神から遣わされた詩人レイナ・ビディ

ロサンゼルス詩人にインタビュー

  • 文: Fiona Duncan
  • スタイリング: Saamuel Richard

2017年のバレンタインデーにレイナ・ビディ(Reyna Biddy)の「I Love My Love」が再発売された。1994年にロサンゼルスで生まれたビディは、「Fifty Shades」シリーズで一躍有名になったE・L・ジェイムズ(E. L. James)と同じく、ダーク ロマンスに分類されるこのデビュー作を当初は自費出版した。自助的な家族を話し言葉で物語る「I Love My Love」は、初版で1万人以上の読者を虜にした。第2版の発売によって、ビディはAmazonのベストセラーNO.1作家に名を連ね、彼女の存在感と読者の数は増すばかりだ。

しかし、ビディはそういったことの大部分に、進んで別れを告げるだろう。彼女は「インターネットを忌み嫌い」、孤独を愛する。偏頭痛持ちで、社会不安を抱えている。彼女の本は、本人曰く、大学をドロップアウトする手段だった。両親は、どちらも大学に行っていない。彼女を授かった当時、まだ24歳と16歳だったジャマイカ人の父とメキシコ系でテキサス出身の母は、ビディをなんとか卒業させようと躍起だった。望んでいたこと、つまり退学は「選択肢になかった」とビディは言う。「プランを立ててみせるまではね。私にはこの本がある、大学を辞める、成功する。だから大学を辞めるわ、って宣言したのよ」

ビディは「I Love My Love」で虐待する父親を語ったが、そんな父と別れるように母を促し、現在は詩で生計を立てながら、満ち足りた生活を送っている。真剣に付き合っている人がいて、2冊目の本に取り組んでいる。ウェストハリウッドにあるホテルのバスルームで、20代の売り出し中の女優のようにメイクされているレイナ・ビディは、スタンバイOKだ。唇と両まぶたに引かれたラインのような正確さで話す彼女は、 盲目的な愛、自己愛、そして率直で、柔軟で、感謝の気持ちに溢れ、神から遣わされた彼女自身についての専門家だ。レイナ・ビディは完璧に落ち着いている。まさしく自著の一節のように「どうしようもなく陳腐に聞こえるのは知ってるわ。でも、本当にそうなの。私は、自分の中にあるものを、何ひとつ無駄にしてないの」

孤独について


思い通りにできるんだったら、身を隠して、書くわ。インターネットに投稿することもないし、オンラインに出ることも一切しない。人付き合いもしない。そういうのは私らしくないから。私は孤独が好きなの。そしてインターネットが嫌い。

失敗をそのまま残すことについて


今まででいちばん反響があったのは、間違いなく、サウンドクラウドの「女性へのメッセージ」だったわ。書いた本人が自分の言葉で語るのを聞くと、また違った効果が生まれるのよ。感情を聞くことができるの。だから、失敗もぜんぶそのままにしておくわ。うっかり間を急ぎ過ぎたり、大きく息を吸った音が入っても、そのままにしておくの。聞く人が私の感情をちゃんと感じられるようにね。それがリスナーの心を虜にするんだと思う。

祈りについて


書き始める前、私は祈るの。私を使ってください、って神様にお願いするのよ。自分が書いてるってことすら、分からないときがあるわ。

話し言葉について


私のファンの大半は黒人じゃないの。だけど、話し言葉は黒人のアートよ。ジャズっぽくて、ブルースを感じさせるアート。私は話し言葉で育ったわ。父はいつも「Def Poetry Jam」というテレビ番組を見てたから、私もそこに座って、父と一緒に見てた。その番組からたくさんのことを感じたのを覚えてるわ。「いつか私もあんなことができて、自分が感じているように他の人たちにも感じてもらえたら、夢みたい」なんてね。 サニ・パターソン(Sunni Patterson)が大好きよ。でも話し言葉を使う詩人で好きなのは、アジャ・モネ(Aja Monet)。彼女の「Is That All You Got?」は、ヒップホップと詩の融合みたいなの。私のスタイルはそっくりそのまま、彼女のおかげだと思ってる。

影響について


私は大きな影響を与えてることが分かったの。分かったから、特定の振る舞いをするの。例えば、公園の真ん中で、ビキニ姿の撮影なんかはしない。それが間違ってるんじゃなくて、私らしくないってこと。私が思うに、自分らしくないことをしても、皆からリスペクトされるようにはならないわ。

自分の直感に耳を傾けるのを学ぶこと


何が直感なのか、知らない人が多いわ。直感があるってことは知ってても、直感が自分を導くことを分かってないの。私の両親はすごく直感的だったから、どういう状況でどう行動すればいいか、私は両親から学んだわ。だけど、実際に直感がどう作用するか、その力学は知らなかった。瞑想する方法を知らなかったの。直感に正直に耳を傾ける方法も知らなかったし、直感を信じる方法も知らなかった。好きなだけ直感に耳を傾けても、直感を信じることにはならないのよ。

涙について


私は、もうびっくりするくらい、しょっちゅう泣くわ! 最近は泣いてないけど、2016年は、たぶん毎日泣いてたんじゃないかな。あらゆるもの、私にとって美しいものに、涙が出るの。誰かがすごく力強いことを言ってたりすると、泣いてしまう。教会でも泣いてしまう。この間は、テレビでゴリラのココのドキュメンタリーを見てて、思いっきり泣いちゃったわ。静かに泣くんだけどね。

大型文具店ステープルズで働くことについて


最低のひとこと。ステープルズの何が問題かって言うと、どんな店にも典型的なお客さんがいるものだけど、ステープルズに来る人たちは、本当に来たくて来てるわけじゃないから、幸せじゃないの。「クソ、インクが切れたから買わなきゃ」とか「ちくしょう、ガキに買って帰る文房具はどれだ」とか。とにかく、絶対に幸せな理由じゃない。スターバックスだったら、そこに行きたくて行くでしょ? ステープルズは最悪よ。いつも悪いエネルギーが渦巻いてる。

自分のイメージを使うことについて


写真を撮らなきゃいけないことは分かってるの。そういうふうにインターネットが成り立ってるんだから。写真がないと、写真がある人ほどアクセス量を稼げないしね。以前は写真をツールとは考えなくて、頼るものとして捉えてたわ。私は、私のルックスを理由にファンになって欲しくない。でも結局「いいわ、これは一種の自己嫌悪ね」って思ったの。私は見たとおりの私だし、私が書くように書く。それが事実。どんなきっかけで私のページに来ようと、それが私。私は、何かをするためにここに連れてこられたって知ってるの。それが厳密に何を意味しているか、分かってるの。私は文字通り天使なのよ。

人に対する判断について


私は、いつでも喜んで、人の言葉を聴くわ。どういう経験をしてきて、何を言いたいのか、今までも耳を傾けてきた。それで、この人はこうだ、なんて決め付けたりしない。これは私が持って生まれた能力よ。誰もがそういうふうに判断されてるけど、そうされるのがどんな気持ちか、私は知ってるわ。みんな、経験して、知ってると思う。だから、私はあなたという人間を判断する気はないの。ただ、私に話をして欲しいだけ。

自由について


私たちの多くは自由を手にしてるけど、そのことに気付いてすらいないわ。食料品店に入って、人に気付かれずに、何事もなく買い物できる。通りを平和に歩ける。いろんな自由があるわ。学校に行かない自由、たくさんの借金を払わなくてもいい自由。閉じ込められていない自由。

依存について


依存っていうのは、あなたをすごくいい気持ちにしてくれる人や場所や行為に、絶えず戻ってしまうこと。私たちの人生で、何かが役割を終えたのを知ってるのに、目的を全うしたと分かった後も手放せないこと。「虐待」も依存になることがある。

私たちが犯す間違いについて


若い女性が犯す間違いは、人生に男性が登場したら、その人がずっと自分の人生に存在し続けるはずだと考えること。反対に男性の間違いは、いつも自分が注目の的だと教えられること。男は自分をすごく信じていて、若いときから大きなエゴを抱えてる。そして、女の子がかわいいからという理由だけで、セックスできるって考える。女の子たちにも感情があることが分からないのよ。私たちは、男たちに尊敬が欠けてるのを許してきた。集団としての私たち、つまり母親、姉妹、彼女、私たち全員よ。

私のバックグラウンドについて


6人家族。寝室がひとつしかない家で育ったわ。2段ベッドで、母のベッドは私たちのベッドの隣だった。私は最初2段ベッドの上だったから、電灯に近くて、とても暑かったわ。太り過ぎで、木の板を一枚壊しちゃったら、母に「下へ移りなさい」って言われた(笑)。

虐待のサイクルから自己を解放することについて


私たちは、それなしで生きていけるか自信が持てない関係にはまって、妥協してしまうことがある。自分の信念、感情、そしてモラルも犠牲にしてしまう。不安になるのを恐れたり、同じようなものは二度と見つからないかもしれないって恐れたり、もしくは単純に手放したくないという理由で、自分を犠牲にしてしまう。自分が置いてけぼりになるのが嫌なのよ。自分がかつて味わった愛を、他の誰にも味わってほしくないの。だから執着する。現実を見て見ないふりをしてるうちに、正常な見方ができなくなってしまうのよ。何かが心理的、身体的、感情的、精神的な虐待じゃないかって感じる場合は、10回中10回は虐待だわ。虐待のサイクルに引き込まれている可能性を感じたら、距離をとらなきゃいけない。神を見つけることよ。あなたにとって、それが何でも、それが誰でもいいの。平和が神だろうと、幸せが神だろうと、愛が神だろうと。心が健康でいられる方法を探して、客観的な目で自分の状況を見てみること。あなたが経験していることを、あなたの愛する人たち、例えば姉や妹、親友、母親が経験しているとしたら、あなたはどう思う?

自己愛トレンドの一翼を担っていることについて


私が、自助努力、自己愛、セルフケアとかについて書き始めたら、すぐに世間に広まったわ。私は誰かから盗んだとは思っていないし、誰かが私のアイデアを盗んだとも思ってない。多分、単にたくさんの人が感じていた波長だったんだと思う。私たちはようやく「もっと上手にやらないと、もっと自分に優しくしないと」って思える地点に辿り着いて、そのことをスペースに放散したのよ。ジャスティン・ビーバーが「Love Yourself」を書くなんて知らなかったし、ケンドリック・ラマーが「I Love Myself」を書くとも思わなかったわ。私は、その波長にとらえられただけなのよ。たまたま自分の家庭で女性への虐待のサイクルを目の当たりにしたから、女性の地位を向上させたかった。ケンドリックは、黒人のコミュニティで虐待のサイクルを見てきたのかもしれない。だから黒人の意気を高めたかったんだわ。私たちは、自分たちが知っているものや人を向上させようとしているの。私たちが若い頃、私たちみたいな人がいて、私たちの気持ちを高めてくれたら良かったのにね。

成功について


私の成功の定義は、あらゆる面で快適になること。経済的にだけじゃなくて、精神的、感情的、身体的な面でもね。だけど、現実には、全部がいっしょに起こるなんて、ほとんど不可能なことよね。人生のあらゆる面で常に快適なんてありえないわ。私にとっての成功は、すべてをありのままに受け入れて、それに満足すること。

  • 文: Fiona Duncan
  • スタイリング: Saamuel Richard
  • ヘア&メイクアップ: Brittny Moore