ミン・スミスの肖像写真に漂う幽玄

ファラオ・サンダース、グレース・ジョーンズ、ジェイムズ・ボールドウィンらを撮影したアーティストについて、ハーモニー・ホリデイが綴る

  • 文: Harmony Holiday

彼女は思う − 褐色の、その輝きを… 自分の褐色の身体には輝きなどないと。もしヤシの木の下で裸で踊り、川面に映る自分を見られたなら、その輝きに気づくだろう。だが、街路にヤシの木はない」ニーナ・シモン「Image」より

昨年の春、ニューヨークのアートスペース「ザ・キッチン」のガラで、私はミン・スミスと、その息子ミンガスの隣に座った。その夜が初対面であったにもかかわらず、感覚としては再会に近かった。私はすでに、ミンの鋭い「眼=レンズ」を通して、お気に入りの音楽家たちの姿を幾度となく見ていた。そのレンズはガントレットのごとく、被写体をポーズの概念から解き放ち、笑いと叫び、旋回と崩落、舞台裏と本番の間にある、完璧に雄弁な瞬間を捉えてきた。

そこには黒人特有の言語感覚があり、動作と動作の狭間、言葉と行為の狭間にだけ現れる「微細な音程」が存在する。それはテンポやシャッター速度を自在に揺らし、震えや吃音のように変化する。瞬間の連なりに対して、心や魂の自由を示そうとしている。しかし、それを見抜き、切り取るには完璧な視覚的音感が必要だ。目でスキャットをするように。その技法は多くの者を招かれざる螺旋や恍惚へと導き、ときに大きな代償を伴う。多くの神経系はその無限の変奏を処理しきれず、静止と動作の間に潜むものを雑音や意味不明な断片に変えてしまう。ごくわずかな者だけが、その微細で秘儀的な言語を解読できるが、それを静的な芸術作品やX線写真、または「見えざるが感じられる」時間の証拠に変換できる者はさらに少ない。

ミンは、この出来事と出来事、身体と身体、そしてそれらを駆動する魂と霊の間にある「不可能な翻訳」を生来の言語として行い、言葉にできないものへ注釈を加える。その写真は、肉体の奥で長く続く吐息のように感じられ、光ーすなわちオーラ、第一の身体、メルカバのように肉を包み込む力との対話として立ち上がる。通りすがりを装い、一瞥し、私たちは極めて私的でありながら逸脱的で、同時に普遍的な領域へ踏み入る。それはまるで、犯罪現場の立入禁止テープを越え、そのままスタジオ54の熱狂へ足を踏み入れるようであり、あるいは、公に発表されるアルバムの陰で密かに収録される、秘められたセッションに忍び込むようでもある。

ミンが被写体に近づくとき、そこには陶酔と畏怖が同時に漂う。そして、彼女は最も揺るぎない人格や場面を繊細に解きほぐす。やがてそれらは彼女の前でひざまずき、まるで祈りのように、ただ彼女だけに見られることを願う。そこに宿るのが、彼女の持つ深い親密さである。だが、彼女の唯一無二のスタイルとアプローチの魅力は、単なる接近や見せびらかしにあるのではない。彼女の感情的な力は、未知で禁じられたものに触れ、それを被写体の尊厳やプライバシーを奪うことなく観る者に開示するところにあるのである。

ミンは演出された姿に、自らと向き合い、核心へと身を委ねることを強いる。そこでは、内側から崩れゆき、耐えきれぬものは虚ろな灰となり、偽りの光として消えていく。彼女がアーティストを撮影した写真のひとつひとつは、そのアーティストとの明確な二重奏である。被写体はミンの前で操り人形のように動かされ、あるいはワルツを踊るように導かれる。そして彼女とともに、双方向の自画像を共作し、重なり合い、変容していく。

ミンが写真家として成熟した時代は、文学、ジャズ、ダンス、美術が水面下で交わり、後に「ブラック・アーツ・ムーブメント」と呼ばれ、フリージャズや「エナジー・ミュージック」と並び称される多頭的な文化の怪物を形作っていた時代である。過激さは日常であり、流行であり、単なるアイデンティティを超えて、人々とその労働が生き延びるための条件が賭けられていた。個々の栄誉よりも、共同体の存続の方が重かった。しかし、その瞬間からもなお、星のような存在が生まれた。ニューヨークやヨーロッパの黒人アーティストたちの緊密な共同体は、研ぎ澄まされた光沢と伝説によって包まれ、噂や幻想の対象となった。ある時期、多くの人々は本気で、これらの集団が新自由主義への流れを覆すのではないかと信じたものである。

ミンはその狭間に身を置き、それを光と音が渡るための橋へと変えた。彼女の写真は渡り鳥のように、ある世界から別の世界へと飛び交い、直線的な時間の呪縛に囚われることなく、量子的に複数の世界を共存させる。それらの世界は、まるでジャズのスタンダードが求めるように、肉体と魂の両面で互いに糧を与え合うのである。

多くの写真には、まだ制作も執筆も構想もされていない映画の撮影現場のような質感がある。しかしキャスティングは既に完璧に整い、その緻密さはリストから漏れることがまるで痛みとなるほどである。視線を巡らせれば、サン・ラのマントのひだの中にも、グレース・ジョーンズのチュチュのチュールの中にも、自分が紛れ込めるように感じられる。まるで彼らと共にその場面に身を置き、共に生きているかのように。

アミリ・バラカ(Amiri Baraka)

「Angst」ーこれが、ミンが初めて売った写真だと、彼女は誇らしげに、しかし控えめに語る。1970年代初頭、ハワード大学を卒業した彼女は、アート活動を続けるためにパートタイムでモデルをしていた。初めて写真で得た収入が、このアミリ・バラカの一枚だった。バラカはブルース詩人であり、『Blues People』ー黒人音楽を黒人自身が初めて体系的に論じた書ーの著者であり、作曲家でもある。

彼の詩集のデビュー作にして最も陰鬱な作品は『Preface To a Twenty Volume Suicide Not(二十巻の自殺ノートへの序文)』と題されていたが、ミンが写し取ったのは、その恐怖を生き延び、電流を帯びた彼の姿である。それは彼の「ディランの瞬間」でもあった。フォーク的な形式から決別し、半ばアフロに伸びた髪を両手でつかみ、まるで鞘から剣、思考という名の剣を引き抜くように天へ広げる。その刃を自らに向けるのか、すでに負わされた傷に屈するのか、境界線上で揺らめく姿だ。

ミンの優しい覗き込みは、私的な苦悩の至福と、それを責めることのない証人の尊厳を同時に含んでいる。それは母性的なまなざしであり、彼が追われ、見えざる力と見える力の双方に押し潰されかけ、ブラックリストに載せられ、死の淵に立たされたときでも守られていたという安全網であった。

この作品はミンをブラック・アーツ・ムーブメントの一員として刻みながらも、その集団さえも彼女を囲い込むことはできないことを示している。彼女の作品はドグマを持たず、未知の黒人の運動を探り出し、それを長い群舞として編み上げる。その舞台裏やカーテンの奥に招かれた者だけが想像し得る映像の連なりとして。

彼女は快楽と同じくらい脅威もさらけ出すが、観る者は決して彼女の視線そのものには気づかない。ただ、カメラに宿る彼女の手触りと音色、シャッターの減速、そして美に震える戦慄が、苦悩との休戦の中で響いてくる。

ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)

「カム・バック、ファラオ」

アミリ・バラカが、古の魂に捧げる詩の中でこう唱える。
ミンが捉えたのは、1977年、ニューヨークのライブハウス「ボトム・ライン」に立つファラオ・サンダースの姿だ。サックスを手に、彼の周囲には不吉なネオンの柱が網や罠のように広がっている。

彼は、我々の注目を望まぬ沈鬱な君主でありながら、それを聖歌隊の天才児のような敬虔さで受け入れる。ただし、その聖句はダウンビートに秘められている。彼は内なる動乱を手探りで進み、ひとり静かに沈思した末に見いだした束の間の安らぎだけを、私たちに与える。その禁欲的な態度は、隠そうとしてもいくばくかの不安や考えすぎを露わにしてしまう。写真はその「私的な嘆き」の瞬間を捉え、ゆっくりと後ずさる。彼にとって、それは演奏の中でのみ超越できるものであった。

ファラオの言葉。わずかな言葉しか語らぬ彼の口調は、疲れてはいながらも、苦みを含まない人間のそれである。時に、生活のために血液を売ったことを恥ずかしそうに語る。あるいはインタビューで自信なさげに話す。しかし一度ステージに立てば、バードランドの屋根を吹き飛ばすような演奏をする。そして「自分が聴いた中で最も素晴らしい音楽家は、アーカンソーの教会で歌う叔母たちだ。彼女たちは決して有名にならない」と言う。私は、この写真の中の彼が、その叔母たちのことを思い、彼女たちの手のひらに顔を埋めているように思えてならない。

ジェイムズ・ボールドウィン(James Baldwin)、着席、1978年

名作の中の、相反する昂揚感。ついに私たちは、ひとりのジミー・ボールドウィンと対面する。場所は人気のない教会。彼は椅子に座り、悪戯っぽさと、ほんの少しの痛みや沈思を同時に湛えている。写真の中で彼がこのような表情を見せることは珍しくない。だが、この場合には、密やかな歓喜と、決して公開も説教もされることのない個人的な啓示が、すぐそこにあるように見える。もしかすると、彼は自らの葬儀でアミリ・バラカが読むであろう弔辞を想像しているのかもしれない。そしてミンは、その永遠の魂の検視を行っているのである。

グレース・ジョーンズ(Grace Jones)

男ばかり。1960年代から70年代は、まさに男の世界であった。だがそこに、突如としてグレース・ジョーンズが現れる。冷酷で、中性的で、そして反逆的な介入者。繊細で剛直で野生的な、パンクのバレリーナのような。ミンとグレースは友人同士であった。ミンは突然の招待を受け、スタジオ54へ。そこで、3年もの間ニューヨークの夜を支配したグレースのステージを目撃する。二人は、グラマラスであることを鎧とし、言語とした。

グレース・ジョーンズ。徹底して自分自身であり続ける彼女は、ミン・スミスのレンズの中でこそ、もっとも自分らしく、もっとも動的で、そして彫像のようである。今月初め、私はハリウッド・ボウルで彼女のステージを見た。その顔に、ミンの写真の中のあのグレースを探していた。そしてそれは、笑い声が嗚咽に変わり、さらに讃美歌「アメイジング・グレイス」へと流れ込む、その一瞬に現れた。甘美さと獰猛さが入り混じるその歌は、彼女だけが真に所有するものであった。

ジュディス・ジャミソン(Judith Jamison)

アルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアターの看板プリンシパル・ダンサーであったジュディス・ジャミソン。1980年、ミンが彼女のポートレートを撮影した時点で、ジュディスは私服で写るよりも、舞台衣装で撮られることのほうが圧倒的に多かった。宝石のように輝くガウンをまとい、レンズからそっと身を引く。まるでそれが脅威であるかのように。そこに映る彼女は、1920年代のフラッパーを思わせる。

ジャミソンが近年亡くなったとき、この写真が、その当時の彼女を「ありのままの姿」でとらえた唯一の公的イメージであったことが明らかになった。カーテンの端から覗き込みながら、それに覆われることを願うような表情、時を遡り、別の時代に紛れ込んでしまったことを悟られたくない人間のようだ。ミンの作品には、このように他のアーカイブでは見落とされ、あるいは集団的な反射神経の鈍さによって狭められてしまう瞬間を、確かなかたちで記録する機能がある。

セルフポートレート

ミンが撮った自分自身の写真は、彼女の美しさをそのまま伝えるものではない。むしろ、それらは虚栄ではなく、習作であり、好奇心の記録である。私には、それはカメラを愛したマルコムXを思い起こさせる。彼は自分がどれほど美しいかを完全には自覚していなかったが、記録するだけの確信は持っていた。ミンの自画像は、戯れと厳しさ、そして微かな恐怖を併せ持ち、恥じらいながらも自信と明晰さを失わない。まるでダンサーが稽古中に鏡に映った自分をふと見つけた瞬間のようだ。そこにあるのは身体そのものではなく、音楽に溶け込む動きや仕草そのものである。

かつて私は、ジャズ・ミュージシャンの妻になる夢を見たことがある。ただしそれは、彼が生きている間ではなく、未亡人となった後のこととして。幽霊の吹き荒れる風の中を自由に歩き回り、生前ならば私を「家事に縛られた従属者」に変えていたかもしれない男を、理想化し続ける夢。

私にとっての創造的自由のひとつの解釈は、「遮られる」のではなく「憑かれる」ことであり、安全でありながらも破壊的な距離感から愛を見つめ直すことだった。そこでは愛は再び熱中へと戻り、私のミューズとなる。ただし、それは搾取する対象としてではなく、伴走し、欠けを埋める存在として。美しい顔や魂をいっそう引き立てる「愛すべき欠点」のように。

ミンの写真は、その夢を生きている。
ああ、なんという夢よ。しかし、その夢はただの夢であるだけでなく、また別の何かでもあると告げている。
彼女は実際にジャズ・ミュージシャンと結婚した。そして息子のミンガスは、その息子ミンガスは、母の名を継ぎながら、別のジャズの巨匠の名にも通じ、三つの灯をその名に宿し、生きようとしている。

私は彼女の作品の中に、自分が「ほとんど生きたことのある人生」の残光を見出す。それらは、受け入れることも忘れ去ることもできた人生であり、別の私へと変わる可能性を秘めた軌跡である。そこでは、スポットライトとは言い切れない、しかし闇と呼ぶには明るすぎる幻の光の中へと踏み込み、言葉と足取りをたゆたわせ、音楽と詩を同時に紡ぎ出す。

ミンの眼差しは、未完成のままの存在を英雄に昇華させる。偶然、含意、後ずさり――それらを公然と隠された場所で切り取り、鎮魂と祝祭を同時に奏でる。肉体が灰や原油へと変わるそのとき、私たちが埋められるのは、思考や音符や歩幅の縁――言葉にはできないが、行為として告白される空間なのだ。

ハーモニー・ホリデイ(Harmony Holiday)
作家、舞踊家、映像作家、音楽家であり、黒人文化のアーカイブを横断的に扱うアーティスト。詩集『Hollywood Forever』『Maafa』を含む5冊の著作があり、『New Yorker』、『Bookforum』、『Harper’s』、『Paris Review』、『The Drift』などに寄稿している。

  • 文: Harmony Holiday
  • 画像提供: Ming Smith Studio
  • Date: August 8, 2025