LU’U DANとBo Ningenが突きつける
ロンドンのアジア男というアイデンティティ

LU’U DANのデザイナー、ハン・ラーとロンドン発の日本人ロックバンドが語る

  • インタビュー: Hung La
  • 写真: Erika Kamano

何年か前、ハン・ラー(Hung La)はロンドンで暮らすことに決めた。LU’U DANを立ち上げた場所であり、躊躇うことなく認めるように、どう向き合えばいいものか最初は見当もつかなかった場所だ。「英国人は理解に苦しむ」と思っていた記憶がある。「ここで語るアジア人のアイデンティティは、まったく別物だ」とラーは言う。だが、どこであれ足を踏み入れる場所で、ラーはアジア人のアイデンティティを語りたい。今回は、4人の日本人ミュージシャンがロンドンで結成したロックバンド、ボー・ニンゲン(Bo Ningen)のメンバーと語り合った。

LU’U DANが「Black Emperor」と名付けた最新コレクションは、日本の暴走族を取材して一部から熱狂的に称賛されたドキュメンタリー『ゴッド スピード ユー!BLACK EMPEROR』(1976年)からインスピレーションを得ている。ラーによれば、「忠誠心、プライド、ギャング カルチャー」がコレクションのテーマだ。日本のバイカー ギャング集団は暴走族と呼ばれ、荒々しい反逆を象徴した。LU’U DANを貫くのも大胆不敵な反抗精神だ。そこで、既成の権威に挑戦する暴走族の気質を知る一環として、ラーはボー・ニンゲンのメンバーであるユウキ・ツジイ(Yuki Tsujii)、タイゲン・カワベ(Taigen Kawabe)と対話した。ボー・ニンゲンもまた、ロンドンのロック界を支配する規範に対して、ある種の反逆を企てたバンドだ。何より、英国の典型的なロックバンドは日本語で歌ったりしない。

これは、異国で生きるアジア人のアイデンティティを探るLU’U DANの対話シリーズ「シティ ツアー プロジェクト」の第二話である。

以下はラー、ツジイ、カワベの対話を編集、要約したものであり、全文はLU’U DANのサイトで閲覧できる。

ハン・ラー(Hung La)

タイゲン・カワベ&ユウキ・ツジイ(Taigen Kawabe & Yuki Tsujii)

ハン・ラー(以下HL):
君たちはボー・ニンゲンをどう紹介する?

タイゲン・カワベ(Taigen Kawabe、以下TK):
周囲にどう分類されるか、昔はもうちょっとこだわってたんだ。サイケデリックとか、ノイズとか、アシッドパンクとか色々言われたけど、2007年あたりから変わってきた。

ユウキ・ツジイ(Yuki Tsujii、以下YT):
結局のところ、俺たちはシンプルな構成のシンプルなロックバンド。ギターがふたりいて、ひとりがシンセもやって、ドラムがいて、ベースがボーカルもやる。ロックバンドの構成のロックバンド。聴けばわかる。Bo Ningenを紹介するとしたら、「狂ったステージをやる4人の長髪の日本人バンド」かな。ロックをやる、それだけ。

HL:
日本で成長したことは、君たちのアイデンティティにどう影響してる? メンバーが集まってBo Ningenが誕生した経緯は?

YT:
コーヘイ(Kohhei Matsuda)とモンちゃん(Akihide Monna)は今日いないけど、全員ロンドンで知り合った。生まれと家庭環境は違ってて、俺は関西の出身。日本で3番目に大きい大阪っていう街の近くだよ。関西人は気さくで現実的なのが有名だけど、粗野と言われることもある。家族は、兄弟のひとりを除けば、比較的普通だったね。その兄貴はかなりのワルで、暴走族のメンバーだった。俺が寝てる頃に帰ってきて、シャワーの大きな音や、親父と喧嘩してる声や、改造エンジンの爆音で目が覚めるんだ。怖くてよく泣いてたけど、兄貴の友だちはみんな優しくて、よく俺の面倒を見てくれた。全員、刺繍が入った特注のヤバい特攻服を持ってたのが、今でも強烈な視覚的インパクトとして残ってる。今思うとすごいんだけど、当時は怖いのが先でさ。アイデンティティが作られるうえで大きな影響を及ぼしたし、兄貴がいわば人生で最初の男性像だった。

HL:
1970年代から1980年代にかけての日本では、暴走族のカルチャーが圧倒的だったね。暴走族をどういうふうに見てた? 反逆? それとも力の誇示? 暴走族には猛烈なプライドと忠誠心があっただろ。それぞれのグループに旗もあって。権威に歯向かう国粋主義的な反逆は、すごくパンクロック的な精神でもある。

YT:
兄貴の場合は、多分、それほど英雄的じゃなかったと思うよ。それよりは、単に生活や学校や家族に不満があったというか。当時は俺もまだ小さくて、そういうことは訊けなかったけど。兄弟らしい関係になれたのもつい最近なんだ。でも、今ステージでぶつけるパワーの源が兄貴の存在なのは、間違いない。

TK:
俺は渋谷育ち。家から1時間かかる学校へ通ってたから、近所に友だちはいなかった。東京のギャング カルチャーというと、1970年代から1980年代には渋谷、新宿、池袋の3か所が有名で、俺も2〜3年ヤクザの事務所があるビルで暮らしたことがある。人から金を巻き上げる怒鳴り声が聞こえるんだ。俺自身はギャング カルチャーには全然関わらなかったけど、東京という都会の暗い面と眩しい面は見えたよ。うちの学校は東京中から生徒が来てたんで、子どもの頃からずっと東京の違う顔を見れたしね。もうひとつ記憶に残ってるのは、違法ポルノのビラ貼り。俺たちはピンクチラシって呼んでたけどさ、80年代後半から90年代にかけては大量に出回ってた。今は禁止されて、もうほとんど見かけないと思う。とにかく俺はピンクチラシを集めまくってたもんで、最後は変なポルノ コレクションができちゃって。お袋が見つけて笑ってたけど、手塚治虫の『ブッダ』っていう漫画を買ってきたから、俺の煩悩を消したかったんだろうな。もうひとつ、オウム真理教のことも覚えてる。大規模なテロを起こしたカルト宗教集団の事務所が、育った家のすぐ近くにあったんだ。両親の知り合いにも2〜3人入信してる人がいて、すごいサイケデリックな恰好をして、渋谷駅の前で説教してた。渋谷はすごくカオスな街で、俺の音楽とサウンドはそのカオスにすごく影響を受けてる。

HL:
君たちは、最初の最初から、LU’U DANのムードボードにいたんだよ。僕に強く語りかけるアイデンティティだったし、君たちが一緒にツアーしたダモ鈴木もムードボードのひとりなんだ。ロールモデルとして、繋がりのある人物として、彼は君たちの音楽にどう影響してる?

TK:
いちばん最近のオーストリア ツアーのときに、日本国外、特にヨーロッパで暮らしている典型的なアジア人と典型的な日本人の話が出たんだ。ダモ鈴木は、日本の外で、それも長髪で、長く暮らしている日本人男性の超典型だと思った。

YT:
そういうアイデンティティを作り出した人だよね。

TK:
そう、ヨーロッパ人が頭に浮かべる日本人のイメージ。

YT:
ダモさんを知ったのはここ10年か15年くらいのことで、最初の頃はまだ知らなかった。ダモさんのスタイルは70年代から変わってないけど、音楽的にはすごく刺激される。今はもう楽器は演奏してないんだ。下着とTシャツだけ入れたバックパックで移動して、旅先の地元のミュージシャンやアーティストとコラボするだけ。レジェンドだよ、すごく自由な魂とすごくパワフルなオーラがある。ミュージシャンとしても人間としても、俺らの大先輩。一緒になったときはいつも笑顔で、すごく面白い話をしてくれるんだ。俺はずっとアルバムのレコーディングを持ちかけてるけど、全然耳を貸してくれない。

TK:
スタジオの録音にマジックがあるとは思えなくなったという理由で、ダモさんはもう30年以上、スタジオ アルバムを作ってないんだ。聴衆にとってもアーティストにとっても、その時その場でしかマジックはありえないという信念を持ってる。俺たちも同じようにライブのマジックを信じてるけど、スタジオも含めて、音楽を作り出していくプロセスにもマジックはあると思う。

モデル着用アイテム:シャツ(LU'U DAN)ジーンズ(LU'U DAN)

モデル (左) :コート(LU'U DAN) モデル (右) :コート(LU'U DAN)

HL:
アジア人の男性には十分な居場所があると思う? 自分たちの主張が代弁されてると思う?

YT:
それ、面白いんだよ。俺たちがスタートした2007年か2008年頃に感じたことと、今自分たちのアイデンティティについて考えることは、かなり違ってきてる。イースト ロンドンでステージをやりまくった無名時代に、『Loud and Quiet』っていうマガジンのインタビューを受けたことがあるんだ。パブや演奏会場のどこにも置いてある無料マガジンだけど、俺らの顔の上にペニスを描いて、歌も演奏もクソどうしようもないって書いた奴がいた。ステージでもブーイングされるし、水のボトルや缶は飛んでくるし、アジア人は失せろと野次られる。かなりショックだったけど、その力でスイッチが入った。嫌だと思う代わりに、実際嫌だったんだけど、俺たちは自分たち自身を表現してるんだと思い始めた。やつらから見たら、俺たちは仲間じゃない。背も低いし、話す言葉も違う。結局、完全に自覚してたわけじゃないけど、俺たちは自分たちのアイデンティティを作り始めたんだ。その後10年も15年も暮らしてきて、ロンドンが今は生活の場だし、友だちもできて、落ち着いた。基本的にはロンドンっ子になったのよ。で今は、バンドと個人としてのアイデンティティがふたつに分かれる。ひとつは2009年当時からの猛烈な怒り。もうひとつは、居心地がいいくらいすっかりここのカルチャーに溶け込んだせいでちょっと矛盾するけど、日本人だっていう感覚がどんどん薄くなってる。

TK:
日本人という考えに関して、ロンドンは昔も多分今も、ちょっと遅れてると思う。だけど、それがカウンターカルチャーを考えるきっかけになったから、インスピレーションでもあったわけで。ロンドンからは伝説的なロックバンドがたくさん生まれたけど、2004年にロンドンへ来た当時は、すごく失望したね。インディーロックと呼ばれる音楽はメインストリームのカルチャーに迎合しない独立心を意味したはずなのに、ちっともエネルギーを感じないし、ファッション的なバイブスのほうが強くて、俺は反感を感じた。パンクの恰好はしてたけど、まるで主体性がなかった。それが、Bo Ningenを結成して反逆的な感情、怒り、フラストレーションを追求した理由のひとつだった。何か新しいことを始めるときは、当然、一種の爆発を起こそうとするフラストレーションや欲求があるはずなんだ。

HL:
日本で体験するアウトサイダーの感情について話してくれるかな。僕自身はもう20年あまりヨーロッパで暮らして、アメリカ人でもベトナム人でもなくなった。どこにも繋がらないで、浮遊してる感じだ。「ふるさと」と感じさせるものは何なのか、それを考えるとおもしろいよね。

YT:
ここ数年は日本にいてもアウトサイダーだと感じることが多くなった。日本にはまだ家族もいるし、日本の市民権しか持ってないし、年に1度は帰るし、和食は世界一だと思うし、日本の音楽も好きなんだ。だから日本にいると確かに居心地はいいんだけど、日本でどんな活動や運動にも参加してない。別に意識して距離を置いてるわけじゃないんだけど、日本にいるのを奇妙に感じることがある。家族には会いたい。帰ればいつもすごく楽しい。なのに、長くいると、ちょっと息が詰まりそうになる。

HL:
アウトサイダーでいることが好きなんだね。

YT:
そうなのかな? 日本に属してないからかもしれない。日本に住んでいない。日本の体制に含まれてない。社会保障にも登録されてない。本質的に、俺は日本に存在してないんだ。

  • インタビュー: Hung La
  • 写真: Erika Kamano
  • 写真アシスタント: Wynston Shannon
  • ヘア: Aya Kuraoka
  • メイクアップ: Kosei Kitada
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: August 11, 2023