バーナ・ボーイがヒーローになるとき

ナイジェリア出身のアフロフュージョン歌手がハイブリッドなスタイルで世界に打って出る

  • インタビュー: Safra Ducreay
  • 写真: G L Askew II

ロサンゼルスの写真スタジオにバーナ・ボーイ(Burna Boy)が到着した途端、その場は彼の個性で満たされる。彼は部屋にいるひとりひとりと拳を突き合わせたり抱き合って挨拶し、明るい雰囲気を振りまいていく。カメラの前に立つと、彼は生き生きとして、飛び跳ねたり、体を曲げたり、まるで漫画の表紙に描かれたスーパーヒーローのようだ。だが、中でも特に魅力的なのは、彼のその目だ。大きな白い縁のサングラスの奥の目は、彼を唖然とさせるようなことを私が言うたびに、大きく見開かれる。例えば、バーバーチェアに座ってセットしてもらっている彼に対して、ある角度から見ると、ギャングのように見えるとコメントした時もそうだ。「俺はギャングじゃない」と、マリファナを手に、煙を燻らせながら彼は言う。彼の語気が強まる。「俺はいい人間なんだ!」。私は彼を褒めるつもりで言ったのだ。

本名ダミーニ・オグル(Damini Ogulu)。彼はナイジェリア南部の湾町ポート ハーコートで育った。26歳の彼は、音楽一家の出身だ。彼の祖父は一時期、フェラ・クティ(Fela Kuti)のマネージャーをしており、オグルは子どもの頃、FruityLoopsを使って自分のビートを作り始めた。この世代のミュージシャンにとっては、よくある音楽への入り口だった。ラゴス近辺の高校を卒業後、オグルーは学業のためロンドンへ移った。だが、その後ナイジェリアに戻ってから初めて、彼のミュージシャンとしてのキャリアが本格的に始動する。2012年の楽曲「Like To Party」で初めて大ヒットを記録し、そこから彼がアフロフュージョンとよぶスタイルを発展させ始めた。これは、アフロビートにダンスホール リディム、レゲエ、アメリカのラップ、R&Bを組み合わせた癖になるブレンドで、彼が今まで育ってきた環境を反映している。彼はすぐに祖国でスターになり、ナイジェリアだけでなくアフリカ中で、何千人という観衆の前でライブを行うようになった。今は再び拠点をロンドンに移し、世界的なスターの座も射程圏内だ。

最新アルバム『Outside』は、どのアルバムよりも、これまでの彼のスタイルが余すところなく表現されている。1月末に公開されたアルバムの1曲目「More Life」は、昨年ドレイク(Drake)のアルバムでサンプルされ、そのアルバム タイトルにもなっているが、明るくキャッチーなメロディーが詰まっている。これは、自分自身をミュージシャンであり、かつひとりの個人と考える人間の作品だ。彼の精神性について話すにせよ、彼のファッション センスについて話すにせよ、会話全体を通して、オグルの確固とした自信がひしひしと伝わってくる。

インタビューを始めるために席に着くと、「それじゃあ」と彼が言う。「質問してよ」

サフラ・デュクレー(Safra Ducreay)

バーナ・ボーイ(Burna Boy)

サフラ・デュクレー:今日のソーシャルメディア上での文化の消費のされ方を見るに、人々はあなたの音楽の背景を理解していないということなのでしょうか。人々は、単にあなたのことをレゲエかダンスホールのミュージシャンだと考えていると思いますか。

バーナ・ボーイ:そう。それが本当にムカつく。でも、俺のアルバムは世界のレゲエのランキングで3位になったから、そこまで嫌がってもいられないんだよ、わかる? 結局のところ、俺は、レゲエやダンスホールや、あるジャンルの音楽みたいに聞こえるような音を目指して音楽を作ってるわけじゃない。俺の音楽は、俺自身なんだ。だけど、何かを初めて見るときって 、誰にとっても訳がわからないもんだろ。だから、人間の本能としては、何か既に知ってるものに当てはめて理解しようとするもんだ。これが、言わば今、アフロフュージョンが直面してる状況だな。

誰かとコラボレーションをする際、どのようにしてこれらの相手を選んでいるのですか。

俺は選んでないよ。全部が自然な形で決まっていく。俺に決定権なんてないし、その役割を自分でやろうとも思わないね。

以前、はっきりとレゲエの特徴を打ち出していたときがありましたね。スーパーキャット(Super Cat)を思い出しました。

いちばん好きなミュージシャンなんだよ。この人に言われてレゲエやダンスホールを手あたり次第聴くようになったんだ。

ジャマイカに行ったことはありますか。

ない。でもブリクストンにはよく行ってた。当時あそこはリトル ジャマイカだったから。

黒人にはアプロプリエーションの能力があると思いますか。

2018年においては、誰もが何でもありだ。誰もがあらゆる国に首を突っ込もうとして、あらゆる国民性に自身を見出そうとしてる。今になってようやく気づいたんだよ。俺たちは長い間分断されてた。それも、征服されるっていう唯一の目的のために。わかるか? 今、ちょうどそのことにゆっくりと気づき始めたところなんだ。だから、俺たちにとってこれは無意識での認識みたいなもんだ。俺たちはただ自分たちの認識に基づいて行動してるだけなんだから。あまりに長い間分断されて、支配されてきたから、俺たちは自分たちが、みな同じだってことを忘れてしまったんだ。

ナイジェリアを去ったとき、人々はあなたのことを理解してくれましたか。

ナイジェリアを去ったことはない。

ロンドンに戻ったときのことです。

でも、それはちょっと違う。ナイジェリアからいなくなったって思われるような形で去ったわけじゃなかった。俺はいつも家に戻ってるから。俺のことがわかる人はわかるし、わからない人にはわからない。

YouTubeで配信している、この信頼できそうなナイジェリアのメディアについてなのですが—

ナイジェリアに信頼できるメディアなんてないよ。

こんな話を持ち出すのは、当時、ここのジャーナリストが、あなたが成功できないであろう理由として、ソーシャルメディアに銃を持った写真などを投稿していることや、若く、過激であるという点を挙げていたからなんです。どれも、西洋ではかなり一般的なことですよね。

それがナイジェリアなんだよ。あいつらは、自分たちのいる世界の外のことは知らないんだ。自分たちのいる環境でそういうことがほとんど起きてないってわけじゃない。実際、起きてる。だけど、多分、彼らが育った環境のせいで、そういうのに対して、あえて偽善的立場をとっているんだ。そういうもんなんだ。ここまで来て、故郷の悪い側面についてばかり話したくない。わかるだろ。でも、それが俺たちの物語なんだ。誰もが真実を知ってるけど、その真実を話す人間はスケープゴートにされる。それか狂人扱いだ。

そして、そういった扱いをあなたは長い間受けてきたと?

そう。正直に言えば、これはマリファナの状況からも見て取れるだろ。ナイジェリアでは誰もがマリファナを吸ってる。あらゆる人が。教会の牧師だって、みんなマリファナを吸ってるよ。でも吸うときは隠れてやるんだ。それで、他の奴が吸ってるのを見たら、あいつはジャンキーだって言うんだよ。言ってる意味わかるだろ? (笑) 人生なんてそんなもんだよ。

過去のインタビューでは、スピリチュアリティについてたくさん話しておられましたね。あなたがスピリチュアリティについて話すとき、それは太古からあるアフリカ的なものですか。それとも現代のキリスト教的なものでしょうか。

自分自身のことだ。スピリチュアリティは人によって異なるものだからな。他の人について話すことなんてできない。俺たちはみんな、異なる背景を抱えているし、それぞれのスピリチュアリティの意味は異なってる。俺は、出自や信条で他人を判断したりしないよ。重要なのは、そいつの持っているオーラだ。

映画『ブラックパンサー』はもう見ましたか。

いや、まだだ。残念ながら。

私たち黒人の多くはアフリカを神聖な場所だと考えています。映画の中で、ワカンダは、黒人の間に、特にアフリカに関しての、ある種の理想を作り上げました。

俺はその映画を見てないからあまり多くは語れないけど、アフリカがブラックパンサーによって守られるべき場所だと考えられているのは知ってるよ。奇妙なことだけど、どこであろうが、自分の住んでいる場所が世界でいちばん素晴らしい場所なんて考えないもんだ。アフリカ出身の俺に言わせれば、アフリカがワカンダだなんて思えないね。どんな家族に生まれたか、どこで生まれたか、どんな人間として生まれたかにもよるだろうけど。

社会階級によって違うと思いますか。

その通り。アフリカの現状は、ここアメリカよりずっとひどい。貧しくて、教育も受けてなくて、何も持たず、何かを得る手段もないような能なしにだって、ここではまだチャンスがある。これは事実だ。そいつらにだって、ここでは電気も常に供給されてるし、水だって常に手に入る。そういう点に関しては、何も文句はないはずだ。ただ差別についてしか文句を言えない。それはそれでひどい話だけど。でも、電灯や水、家みたいな基本的なものが不足してるっていうのはな、いいか、地獄だよ。ワカンダが何だろうと、そんな状況からは救ってくれない。人々には希望が必要なんだ。確かに、アメリカの現状もひどい。でも、みんなスーパーマンを観ながら、育ってきたわけだろ? あるいは、スパイダーマンやバットマンとかさ。信じられないかもしれないが、そういうものが人々に希望を与えるんだ。

コミックをただの楽しみ以上のものとして読むことで?

子どもの頃、気分が落ち込んでるときは、ヒーローについて考えること自体が、希望を与えるもんだ。これまではアフリカ人のヒーローなんていなかった。アメリカのスパイダーマンが、俺たちにとってのスパイダーマンだったんだ。それが今、俺たちには自分たちのスーパーヒーローがいる。俺は、そのことは誇りに思っている。けど、だからこそ、ブラックパンサー云々については手放しで喜べないんだ。自分たちのスーパーヒーローがいたって、現実は必ずしもその通りとは限らない。そうだろ?

アメリカであなたは「ドレイクも認める」歌手と呼ばれ、スウィズ・ビーツ(Swizz Beatz)と共同契約したことなどが話題に挙がりますが、あなたはこれらのことを以前からずっとやっておられますよね。

事実はこうだ。俺は長年、人が考えられる限りのあらゆるミュージシャンと一緒に仕事をしてきた。今言ったドレイクやスウィズ・ビーツはその中の2人でしかない。でも、それが看板をかけ変えて新しいスタイルで売り出したみたいに思われている。自分で自分の能力をわかっていて、他の皆に自分の能力を理解させようとすると、よく起きることだ。

つまり、本当の自分自身を出し始めた、と。

人がそれに引き寄せられてくるんだ。それは手に入りにくいものだからな。わかるだろ? なぜ誰もがダイアモンドを買うのか?

希少だから。

でもそれに何の意味がある? キラキラ光るただの石っころだ。それで何をしようってんだ?

身につけるとか。

それで人生が変わるか? それが何してくれるっていうんだ。でも、それを手に入れなきゃならない気になる。なぜなら、それがダイアモンドだからだ。お金よりずっと手に入れるのが難しい類のもんなんだよ。

つまり、あなたはダイアモンドということですね。

そういう風には表現したくないけどな。自分は自分だと思ってるから。でも、他の誰にも提供できないものを、俺は持ってる。

着用アイテム:シャツ(SSS World Corp)

今、あなたがファッションのお手本にしている人は?

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)。

ロックスターの頂点に君臨する彼ですか。

俺はロックスターなんだ。俺は他の誰でもない、自分の感じるままにやろうとしてるだけだ。でも、もし誰かから何かスタイルを借りるとすれば、完全無欠の伝説的存在しかないよ。

Safra Ducreayは心の拠り所はロンドンとしながら、ロサンゼルスを拠点に音楽と文化について書くカナダ人ライターである。『Vogue Italia』、『Interview』、『i-D』、『Dazed & Confused』、『Harper's Bazaar UK』、『The Independent』などで執筆を行う

  • インタビュー: Safra Ducreay
  • 写真: G L Askew II
  • スタイリング: Sandy Phan
  • 写真アシスタント: Nicole Valencia
  • ヘア: Hee Soo / The Rex Agency
  • デジタル技術: Patrick Gonzales