高橋盾と
リアリティの
バトル
UNDERCOVERのデザイナーが成功の絶頂にありながら規模の縮小を考える理由
- 文: Ashley Ogawa Clarke
- 写真: Shun Komiyama

6月に開催されたパリ ファッションウィークでは、UNDERCOVER(アンダーカバー)の舞台裏にいつもと同じく騒々しいジャーナリストが詰めかけ、ディクタフォンとモバイルデバイスを振り回していた。今しも大きな拍手のうちに高橋盾のメンズウェア最新コレクション ショーが幕を下ろしたばかりだから、部屋じゅうが興奮で昂っている。だがトレードマークのサングラスをかけ、つば広の帽子を被った54歳のデザイナーは、相変わらず口数が少ない。今も通訳の横に立ちながら、質問に答えるよりは、質問を受け流している感が強い。
高橋が築いたキャリアは日本でも指折りのサクセスストーリーだ。魔術師あるいは独創のアーティストと呼ばれ、華麗なランウェイショーは喝采を博し、ファッション界に広く愛される。高橋の内面のオモチャ箱から飛び出してくる多種多様なサブカルチャー、映画、音楽との関連は、奔放な空想の形をとることもあれば、パンクな実用性の形をとることもある。1998年のコレクション「EXCHANGE」は、ひとつの服からジッパーで取り外した部分を別の服につけられるデザインがあった。昨年のシアなゴールデンのコートは、背中のファブリックの内側に天使の翼が折り畳まれているように見えた。デザイナーとして頂点を極めた今、ファッションの歴史に記した足跡はもはや消えるはずもない。
UNDERCOVERの東京本社は原宿にある。輸送コンテナのような外観の超現代的ビルを訪ねた夏の週日の午前、高橋はピカソ(Picasso)のサインがプリントされたブラックのTシャツにべっ甲縁の丸眼鏡というスタイルだった。Tシャツは色褪せており、眼鏡はかけたり外したりを繰り返される。だがその後カメラマンが到着すると、高橋はダークなサングラスをかけ、木島隆幸デザインの帽子をかぶった。
自分本来の場所ということもあって、高橋はパリのときよりはるかに物腰が柔らかく、話しやすい。ビルの最上階全部を占める広大なオフィスは、UNDERCOVERの聖域だ。「散らかってて」と高橋は言うが、それは謙遜というもの。彼がいうところの「散らかり」は素晴らしい眺めなのだ。天井からは、ウィリアム・ギュイヨン(William Guillon)のデザインによるブロンズの照明が、異世界の鍾乳石のようにぶら下がっている。はるか向こうの壁面を覆っているのは、ロバート・ボシシオ(Robert Bosisio)の絵画だ。透き通るように霞んだ抽象的作品は、今シーズンのメンズコレクションにプリントされていた。正面には、マーカス・アッケーソン(Markus Akesson)が彫刻した朱鷺の巨大なレプリカが置かれ、嘴が空中で大きな曲線を描いている。近くのテーブルの上に毅然と座っているのは、高橋自身が創作したテディベアだ。戦争で傷つき、失った顔の半分から詰め物がはみ出している。僕たちが腰を下ろしているのは会議室風の大テーブルで、椅子の背面には〇で囲んだ「A」の文字がある。「anarchy(アナーキー)」の「A」

しかしなんと言ってもいちばんの見ものは、とてつもなく大きな2台の「Altec(アルテック)」スピーカーだろう。元来は映画館用に設計されたものだが、高橋はオフィスで音楽を聴くために使う。彼はSpotifyの公開プレイリストも作っているのだ。最新版では伝説的ミュージシャン井上陽水の「コーヒールンバ」にさまざまな現代サイケデリック ロックを組み合わせた。「今朝もプレイリストを作ってるところ」と、楽しそうだ。
オフィスには「大抵10時半か11時頃」に行き、6時頃に出ると言う。「その後、家へ帰って犬の散歩」。2歳になる愛犬のジャックラッセル テリア「X」は、今、オフィスの片隅でスヤスヤと寝息を立てている。高橋は、東京でなければ、東京から南へ1時間ちょっとの葉山のスタジオにいることが多い。昔から富裕層に好まれる海岸の町だ。では、ワーカホリックではない? 「以前はそうだったけど、最近は必要最低限のスケジュールと決めている。そして、それが終わったら帰宅する。仕事時間はできるだけ短くして、その後は頭のスイッチを切って、絵を描く」
高橋の絵画は注目の的だ。以前は作品を人に見せなかったし、見せるとしても親しい仲間うちだけという私的な趣味だったが、昨年初めて東京で個展を開いたところ、全作品が即完売という反響があった。10月には香港での個展が続く。目のない肖像とこの世のものならぬ生き物が棲む夢幻の世界はシュールレアリスム派を思わせるが、あくまで自分の直感から描くと高橋は言う。
“シーズン毎にショーを発表するやり方には疑問の余地がある”
今インタビューしている高橋の背後の窓に立てかけてあるのは、最新作のひとつだ。キャンバスの大きさ、そしてミケランジェロ(Michelangelo)の「アダムの創造」を連想させるストーリーに圧倒される。だがそこでは、神と最初の人間が指を触れ合う代わりに、首が長くて頭は小さな空白の球という青っぽいヒューマノイドが、雲の上に大きくそびえ、壁面のような長方形へ手を伸ばしている。長方形の中はたくさんの漫画的な悪霊たちでいっぱいだ。ヒューマノイドの手と壁面の接触からは白熱の電流が迸り、キャンバスの中央を貫いている。最近のメンズコレクションでは、この画像がブレザーにプリントされていた。
高橋はこの絵をあまり説明したがらず、「難しすぎる」と肩をすくめる。そこをさらに押すと、笑いながら言う。「壁があって、ピンクマンがいて、対決してるんだ」。高橋が生み出したピンクマンとは例の青っぽいヒューマノイドのことで、「ある種の悪魔か天使、あるいはマシンのようなもの」だ。立ち向かうピンクマンを吸い込もうとしているような壁面は、リアリティを表す。「ピンクマンはリアリティと戦っている」。高橋にとっては馴染みのあるバトルだ。彼の作品とその背後にある魔術は、常に、子供のようなリアリティの拒絶と拒絶の次に来る子供のような空想が核にあるからだ。ビジネスとしてのファッションに対する明晰な知性や実際的な才能にも増して高橋に成功をもたらしたそれらの要素は、一体どこから生まれたのだろう?
高橋は東京から北へ約2時間の小都市、桐生で生まれた。「きれいな所だけど、雰囲気はすごく暗かった」と高橋は回顧する。「夏は暑すぎて、冬は寒すぎる。そして人がいない。自分の空想のなかだけで生きてるような気がした」。悪いことをすると、両親は幼い高橋を石炭の貯蔵小屋へ閉じ込めた。今は笑い話にしているが、明晰夢や悪夢の源は当時の闇への恐怖ではないのか? 「そうかもしれない。ひとつの要素ではあるな」と高橋は言う。

よくテレビで映画を観る両親だった。オフィス清掃会社のマネジャーだった父が、スラックスにアイロンをかけて、シワひとつない完璧な状態に仕上げていたのを高橋は覚えている。「親父はすごくカッコいい裾広がりのズボンを穿いてた」。小学校の高学年になると、当時アイドル歌手だった近藤真彦の煌びやかなスタイルに驚嘆した。「シルバーの複雑なデザインのブルゾンジャケットに、Nike(ナイキ)のブラックとシルバーのラインが入ったコルテッツスニーカーとか、衝撃だった。それまでシルバーの服を着てる人なんて見たこともなかったから、すごくカッコいいと思ったよ」
パリのショーの舞台裏では、報道関係者やファンや取り巻きが押し寄せるさなかで、年配の日本人夫婦が静かに見守っている姿がしばしば見受けられた。高橋と両親の関係はとりたてて密接ではないが、両親はキャリアを通じて不変の存在だ。現在も桐生在住だが、息子のショーには必ず同伴する。ランウェイでショーを発表してきた過去30年で、両親の姿がなかったのは一度だけ。「両親はコレクションのテーマやデザインには無関心だけど、よくやった、素晴らしかった、と言ってくれる。すごく純粋にね」
それが高橋と両親の繋がり方だ。「日本の男は元来、両親とあまり話をしない。お互いにあまり心を開かない。とても悲しいことだ。僕の子供たちには同じことを押し付けずに、できるだけオープンでいたい」と高橋は言う。「だけど、ある意味、僕は親父とそっくりだ」
学校では、同じように映画や音楽好きの生徒と仲良くなった。「僕自身は態度の悪い生徒じゃなかったけど、悪ガキ連中と気が合った」。美術と描画と社会科が好きで、数学は大の苦手だった。それは現在も変わらないから、UNDERCOVERの財務は弟が担当している。高校卒業後は、ファッションを勉強するために東京の文化服装学院へ入学した。「あまり真面目な学生ではなかった。しょっちゅう遅刻したり、二日酔いで授業中に居眠りしたり。だけどその頃でも」、学友たちと比べて、「僕が想像する世界はまったく違っていた」
“本気になって、自分にしかできないことを世界に見せること”
高橋は怠惰な学生ではなかった。BAPE(ベイプ)の創設者であり、現在はKenzo(ケンゾー)のデザイナーを務めるニゴー(Nigo)と共同で「NOWHERE」をオープンしたのは、1993年のことだ。以後、ふたりは裏原宿のストリートウェアを形作る中枢となった。「当時はニゴーも僕も何も考えずにただ楽しんでたけど、今思い返すと、ファッションの歴史の大きな一部になった気がする」。シルクスクリーンを使ったTシャツは、後のストリートウェアを先取りするものだった。「ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)なんかは、絶対に影響を受けたデザイナーのひとりだよ」と高橋は言う。「僕はもともとストリート出身だ。ファッションと並んで、音楽とサブカルチャーで活動を始めた。僕がやりたいのは、音楽とサブカルチャーをミックスして、同じ高さに置いて、世界へ伝えること。昔も今も、それが創作に対する姿勢だ。ほぼ何も変わってない」
とはいえ、すべてが変わった。裏原宿から出発した数十年間で、高橋は日本で屈指の有名ファッションブランドを確立し、現在は社員100名を擁する。製品はロンドン、ニューヨーク、コモ、成都、と世界のあらゆる場所で販売されている。シーズン毎に異なるテーマは強く印象に残り、映画に関連することも多い。近年では、吸血鬼ノスフェラトゥ(Nosferatu)のシルエットとシンディ・シャーマン(Cindy Sherman)の写真をシャツにプリントした。『2001年宇宙の旅』の宇宙飛行士、黒澤明の侍、『時計仕掛けのオレンジ』のギャングにキャットウォークを歩かせた。1990年代の人気アニメシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』から着想して、マスクとジャケットもデザインした。


テーマには選び方があるのだろうか? 「特別深い意味はなくて、毎回、頭の中にあるデータとその時々に興味があることで決める」。今シーズンは新しく見つけたオーストラリアのバンド、グラス ビームス(Glass Beams)をテーマに選び、パリのメンズウェアショーでは、催眠的なサイケデリック ロックの演奏をスクリーンにプロジェクトした。グラス ビームスにはYouTubeアルゴリズムがフィードするお薦めを辿って行き着いた。「僕の好みを知ってるんだ」と高橋は笑う。
ショーサイクルを持続する難しさに限界を感じるデザイナーが増えているが、成功裏にショーを続ける高橋もそのひとりだ。ウィメンズウェアのショーを止めてメンズウェアに集中し、両者の境界を取り払うことも考慮中と言う。「シーズン毎にショーを発表するやり方には疑問の余地がある。ラフ・シモンズ(Raf Simons)がオンラインで毎年数回のコレクションは多過ぎると発言していたけど、僕も同感だ。どうしてみんな、ファッションショーとかバイラルとかに嬉々として固執するんだろうな? もう少し実体のあるものを創ったほうがいいと思うけど」
特に若手デザイナーにとっては「苦闘だ」と認める。「日本のファッション業界はすごく偏狭なところがある。独立デザイナーとしてスタートしたら、ずっとひとりのままだ。他の国のように、誰かが支援する体制がほとんどない。ファッション業界には、政府か企業が財政支援を提供する仕組みが必要だ」。次世代へ送るアドバイスは? 「本気になって、自分にしかできないことを世界に見せること。スタートを切るのは簡単だが、継続はとても難しい。鍵を握るのは想像力だ」
UNDERCOVER 2024年春夏ウィメンズウェア ショーの最後には、光るテラリウムドレスが登場した。明るく輝くスカートの中に花と蝶が見える。高橋のキャリアを通じて、もっとも強烈なハイライトのひとつだったし、高橋の創作の本質を的確に象徴するものでもあった。少しばかり不気味で暗鬱だが、美しい。ショーは広く称賛され、ビジネス オブ ファッション(BoF)が’選ぶ今シーズンのショートップ10で、首位のPrada(プラダ)に次ぐ第2位選ばれた。「2位!」と高橋は誇らしげだが、それでも対抗意識はないと断言する。好評であれ不評であれ、長くかかずらうことはファッション業界の体制が許さない。「もちろん評判が良ければ嬉しいし、評判が悪ければ悲しいけど、いつまでも引きずるタイプじゃないしね。次がやって来るから、『次は何をするか』っていうプレッシャーを感じる」
高橋は次に何をするのだろう? 毎シーズン、バイヤーとジャーナリストとファッションファンが期待に胸を膨らませる疑問だ。キャンバスを通してであれ、ウェアを通してであれ、高橋は自分の内面の隅々まで探り続け、次に引っ張り出せるものを考える。高橋のレゾンデートルは揺るぎない。「僕はもともとストリート出身だ。ファッションと並んで、音楽とサブカルチャーで活動を始めた。僕がやりたいのは、音楽とサブカルチャーをミックスして、同じ高さに置くこと」。高橋ほどにそれをやってのけた者は、これまでのところ、ひとりもいない。「僕と同じ立ち位置の人はほとんどいないと思う。だけど、ここが僕の場所だ。世界のなかで僕が占める場所だ」
Ashley Ogawa Clarkeは英国人ジャーナリスト、ファッション評論家。東京在住。『The Wall Street Journal』、『Vogue Runway』、『Vogue Business』に定期的に記事を執筆している
- 文: Ashley Ogawa Clarke
- 写真: Shun Komiyama
- 写真アシスタント: Nakata Tatsuki
- プロダクション: Chloe Snower, Reiko Suga
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: July 25, 2024

