークで開催した『Imaginary Cities』に続き、SSENSEとBurberryはキュレーション プロジェクトを継続しています。このエディトリアルは、2022年10月19日にBurberryのシカゴ旗艦店に行なわれたレイヴン・レネー(Ravyn Lenae)とThe Era Footwork Crewのライブ パフォーマンス、および特定の場所でのインスタレーションを含めたキュレーション プロジェクトの一環です。

Ravyn 着用アイテム:ジャケット(Burberry) 冒頭の画像 Ravyn 着用アイテム:ジャケット(Burberry)、ピアス(Burberry)
レイヴン・レネー(Ravyn Lenae)の声は羽根のように軽やかだが、思わず聞惚れてしまう完璧な歌には、強い思い、ストーリー、優れたテクニックが満ちている。シカゴのサウスサイドで生まれ、正式に歌のトレーニングを積み、ChiArtsの略称で知られるアート系ハイスクールに在学中の2015年にEP『Moon Shoes』をリリースして音楽界に登場した。その後、同EPを再リリースしたAtlantic Recordsと契約を結び、2017年には『Midnight Moonlight』、2018年には『Crush』とさらに2枚のEPをリリースした。共同制作者のスティーブ・レイシー(Steve Lacy)は、レネー同様にすばらしい才能を持つプロデューサーであり、アーティストでもある。レイシーのプロデュースで『Crush』に収録された「Sticky」はヒットとなり、新進アーティストとしてのレネーの座を確かなものにした。現在23歳のレネーは、ノーネーム(Noname)やシザ(SZA)など、シカゴの音楽仲間とツアーを行なっており、10月末からはオマー・アポロ(Omar Apollo)とのツアーが始まる。

Ravyn 着用アイテム:ジャケット(Burberry)、スカート(Burberry)、ブーツ(Burberry)、リング(Burberry)


レーベルによる鳴り物の入りの売り込みにもかかわらず、じっくり時間をかけてようやく今年5月のリリースに漕ぎつけたデビュー アルバム『Hypnos』は、綿密なサウンドが幅広く評価された。心の痛み、セクシュアリティ、自分を愛することを語った歌が織りなすアルバムは、明らかに曲作りの成熟を示している。のびのびとしたボーカルのリフ、繊細なハーモニー、そしていかにも自然な落ち着きと心地よさはブランディ(Brandy)、アリーヤ(Aaliyah)、エリカ・バドゥ(Erykah Badu)といったアーティストを連想させ、彼女を成功へ導いたR&Bの力強い歴史に対する敬愛がうかがえる。
最近越したばかりのロサンゼルスからレネーが電話インタビューに応じ、シカゴでの成長、モンテ・ブッカー(Monte Booker)やスミノ(Smino)など地元アーティストが作ったクリエイティブ集団Zero Fatigueとの繋がり、曲作り、コラボレーション、音楽で伝えるストーリーを語った。
カリラ・ドーズ(Khalila Douze)
レイヴン・レネー(Ravyn Lenae)
カリラ・ドーズ(Khalila Douze):子供の頃から教会で歌ってたそうだけど、音楽の世界を体験したのは、それが最初?
レイヴン・レネー(Ravyn Lenae):そうね、大勢の人前で歌った最初の経験のひとつではあるわ。ミュージシャンやシンガーやエンタテイメント業界の人たちにとって、教会は最初に自分を見せられる場なのよ。まだ弱点の多い自分を見せるのは、一緒に成長した人たちか、自分の成長過程を見てきた人たちのほうがいい。いちばん安全な場所だから。
教会で歌った体験で、ミュージシャンとしての今の仕事に活かしてることはある?
ゴスペルのシンガーたちからは、ステージでの存在感についてずいぶん学んだわ。教会の中のエネルギーは、全体的にすごく演劇的でドラマチックなの。そういうのが、ライブをやるときにとても参考になってる。

シカゴのような街で成長してすごく早い時期から音楽を作るって、一体どんなことなんだろう? 歴史と個性の詰まった都会で成長することは、あなたにとってどんな意味があった? シカゴの街といちばん強い繋がりを感じるものは何?
シカゴほど活気のある街って、世界にも多くはないわよ。シカゴの「水」には何かがあるって言うけど、私はそれを体で感じる。何かを創造するという面では、音楽であれデザインであれ料理であれ、世界一流のアーティストを育てた場所だし、私にとってもその全部がすごく刺激になってる。ジャン・ドウ(Jean Deaux)とかサバ(Saba)とかノーネームとか、仲間のあいだでルネッサンスと呼べるような動きが起こっているときに私自身も音楽の世界に参加して、アーティストのコミュニティと一体感を持てたのはすごく特別な体験だった。正直言って、同じイリノイ州でも、シカゴみたいな場所は見たことがない。
間違った印象を与えることも多い街だけど、魅力的な部分がすごくたくさんあるよね。私にとっては、特に建築。川下りのツアーに参加したことがあるんだ。建物が美しいだけじゃなくて、とても重要な歴史が詰まってる。あなたにとって特別な場所や史跡はある?
いちばん新しい記憶としては、ロサンゼルスへ移る1年か2年前に引っ越したハイドパーク。母さんと暮らしてた家を出て、初めてアパートでひとり暮らしを始めたの。そういうかたちで独立できて、生まれ育ったシカゴに自分の居場所を持てたのが、すごく嬉しかった。2週間前にロスからシカゴへ戻ったときは、エリカ・バドゥを聴きながらハイドパークへ行ったよ。シカゴへ戻ってくるたびに、レンズが新しくなったみたいにありのままのシカゴが見えて、「うわぁ、きれい」って感動ばかりしてる。現実に暮らしてると生活の諸々に縛られて、緑が多くて清潔で特別な場所だってことを見落としちゃうのよね。
それに、シカゴには豊かな歴史があるでしょ。特にダンス ミュージック。ハウスやジュークやフットワークのカルチャーは、シカゴが発祥の地だもの。ダンスのカルチャーはあなたの音楽にどんな影響を与えてる? どんな意味があった?
私はシカゴのハウスを耳にしながら大きくなったし、そのことが音楽に対する考え方にすごく影響してる。特定の歌を聞くと子供時代へ戻るのよ。家族が集まってて、みんながステップを踏んでて、お料理の匂いまでしてきて、本当に昔へ戻っちゃう。あの4つ打ちのリズムを私の音楽にも活かそうとしてきたしね。実はつい最近、ケイトラナダ(Kaytranada)と仕事をしたばかりなの。ケイトラナダといったら、ハウスを作り出したパイオニアのひとりだから、すごく光栄だった。ハウスのサウンドへ戻るときはいつも、私の街へのオマージュだと思ってるし、あの響きに囲まれて大きくなったことを痛感する。シカゴの黒人なら誰だって、ステップの踏みかたを知ってるわよ。シカゴの黒人が集まると絶対にあのサウンドがあるし、それを聴きながら成長するんだから。


Ravyn 着用アイテム:ジャケット(Burberry)、スカート(Burberry)、リング(Burberry)、リング(Burberry)

シカゴには音楽面で豊かな歴史があるし、地元のミュージシャンたちもすごく活発よね。だけど、あなたも含めて、キャリアをスタートすると結局はロサンゼルスへ移るアーティストが多いのは、どうして?
はっきり言って、ロスへ移らざるをえないのは残念よ。シカゴで、もっといろんなことができればいいんだけど。そう、5年位前からかな、メイクアップ アーティストもフォトグラファーもビデオグラファーも、ともかくそういう分野の人たちがどっとニューヨークかロスへ拠点を移したの。シカゴに残ってるのは私だけ、みたいなときもあったくらい。そうすると、写真撮影でも何でも、急を要することに対処するのがすごく難しい。ロスからわざわざ飛行機で来てもらわなきゃいけない。そのうちミュージシャンたちもロスへ行っちゃって、仲間がいなくなると、私の創作のインスピレーションも湧かなくなった。そもそも私が音楽を作るようになったのは身の回りにクリエイティブなエネルギーの流れがあったからだし、それが消えたんだもの。一緒に仕事をしたいと思うプロデューサーもほとんどロスにいたから、そのうち、私自身がシカゴとロスを行ったり来たりするようになった。パンデミックの前の話ね。ついにモンテまでロスへ行っちゃったとき、そのままロスとシカゴを往復するか、思い切ってもっと沢山アーティストがいるロスへ越すかの選択を考えたわ。特に家に閉じこもって誰にも会えないパンデミックの状況では、アーティスト仲間の近くにいることが必要だったの。今こうやってシカゴへ戻ってくれば、また新鮮な気持ちになって、創作意欲も刺激されるけど。
コラボレーションの話になるけど、ミュージシャン集団のZero Fatigueやクリス・クラシック(Chris Classick)と一緒に仕事をするようになったきっかけは?
クラシックとClassick Studiosに紹介されたのは15歳のとき。シカゴのダウンタウンには、クリエイティブなキッズが夏休みに利用できるAfter School Mattersというプログラムがあって、私も受講して歌を書いたから、録音できるスタジオを探してたの。音楽でお金を稼げるようになったのはそこから。それまで聖歌隊から毎月月末に貰ってた100ドルで、スタジオでの最初のセッション料金を払ったわ。すごく歓迎されたのを覚えてる。当時の私は、チャンス・ザ・ラッパー(Chance the Rapper)とかヴィック・メンサ(Vic Mensa)とか、シカゴ ミュージックの先駆者たちがよく使ったスタジオだってことさえ知らなかった。ミュージシャンたちがしょっちゅう出入りする溜まり場だったのよ。で、最初のセッションの後、クリス・クラシックが私の歌を聞いて、次からはもうセッションにお金を払わなくていいって。同じ日にモンテやスミノとも知り合って、自分たちがやってる仕事を見せてもらえた。音楽の世界に足を踏み入れて、音楽に対する考え方や取り組み方を共有できるクリエイティブたちに出会ったのは、このときが最初の最初。みんな私を妹みたいに大切にしてくれたし、色々と教えてくれた。自分がどうなりたいか、どんなサウンドを世界へ向けて発信したいか。そういうことを理解することができたのも、みんなのおかげ。
コラボレーションに関しては、どんな考えを持ってる? どういうふうに自分の声を見つけて、自分の感覚を持ち続ける?
一緒に仕事をするプロデューサーやアーティストに関しては、ものすごく拘る。音楽を作るのは、とてもプライベートな過程だと思うんだよね。私が一緒に音楽を作るとしたら、多分、一緒に食事をしたり家族に会ったりしたことがある人。そういうエネルギーの交流というか、そういう過去や背景や友情があるときは、音楽に表れると思う。きちんと考えてみるの。「この人と一緒に仕事をする目的は何か? 音楽に関係なく付き合う人だろうか?」って。ロスへ行って気がついたんだけど、あそこはいろんなことが進行してる。新しい人に会ったり、セッションに出入りしたリ、セッションの予定を立てたり…。そういうのは私向きじゃないとすぐにわかった。私はゆっくり人との関係を作るの。プロデューサーであれアーティストであれ、相手のことを知って、閃きを見つけるまでに時間がかかる。
スティーヴ・レイシーは早くに共同制作したパートナーのひとりだし、多くのリスナーを得た点でも助けになったよね。どういうきっかけで一緒に作るようになったの?
知り合ったのはインターネットを通じて。ある日昼寝をしてたら、電話で目が覚めてね。彼、私の『Midnight Moonlight』をツイートしてくれた後で、私の大ファンでぜひ一緒に仕事をしたいってDMを送ってきたの。そのすぐ後、Appleのインタビューのためにロスへ飛ぶことになって、スティーヴと会えて、たちまち意気投合。そんなふうにプロデューサーと馬が合うことは珍しいのよ。彼と私は、アートについての考え方や自分たちを表現する方法がすごく似てる。同じ年齢なのも良かった。あの時から今まで、お互いの成長を見てこられたから。スティーヴが、ソングライターとして、ミュージシャンとして、セクシュアリティも含めたひとりの人間として立派に成長して、あますところなく自分の全部を見せたのは、私にとっても色んな意味で刺激になってる。

歌作りに関しては、決まったやり方があるの?
決まってない。そのときのプロデューサーや、他のアーティストが参加する場合はそのアーティスト次第。例えばスティーヴとやる場合は、とにかくコードが基本。彼がギターで色んなコード進行をやってみる。みんな私が曲作りの最初からすごく関わることは知らないだろうけど、実はコードの選択についてはうるさいのよ。スネアに至るまで、意思決定に関わる。だからプロセスとしては、スティーブと一緒にいくつか良さそうなコード進行を選んで、次に私がコードから感じるもの、思い浮かぶもの、語りたいストーリーを考える。で、私がメロディーを作ったら、スティーヴがアレンジして、最初の部分、コーラス、前奏、間奏にいちばんインパクトのあるメロディーを選んでいく。その後、私が、ストーリー、いちばん胸に響く言葉、サウンド的にいい音節や子音や母音を探す。大抵、そういうやり方。だけどモンテなんかはパーカッションとドラムが基本だから、彼がドラム パターンを決めるのが先。彼はこれだと思うものをつかむまで徹底的にこだわるから、最初に私が思ってたのと全然違うものになることもあるのよ。最初のスネアのサウンドを見つけるだけで1時間とか。彼は絶対に妥協しないから、私が歌を書き始めるのは、必ず彼のドラムが決まった後。
デビュー アルバムの『Hypnos』では、「Where I'm From」が特に印象に残ってるの。あのストーリーが生まれた背景は? 何を伝えたかった?
あの歌のコーラスを始めて聞いたとき、私の中に驚異の念と切望が湧き上がったの。アメリカのアフリカ系黒人が、自分たちの本当の故郷、自分たちの名前、自分たちの祖先、彼らがこの世界に刻んだ印を思い、伝えようとしてる。それが私にとってどういう意味を持つか、私は世界をどう見るか、世界に私自身のどんな印を刻むか…。私たち黒人みんなが必要としていた歌だから、私にとってもすごく特別な歌だし、混乱して途方にくれたときや答えが必要なときにいつも思い出す歌でもあるわ。メレバ(Mereba)が参加してくれたのもすばらしかった。彼女のお父さんはエチオピア出身なの。だから片方の家系はわかってる。そんな彼女の視点を持ち込めたのもすごく良かった。

「Where I'm From(私が来た場所)」というタイトルの歌に、ひとつの人生、個人的なストーリー以上の大きなものが込められているのがいいよね。あなたの家族はパナマ出身でしょ?
そう、母方はね。
フーシェ(Foushée)が「Mercury」に参加したのはどういう経緯? あの歌はあなたにとってどんな意味がある?
フーシェのエネルギーはすごく楽しくて、明るくて、ファンキーなの。あの歌を作るのはすごく面白かった。彼女はすごく率直に感情を表現するから、学ぶところもすごく多かったわ。私はもっと感情を隠すことに安心感があるけど、このアルバムではそういう境界を超えて今までと違う方法で私自身を見せないと、本当にリスナーとは繋がれないと感じてたの。物事を心地よく表現すること、あまりずばりと表現しないことに私は落ち着きがちだけど、率直な表現が最高にすばらしい歌になることだってあるものね。
- インタビュー: Khalila Douze
- 写真: Pegah Farahmand
- スタイリング: Clare Byrne / Total World
- デジタル技術: Kevin Vast
- スタイリング アシスタント: Maddie Kachurak
- 写真アシスタント: Kevin Briggs、Jason Reinhold
- ヘア: Jacob Aaron
- メイクアップ: Mollie Gloss / Opus Beauty
- ポスト プロダクション: Time Blokel
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: 21 octobre, 2022





