フライヤーで辿る
懐かしきレイブの時代
Colpa Press出版の記録から、
パーティーの熱気が蘇る
- 文: Maddie Klett
- 画像/写真提供: Colpa Press

サンフランシスコでColpa Pressを運営するルカ・アントヌッチ(Luca Antonucci)とデイヴィッド・カスプラザック(David Kasprzak)にとって、レイブのフライヤーを集めた本を出版することは、それぞれのコレクターが生きた時間を共にする機会だ。Colpa Pressはアート、音楽、デザインを広く扱うほか、VHSのコレクションも行ない、ミッション地区にあるスタジオにはテープがずらりと並んでいる。だがいちばんよく知られているのは、このネオンカラーの表紙のポケット版レイブ フライヤー集だろう。このシリーズは、ロサンゼルスから東京まで、世界各地の独立系書店に置かれている。2016年に出版した初巻は、かつてロサンゼルスで企画されたパーティーのフライヤー集だった。以後、往年のパーティー ピープルが個人的に収集していたフライヤーを、シリーズとして出版し続けている。年代は主としてレイブ全盛期の1990年代初頭、場所はニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンなど。いちばん新巻の「La Ruta del Bakalao」は、フランコ独裁政権が終わった1970年代後期から1990年代にかけて、スペインの沿岸地帯で生まれたクラブ カルチャー年代記だ。
ルカとデイヴィッドが協力を仰ぐコレクターたちは、10代の頃の生活にレイブが非常に大きな意味を持っていたために、関連した出版物やグッズを熱心に収集した人たちだ。それが後の世代のためにもなるなど、思ってもいなかったことだろう。アングラシーンには人気と衰退の時期があり、「1990-1996」、「1991-1993」など、各巻の表紙に記された年代が墓に刻まれた生年と没年を思わせる。コレクターとの関係、純粋にファンであることの素人臭さ、フルコース並みのパーティーについて、ルカとデイヴィッドが語った。
マディ―・クレット(Maddie Klett)
ルカ・アントヌッチ(Luca Antonucci) & デイヴィッド・カスプラザック(David Kasprzak)
マディ―・クレット:最初に出版したレイブ フライヤー集は? どういう経緯でシリーズになったの?
ルカ:最初の『San Francisco Rave Flyers 1991-1993』は、Flickrで目にしたコレクションがきっかけだった。色々な場所の歴史を物語る短命なカルチャーへ出版のテーマを広げたいと思ってた矢先だったから、「これだ!」と思ったね。それでアカウントを運営してたSioen Rouxと名乗る人物に連絡して、掲載されてるフライヤーで、パーティー通いをしていた頃の彼の人生を語りたいと説明して許可を貰った。Sioen Rouxは亡くなったけど、そういう具合に最初の1冊が生まれたせいで、その後も、各巻毎に誰かひとりのコレクションを紹介するという作り方が決まった。
デイヴィッド:どれも、冒頭にコレクターへの献辞がある。
コレクターとはどんなふうに共同作業を? 掲載する写真と順番は誰が決めるの?
デイヴィッド:コレクターが持ってるものを、取捨しないで、全部貰う。最初にサンフランシスコ版を出したら、ロサンゼルスやニューヨークのパーティーのフライヤーをたくさん持ってる人たちが連絡してきた。そういう人たちのコレクションを見せてもらって、僕たちの本の体裁を説明するんだ。ページ数は必ず84ページ。順番やレイアウトは僕たちに任せてもらって、見本を送って、フィードバックを貰う。ほとんどの人は「ただ持ってたってしょうがないし。箱に入れてベッドの下へ25年間突っ込んだままだったんだから、好きにして」って感じだ。
ルカ:人それぞれだけどね。例えばDB・バークマン(DB Burkeman)のコレクションだった「New York Volume 2」は、フライヤーをデザインしたのもパーティーを企画したのも、全部、彼なんだ。
デイヴィッド:ニューヨークのアート ブック フェアでばったり本人に会ってさ。僕たちのブースのテーブルから「New York Volume 1」を取り上げて、クスクス笑いながら「これに出てるフライヤーは、全部オレのデザイン」って言うんだ。それから冗談めかして「心配しなくても、停止通告書を出したりはしないから」。それからしばらくの間、彼から来るメールの件名はずっと「停止通告書」だったよ。
ルカ:写真とフライヤーと文章を入れた体裁だと、話は違ってただろうね。それだと歴史の説明になるから。でもそれは、絶対やりたくなかった。90年代初めは、コンピューターでDTPとデザインが出始めてきた、とても興味深い時期だ。僕たちはその時期のデザインを見せたかった。
デイヴィッド:だから初期のフライヤーには、誇張したおもしろいデザインが多いんだよ。そして今、当時のデザインが復活しつつある。当時のフォントを探してる人もいる。

協力:Colpa Press。冒頭の画像:「NY Rave Flyers Vol. 2 1990-1995」見開き。画像提供:Colpa Press、DB Burkeman
当時のパーティーを歴史として提示することには、興味がないわけね。だけど、パーティー カルチャーを生んだ時と場所に、共通性は見えてくる?
ルカ:ヨーロッパには未成年が踊れる場所があったけど、アメリカにはなかった。だから、サンフランシスコとニューヨークとロサンゼルスのパーティー カルチャーは、非合法のかたちでしか生まれ得なかった。サンフランシスコ育ちで、レイブやDJに通った僕の経験からすると、パーティー カルチャーは、あの種の音楽が好きで、自分の興味をもっと突き進めたいという若者の欲求から必然的に生まれたんだ。一晩中踊りあかして、それに付随するすべてを求める欲求から生まれたムーブメントだから、それにふさわしいデザインが生まれたと思う。
デイヴィッド:レイブが盛り上がった90年代、未成年者は正式なクラブやバーには入れなかったから、自分たちが作った音楽や外国の音楽を演奏する場所を他所で見つける必要があった。ニューヨークは、ディスコとファンクが冷め始めた頃だったから、ちょっと状況が違う。ディスコが消えて空いた場所を使い始めたんだ。DB・バークマンなんかも、イギリスからやって来たくち。イギリスではドラムとベースで相当な人気があったが、アメリカではほとんど知られてなかった。それでアメリカへ来て、自分の音楽のスタイルに合ったパーティーを開いて演奏したら、人気が出た。誰もそれまで聴いたことのない音楽だったから。そういう具合に、徐々に音楽、それも電子音楽の特定のジャンルの世界が作られて、それがデザインにも反映された。ジャングルだったらフライヤーのテーマもジャングル、ドラムンベースだったらもっとメタリックでインダストリアルなデザインとか。
いちばん新しい巻の「La Ruta del Bakalao」は、今までの巻と違って、歴史的な背景が入ってるのね。コレクターのインタビューもあるし、当時の写真、アーティスト集団Vista Oralのエッセイもあって、スペインのバレンシア地方で生まれたパーティーが、びっくりするくらい詳しく紹介されてる。フォーマットを変えたきっかけは何?
デイヴィッド:友だちのマイテ・ムニョス(Maite Muñoz)が、情報を持ち込んできた。マイテはロサンゼルスに住んでるライターでアーティストなんだけど、話によると、バレンシアのルーベン・ヘルナンデス(Rubén Hernández)という男が自宅でLa Rutaというレイブ博物館をやってて、フライヤーやポスターやグッズ、ありとあらゆるものが何千とある。スペインは、フランコ体制が終わった直後の1970年代にレイブのムーブメントが始まったから、背景にもっと大きな政治の歴史があったんだ。当時都市区画法なんてものはたいしてなくて、夜通しパーティーできたし、場所は郊外が多くて、ひとつのクラブが閉店したら次が開店という具合。ハシゴだな。そうやって、特定の場所のクラブというより、クラブ巡りのルートができあがった。

「La Ruta del Bakalao: Museo del Remember 1985-2012」見開き。画像提供:Colpa Press、Susana Oliva

「La Ruta del Bakalao: Museo del Remember 1985-2012」見開き。画像提供:Colpa Press、Rubén Hernández

「La Ruta del Bakalao: Museo del Remember 1985-2012」見開き。画像提供:Colpa Press、Rubén Hernández
ルーベンが当時の体験をフルコースのメニューに喩えてるのが、面白かった。
デイヴィッド:音楽のジャンルは重要じゃなかったらしい。ゴスのクラブへ行って、次は違うジャンルの電子音楽がかかってる場所へ行くとか。ルーベンが言ってるように、週末中、色々と種類の違う音楽を味わう感じ。アメリカは違うね。「ハウスのクラブしか行かない」みたいな人が多い。スペインでは、色々なスタイルが歓迎された。
それぞれのクラブにアイデンティティがあったのね。
デイヴィッド:そう、「チョコレート」はゴスのクラブとか。なんか、結びつかないよね。「スプーク」がゴスっていうんならわかるけど。
ルカ:クラブに入れなかった連中が駐車場でパーティーをするようになると、移動がカルチャーになった。誰もかれもクルマを改造して、すごいサウンド システムを乗せて、次のクラブがオープンするまで駐車場でパーティーするんだ。
デイヴィッド:言うなれば移動バーティーだな。制限の多かったファシズム時代から抜け出すのは、確かに喜びだったと思うよ。
ルーベンは13歳のときからフライヤーを集めたと言ってるわね。まだクルマも持ってない、だからパーティーへも行けない、でも一生懸命フライヤーを探しては集めてた。そういうルーベンみたいな経験が、スペインのレイブの背後にあった状況を物語ってるんじゃないかな。つまり、自分を超えた何かもっと大きいものに繋がりたい。そう願う若者たちの欲求から、レイブが生まれた。
ルカ:レイブの音楽に限らず、大抵のサブカルチャーでも、そのことを忘れがちだよね。だけどサブカルチャーっていうのは、本来、ファンの大きな力で始まるものだ。身近に自分を映せるものがないから、パーティーやサブカルチャーに繋がりを求める。繋がりを感じられるものを見つけて、「歓迎されようがされまいが、仲間に入るぞ」と思い決める。みんな、そうなんだ。その代表的な実例がルーベン。
デイヴィッド:生まれ故郷に対する誇りもあると思うね。ルーベンは、マドリッドやバルセロナへ引っ越すより、地元で暮らすことを選ぶ。あの地方独特の精神風土から生まれたムーブメントだ。
ルカ:僕らが一緒に仕事をしたいのは「ファン」であって、アーキビストでも、歴史家、キュレーター、その他レイブを歴史の文脈に当て嵌めようとする専門家でもない。ファンの目線から語られるストーリーのほうに興味があるんだ。実際のところ、僕たちが出版する本は全部そう。ビジュアル アーティストと仕事をするときも、ファン雑誌を目指す。周囲の出来事を分析したり解釈したりすることにもそれなりの意味はあるが、僕らみたいにリソースの限られた小規模な出版社は、一人称で語るほうが賢い。それは最初からわかってた。
デイヴィッド:僕らが興味を持ったテーマを、どうすれば忠実に代弁できるか。それが出版社としての僕らの責任だと、常々考えてる。特定のスケジュールに縛られる大規模な出版社じゃない点で、僕たちは独自の立ち位置にあるし、もっと距離が近い。

「London Rave Flyers 1990-1996」見開き。画像提供:Colpa Press、Matt Acornley
あの巻の中で、どのアイテムが好き?
ルカ:どれひとつとっても、嫌いなものなんかないよ。
扇子がものすごくスペイン的! いかにもフラメンコの国らしい。でも、あれ、クラブでもすごく役に立ちそう。
デイヴィッド:だろ? 気がついたと思うけど、「La Ruta del Bakalao」は左側が全部スペイン語なのに、あのセクションの見出しは英語の「merchandising」になってる。奇妙な言葉の選択だし、文法的にも正しくないけど、あれがスペイン英語というか、スペインで使われてる英語らしい。クラブにつきもののアイテムは常に「merchandising」と呼ぶことになってるから、他の言葉で呼ぶと意味不明になる。ルーベンも「merchandising」を使ってた。
ルカ:僕はアマチュアの視点が大好きだし、最大限に肯定的な意味でアマチュアって言葉を使うんだ。特にサンフランシスコの巻が好きなのは、僕自身が経験したカルチャーの要素が全部再現されてるから。映画やロックのポスター、1970年代のサンフランシスコのファッション…、すべてがどこか中間の風変わりな美学に姿を変えている。「La Ruta」の巻は、スペインという国の影響、スペインなりのダンス ミュージックに対する理解が、視覚のかたちで表れてる。
デイヴィッド:ファンっていいよ、必然から生まれるものだから。みんながタバコを吸ったら、ライターと灰皿が必要になるのと同じ。海に近いバレンシアで、暑くて、広々とした駐車場にいる。そんな場所でいい気分になれるものがあるのに、ちまちまとTシャツを作ってる必要なんか、ないだろ。
Maddie Klettはアート分野のライター、研究者。米国在住
- 文: Maddie Klett
- 画像/写真提供: Colpa Press
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: March 2, 2022

