ウィレム・デフォーのオフハリウッドな情熱

ヨルゴス・ランティモス監督の新作『哀れなるものたち』でも独特のシュールな雰囲気を映画に与えるベテラン性格俳優の「らしさ」が光る

  • インタビュー: Alex Frank
  • 写真: Tom Kneller
  • スタイリング: Thom Bettridge

ウィレム・デフォー(Willem Dafoe)は、過去40年にわたり、娯楽映画と問題作の両方に出演し続けてきた特異な俳優だ。彼がスクリーンに現れた時の格別な嬉しさを、どう表現すればいいだろう? ヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)監督の新作『哀れなるものたち』を観終わったあとも、同じ思いが残る。ランティモスとデフォーは、今まで実現しなかったのがおかしいくらい、最高にぴったりの顔合わせだ。ランティモスの独創的な信念と作品歴は、ある意味で、デフォーの理念やキャリアと重なる。ふたりとも、不条理を好む傾向と映画界の主流を自由に出入りする敏捷さを見せてきた。ランティモス作品は、『籠の中の乙女』のような難解なブラックコメディからもう少しとっつきやすい『女王陛下のお気に入り』まで、幅広い。いかにもハリウッド好みの教養小説をこの上なく甘美に映像化した『哀れなるものたち』も、現実離れした内容ではあるものの、適度な親しみやすさがあるから、これまで以上に幅広い観客を引き寄せるかもしれない。ただし、彼ならではの要素は失われていない。

デフォーが演じるのは、フランケンシュタインみたいな傷痕だらけの天才外科医ゴドウィン・バクスター(Godwin Baxter)だ。彼は、エマ・ストーン(Emma Stone)演じる自殺を図った若い女性を生き返らせる。筋が進むにつれ、歩き方に始まり、人間らしい動き方を文字どおり一から学び直す彼女の様子も、とても面白い。映画の最初から最後まで、食後にシャボン玉みたいなものをゲップのように吐き出すバクスターは、デフォーの最大の強みと強烈な個性を惜しみなく輝かせるキャラクターだ。往時のヨーロッパの街がサイケデリックなサイエンスフィクションに変容した、見慣れない幻覚のような世界へすっと馴染んでしまうデフォーの身の軽さ。瞳の不気味な煌めき。何よりも、想いと哀愁を秘めた存在感。デフォーが与えるさまざまな喜びを言葉で説明するのは難しい。だが、僕らの目前で彼自身がすべてを華麗に披瀝してくれる時、言葉が要るだろうか?

ウィスコンシン州出身のデフォーは、1970年代にニューヨークの実験劇場で演技を始め、その後、映画界へ入った。以来、野心的な監督の野心作を選んできたことが歴然の経歴は、演劇を志す者にとっての憧れであり、手本でもある。カトリック教会に冒涜と非難されたマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督の『最後の誘惑』、ミステリアスでSM的要素の濃いラース・フォン・トリアー(Lars von Trier)監督の『アンチクライスト』、虚構と狂気を突き詰めたロバート・エガース(Robert Eggers)の『ライトハウス』。マーベル時代の始まりを告げた2002年の『スパイダーマン』では、主役を食うほどだった。あのしわがれ声で大笑いする悪役グリーン・ゴブリンを演じられるのは、デフォーをおいて他にない。グリーン・ゴブリンを演じるために生まれた俳優だ。言うまでもなくイエスを演じた『最後の誘惑』など、主演作もあるが、助演で広く知られるデフォーは、いつまでもあとを引く強烈なスパイスのようだ。

どんな役を演じようと、デフォーは間違いなく記憶に残る。『哀れなるものたち』では特殊メイクでさらに誇張されているが、元来の骨張った容貌が、典型的なハリウッド スターとかけ離れているせいではない。明らかに異様なアクセント、振る舞いに表れる神経質な過敏さや傷つきやすさ、電気のようにビリビリと伝わってくる狂気に近い奇矯など、ほぼすべての演技に、僕らの無意識に引っ掛かる何かしらの一貫した要素があるからだ。デヴィッド・リンチ(David Lynch)の『ワイルド アット ハート』で演じた危険な犯罪者には、そんな力量が遺憾なく発揮されていた。直近ではフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)を演じた2019年の『永遠の門 ゴッホの見た未来』を含め、アカデミー賞には4度ノミネートされているが、一度も受賞に至っていないのは、アカデミー賞投票者に迎合する映画ではなく、挑戦を突きつける映画を選ぶのが理由だろう。だが、そんなことはどうだっていい。過去数十年間、大衆カルチャーの周辺で、かくも才能豊かで好奇心に溢れたユニークな人物を楽しめている僕たちは幸運だ。『哀れなるものたち』は、僕らが本能的にずっと前から知っていたことを改めて証明している。つまり、ウィレム・デフォーの存在を当たり前だと思ってはいけない。

ローマの自宅から、今年68歳のデフォーが自身の原動力を語った。

アレックス・フランク(Alex Frank)

ウィレム・デフォー(Willem Dafoe)

アレックス・フランク:ハリウッドの活動を全面的に停止させたストライキが終わったところですが、ワーカホリックと言われているあなたは、その間何をしていたのですか? どうやって目的意識を持ち続けましたか?

ウィレム・デフォー:僕は、俳優業以外のことを色々やるのがかなり上手いんだ。やらなきゃいけないことをやろうとしたら、24時間では足りない。一番辛かったのは、常に、体の内側がむずむずするようなこと、難しいがやりがいのあること、活動の方向性が定まることに関わりづらかったところだな。動いてるのが好きだから。 目が覚めた時、その日にやるべきことがはっきりわかってるのがいい。映画のセットで仕事をするのはいつも楽しいよ。やるべきことがあって、それが毎回違う。

撮影や舞台がない時でも、普通は大抵、準備がある。ところがストライキのあいだは制約があって、交渉に有利な立場を守るために、そういうことが全部が止まってしまった。将来がはっきりしないだけじゃなくて、将来を口にする人もいなかった。何かを作り出すことが生業で、あちこち移動する遊牧民みたいな暮らしをして、プロジェクトが打診される都度にひとつずつ引き受けていく人間にとって、そういう流れが止められるのはかなりのストレスだ。

僕はフリーランスのライターです。スケールはちょっと違うけど、あなたもフリーランサーに近いですよね。僕の場合、仕事がない時は計画や目的を持てないのですが…。

僕もそれが辛かったと思う。もし僕が苦痛を感じていたとすれば、理由はそれだけだ。同時に、そういう状態は戒めでもある。自分の好きなことをしていられる幸運を思い出させてくれる。必要に迫られたら他のことができる、ということも気づかせてくれる。

先ほど準備の話が出ましたが、役作りにはどういう準備をするのですか?

役になりきった感覚を掴んだ自信が持てるまで、必要だと思うことを全部やる。その人物に成り代わって、「僕はこの男だ。僕以外にこの男はいない。僕がこの男だ」と言えるようになる。じゃあ、どんな方法でそうするか? リサーチをするか、あるいは役を完全に自分のものにできることをやる、役を演じるうえで確かな説得力を身に付けていく。最小限の準備しか要らない場合もあれば、とても広範囲な準備が必要な場合もあるがね。

ゴッホを演じた時は、リサーチが大変だったんじゃないですか?

彼が書いた書簡を全部読んで、伝記を読んで、人生にまつわる資料を読んで、解説を読んで—僕にとってはどれも違う意味があったよ。だが実際に絵を描くシーンが多かったから、絵の描き方も学ぶ必要があった。すると、絵を描くことが鍵になったんだから素晴らしい。当然だ。
僕が絵を描くことに情熱を注いで没頭したから、僕の人生はゴッホになった。そういう感覚が必要なんだ。『哀れなるものたち』のような映画の場合は、原作の本を読んで、台本を読んで、アクセントを練習して、縫合のやり方を勉強して…。

ちょっと待ってください。『哀れなるものたち』の外科医を演じるために、縫合の仕方を勉強したんですか?

そうそう。

誰から教わったんですか?

ブダペストの遺体安置所で働いている女性。市の遺体安置所のメインスタッフのひとりでね、素晴らしい教師だったし、自分の仕事に関わることだから、とても厳しかった。若くて、空き時間さえあればいつもゲームばかりやってたよ。彼女に教わりながら、僕は肉を練習台にして、切ったり皮を剥いだりした。そこまでの必要はなかったかもしれないが、そこまですることで十二分の備えが身につく。余裕が生まれる。映画の中でやって見せるわけじゃないが、それまで一度もなかった経験をすることで、存在感が膨らむんだ。新しい経験が自分を変えて、自分がそこにいる感覚が明確になる。縫合の仕方を知らなかった僕がいて、縫合のやり方を知ってる僕がいる。別の人生に変わった、そう言えることが助けになるんだ。かくして僕はゴドウィン・バクスターになる。

熟練したんですか? 仮りにあなたのローマの家の近くで僕が怪我をしたら、縫合できますか?

うん、できるだろう。

Willem 着用アイテム:Tシャツ(Jil Sander)ジーンズ(A.P.C.)

Willem 着用アイテム:ジャケット(Lemaire)

俳優というと深刻に考え込んでるイメージもありますが、撮影現場でのあなたはどんな人ですか?

ナイス ガイ、いい人だよ。物事が動いている場所がセットだから、僕はセットにいるのが好きなんだ。自分のトレーラーに籠ったりしない。1本撮り終わるまで、一度もトレーラーへ入らなかったこともある。他の人たちを観察するのは楽しいよ。待ち時間が長いから、しばらくすると多少は退屈したりつまらなくなったりもするが、やはり何と言っても特殊な環境だからね。じっと観てると、現場にいる人とそこで進行していることの力関係が、全部わかってくる。トレーラーに籠って、誰かが呼びに来て、 セットへ行って、30秒で撮影開始、なんて僕には無理だ。現場にいて、誰が争っているか、誰が満足しているか、その前のシーンはどうだったか、その前のテイクで問題があったかを見ておきたい。そういう要素が全部織り込まれるんだ。だから現場での僕は、言うなれば覗き屋だな。いつもセットをうろついてる。

カメラが向けられて、キャラクターになった時、体と心はどんな感じですか? あなたという存在に、どんな変化が起きているのですか?

僕は、超人的な集中力で、滑らかにアクションする。なぜなら、感情ですらアクションから生まれるからだ。僕はアクションを信頼しているし、動きを信頼している。舞踏家と同じだよ。スコアを渡されたら、そこには曖昧な部分はまったくない。音楽家にとっての音階と言ってもいい。音楽を奏でる時は、全霊を傾けて演奏してこそ素晴らしい。そうやって、ひとつの音符から次の音符へ移っていく。響きが単調で、ゆとりやインスピレーションを感じさせなかったら、それは演奏家の責任だ。ひとつの音符から次の音符へ移っていくのが音楽だ。いかにして、ひとつの音符を終えて次の音符を始めるか。それが音楽の真髄であり、同じように、ひとつのアクションから次のアクションへ移るのが演技の真髄だ。

僕が言うアクションには、言葉も含まれる。小道具に触れるのもアクションに成り得るし、視線もアクションに成り得る。アクションというのは、ひとつのことから別のことへ移る動きだからね。君が使った存在という言葉はちょっと大袈裟だが、確かに、カメラが向けられた瞬間、俳優には素晴らしい規律が与えられる。頭に銃を突きつけられるようなもんだ。だから、それに応えられなくてはいけない。徹底的に存在しなくてはいけない。

日常生活では、存在している必要はあるが、実存している必要はないんだよ。ありとあらゆる方法で注意は散漫になるし、ありとあらゆる方法で実存が曖昧になる。だが、演じている時の俳優のように、ゾーンに入っている時の俳優のように生きることができたら、素晴らしい実存になるだろう。点と点が結ばれて、「今」から「次」へ移っていく。ずっとそうやって人生を生きることができたら、死は存在しなくなる。「次」へ移らなくなるだけだ。

映像作家、言い替えると本質的なビジョンを持った個性の強い監督と仕事をするのがお好きなようですね。クローネンバーグ(Cronenberg)、スコセッシ、リンチ、フェラーラ(Ferrera)、シュレイダー(Schrader)、そして今回のランティモス。彼らのどういうところに魅かれますか?

僕の好奇心を刺激するから、一緒に仕事をしたいと思う。僕が素材になることで、面白いことをしている人たちを手伝うんだ。よく言われることだが、大切なのは自分じゃない。自分中心じゃない時が最高の自分だ。皮肉だが、何かに打ち込んで自分を忘れるのが、最高の自己を実現する方法だと思う。

ずいぶん高尚に聞こえるが、実際は衝動だよ。たとえ1作でも、僕の心に触れる映画や感動する映画を作った監督には、「空間を共有してみたい。どうやってそんな映画を作るのか、見てみたい」と感じる。そういう作品には監督たちの人生体験が表現されているから、それを盗みたいと思う。そのために、同じ時と場所を共有したいと思う。学んで、自分のものにする。まるきり吸血鬼だな。ひどい話に聞こえるが、言いたいことはわかるだろ。

Willem 着用アイテム:コート(Prada)シャツ(Prada)ネクタイ(Prada)

言葉にするのが難しいんですが、説明してみます。我慢して聞いてください。あなたが映画に登場すると、演じるキャラクターには関係なく、必ずウィレム・デフォーらしさがあって、それがとても魅力的なんです。観客は総じてそのデフォーらしさを見て喜ぶ。自分の映画を観て、あなたにも僕たちの目に映るものがわかりますか? あなたの顔つきとか、身のこなしとか、個性とか、キラリと光るものが見えますか?

イエス。

あれは何なのでしょう?

教えないよ(笑)。それは冗談として、出演した映画を観ても、特に自分だけに注目はしない。仕上がりを確かめたり、その映画について話せるようになっておくために、少なくとも一度は出演作を必ず観ておくけどね。作品によっては、「ああ、あいつはよく知ってる男だ。ああ、そう来るか。あのやり方はいい。あのやり方はあまり良くない」と、客観的に自分を観られることもある。

正直なところ、自分で自分に笑うこともある。理由はよく説明できないが、自分を観て、うまくいってる場合は「なかなかいいじゃないか」と言えるし、「ああ、何やってんだよ」と言えることもある。いい時もあるし、悪い時もある。いつもより段取りが良かったって場合もあるし、一緒に仕事をする仲間がいつもより良かったという場合もある。非常に多くの要素が絡み合っているから、親切心と忍耐を持って、笑えなきゃだめだ。

アメリカの中西部生まれだから、厳しい規律は気にならない。そういうのは、おそらく十分すぎるほど身に染み込んでる。だから、養う必要があるのは、柔軟性とユーモアのセンス。窮屈すぎると、何もかも取り引きになってしまう。すべてが自分中心になって、すべてが苦痛になる。苦痛は人生の一部だし、そこから学ぶことも多いが、自ら求めたりはしないよ。実のところ、苦痛に対する耐性は高いんだ。

その耐性は、肉体的な苦痛に対して、それとも感情的な苦痛に対して?

肉体的な苦痛はかなり上手く扱えると思う。感情的な苦痛に関してはどうかな。

部外者の目から見ると、あなたの名声は理想のレベルみたいな気がします。もし僕がトム・クルーズ(Tom Cruise)だったら、パパラッチや『トップガン』のイメージを壊してはいけないというプレッシャーで、偏執症のノイローゼになってるだろうと思うんです。でもあなたの場合は、ほどよい知名度がわかっているように見受けられます。

どうなんだろうね。ただひとつわかっているのは、演技を厳しく指導された経験が、僕はまったくないことだ。俳優が普通に持つような願望も、僕にはなかった。小規模な前衛演劇でスタートして、キャリアなんかまったく頭になかったのに、そろそろ30年も俳優業をやってるわけだ。ずっとニューヨーク暮らしだったが、今は他の場所で暮らしている。ロサンゼルスで暮らしたこともある。しばらくは楽しいが、僕向きではないな。あちこち移動して、映画に出て、遊牧民みたいに暮らしながら人と一緒に仕事をする。それが僕の人生だ。

誰かの知名度を評価するのは難しいんじゃないかな。トム・クルーズのような人は、おそらく名声の楽しみ方を知ってるんだろう。僕に対しては総じてみんな友好的だし、僕に関心がない人は、僕には構わない。知名度から派生することは、僕の場合、おおむねポジティブだ。もちろん、気まずい思いをすることもある。よくあることだが、便所で放尿してる時にインタビューされかけるとか、レストランで連れと喧嘩して憤然と席を立ったような時に 「ああ、あいつ知ってる。何をあんなに怒ってるんだ?」と言われるとか。何はともあれ、我が道を歩んで、人に対しては親切であることだ。少なくとも、これまでのところ、全然問題はない。僕が俳優だからという理由で不快なことをしてきた人は、ひとりもいない—今のところはね。

「演じている時の俳優のように、ゾーンに入っている時の俳優のように生きることができたら、素晴らしい実存になるだろう」

知名度に関連して、『スパイダーマン』について質問があります。ハリウッドでコミックブックが大規模に映画化されているのをどう思うか、 ぜひ教えてください。それから、『スパイダーマン』ほどの大型映画に出演して、生活にどんな変化があったか、その点も興味があります。

あれはいい映画だった! チームと一緒に仕事をするのも楽しかったし、スタントをやるのもサーカスみたいで面白かった。当時は今ほどCGIがなかったから、ワイヤーを使って、スタントマンがやったのと僕がやったのを混ぜ合わせたんだ。愉快だった。それに、世界中でとても好評だったのも嬉しかった。興行のやり方のせいで、観てもらえなくて涙を飲んだ映画もあるから。ま、『スパイダーマン』に関する限り、そんな問題はないね。

マーベル映画全体に関しては、成功度といい幅の広さといい、見事だと思う。大規模予算の映画は当然、口を出す人が多いし、いろんな思惑が絡んでくるし、リスクが大きい。一方で、幾分かの緩さがあることも珍しくないんだ。部分部分を切り離して、その間に少し空白が残してある。そこで何かが生まれることが期待される。それに応えることが俳優に期待される。全体がそういう具合に構築されている場合は、その中に入って、決められた構造を尊重して、要求されることをする以外に、自分の創意を表現する。

最近は、ハリウッドの現状、ストリーミング、大衆の嗜好の変化のせいで、ハリウッドの今後を危ぶむ声がよく聞かれます。これについてはどう考えますか?

わからないな。映画産業を語ることは、実際は、一般大衆の映画の観方を語ることだ。古臭いと言われるかもしれないが、僕自身は、見ず知らずの人たちがたくさんいる暗い場所へ入って、体験を共有するのが大好きだ。みんなが座席に座って、注意深くスクリーンの上の光を観ている。そういう集団体験は、同時に個人体験でもあるが、とても素晴らしい。

そういう映画の観方が当たり前の習わしだった時は、活力に満ちていたと思う。現在は、違う方法で、素晴らしいことが起きている。映画がもっと大衆的になって、いろんな種類の人が映画を作れるようになって、さまざまな主張や表現が可能になった。

映画の観方も変わった。難しいのは、シリーズものの映画をテレビで観るのが、連ドラを観るのと同じ感覚になってしまうことだ。エピソードを追っているうちに登場人物に親近感を持つ、あの感覚だよ。俳優が参加して、監督が参加して、プロデューサーが制作した、実際は長編に等しい映画を、8話なら8話、視聴者は立て続けに観る。すると愛着が生まれる。「家に帰って続きを観よう」って具合だ。連ドラと同じように、語り口と登場人物に対して親しい知り合い感覚を持つ。家に帰って、夕食を持ってテレビの前に座り込んで、シリーズをストリーミングする。

注意力の質も疑問だ。家に帰って、パートナーに「今夜は面白そうな映画でも観ようよ」と提案して、クリック。「いや、それはつまらない」とクリック。「それもダメ」。5分経って観たいものが見当たらなかったら、「もう寝よう」。そういう人がどれくらいたくさんいると思う? 健全な映画のあり方とは言えないね。

映画は共有されるべきだし、社会的であるべきだし、一緒に観ることで何らかの対話を持てる存在であるべきだと思う。僕自身は1時間半か2時間という枠のなかで完結するのが好きだが、それは僕が口出しすることじゃない。俳優として関わっていることに責任を持つのが、僕の仕事だ。僕にできる精一杯のことだ。だから、本当のところ、気の利いたことは言えないよ。よくわからないから、ちょっと調子がいいことを言い過ぎた気もする。もし僕の生活が別物で、出演したシリーズがストリーミングされて、ものすごく人気があって、しかもそういう仕事を10年間続けてきたとしたら、おそらく、「素晴らしい、これこそ来るべき未来だ」と思うだろう。

Pradaとの関係について質問させてください。あなたはキャンペーンに起用されたし、ランウェイを歩いたし、レッドカーペットでも愛用していますね。Pradaとの関係が始まった経緯は?

実質的な繋がりだよ。Pradaがキャンペーンに俳優を使っていた時、出演を依頼されて、やってみたらとても楽しかった。写真もよかったし、服もよかった。とてもきちんとしたスタッフだったしね。だからランウェイへの出演も引き受けたんだ。それからは演劇でも映画でも、これはという時、服を使わせて欲しいと頼むようになった。Pradaはとても気前よく使わせてくれたし、使い方に関しても非常に寛大だった。例えば劇場で使うのに、デザインを自由にいじって、それをベースにして他のものを作るみたいなことまでやらせてくれた。写真撮影の時、僕が必ず「Pradaのものを入れておいてくれ」と注文するのは、ライナスの毛布と一緒で、あると安心するから。素晴らしい仕立てだし、僕のサイズにぴったりだし、着ててとても気持ちがいい。

ミセス プラダ(Mrs. Prada)とも知り合いだ。親しくはないが、時々、イベントなんかで会うことがある。ミラノにあるプラダ財団は言うまでもないだろ。素晴らしいところだ。ファッションとアートが出会う場所というコンセプトがいい。アーティストに大きく貢献している。Prada自身がアーティストだ。そこがいい。

つい最近亡くなりましたが、ウィリアム・フリードキン(William Friedkin)との仕事で、何か思い出はありますか?

どういう毛色の話を聞きたいの(笑)? 偉大な人だったよ。亡くなる前に、また、親しくしてたんだ。ふたりで何か一緒にやりたいとずっと思っていたが、結局実現できなかった。『L.A.大捜査線/狼たちの街』で一緒に仕事をした時は、驚かされてばっかりだったな。どんどん因習を破る一方で、古典的なものに対して、ある種の敬意を払う人だった。セットへ行って、撮影の準備ができてるのに、「それは全部取り止め。家へ帰る途中でいいロケ場所を見つけたから」なんて言い出して、躊躇わずに変える。常に違う角度からのアプローチを模索して、何事につけても臨機応変で、非常に自由な遊びがあったね。基本的に無名の俳優を使う監督だった。僕も、出演した映画はそれまでに何本かあったが、それほど知名度はなかった。舞台俳優も起用した。腰の位置から撮影したり、冒険を厭わなかった。自分のやってることに自信があったんだ。

特に「これ」という話は思いつかない。思い出のほとんどは、人前で喋るつもりもないし。とにかく彼と仕事をすると、何が起こるかわからなくて、機敏なアドリブが必要だった。

「興行のやり方のせいで、観てもらえなくて涙を飲んだ映画もある」

スコセッシ監督については?

彼について話すとなったら、『最後の誘惑』の体験について話すしかないな。あれは非常に特殊な低予算映画だった。本当に必要最低限しか、資金がなかった。だからこそ素晴らしい作品になったと思う。役作りのためには、まず「赦し」に関する記事が送られてきた。当時の磔刑の方法に関する考古学の発見が書いてあって、『最後の誘惑』で、僕はそれと同じ方法で磔にされた。それからパゾリーニ(Pasolini)監督の『奇跡の丘』を観るように言われた。

彼が長年温めて、ずっと頭の中に持ち続けていた作品だから、とにかく素晴らしかった。もちろん監督としての才能もすごいから、モロッコで、金を使わずに、質素に、短期間で撮影をやってのけた。ハリウッド映画とは正反対に、非常に赤裸々で、僕は美しいものを表現することができた。僕の大切な体験のひとつになったのは、多くを求められたからだ。多くを求められたと言うと、「そりゃイエスを演じるんだから当たり前だろ」と思うかもしれないが、あの映画の本質は、キリストになることへの葛藤だ。キリストであり、キリストではない。キリストになりたくはない。普通の人間としての叫びを振り絞って、非常に大きな意味を背負った何かのために向かったイエスの姿だ。

誰か他の俳優の演技で、大きな影響を受けたり、優れた演技とは何かを教えられたものはありますか?

ああ、それは至るところにある。ひとつだけじゃない。僕は以前から、低俗映画という意味ではなく、B級映画の俳優にとても魅力を感じる。それほど有名じゃないし、それほどいい俳優とも思われていないが、人間らしさのある俳優。そういう俳優を見ると、僕のスイッチが入って、「素晴らしい!」と感動する。

初めて外国映画を見始めたのは多分15か16か17の頃だったが、出ている俳優が誰なのか、有名か無名かも知らないままで観るのは面白かったね。優れた俳優として評価されているのか、初めて映画に出演したのか、80作目なのかも知らないまま。例えばサタジット・レイ(Satyajit Ray)の作品を観ると、スクリーンに映る何かで僕のスイッチが入って、驚きと希望を感じる。あの感覚が好きなんだ。

若い頃に「好きな俳優は?」と聞かれたら、ウォーレン・オーツ(Warren Oates)のような俳優を挙げたかもしれない。普通の生身の人間らしさがあるから。格別いろんな役をこなせる俳優ではないが、地に根を下ろしたところがある。あるいは、ハリ―・ディーン・スタントン(Harry Dean Stanton)のような演じ方をする俳優。ああいう俳優たちには共通の本質がある。ふっと画面に現れた時に感じさせる何か。僕は、多少なりとも、ハリウッド流にそれを表現しているつもりだ。

そのほうが、僕には名優の素晴らしい演技より興味がある。あまりに演技が素晴らしくて「一体、どうしてあんなことができたんだ?」と思うことはある。美しく磨かれた演技もたくさん目にしてきた。美しくて、ハンサムで、優雅で、賢い演技は見てきたし、それはそれで好きだが、僕が本当に心を奪われるのはこっそり忍び寄る俳優だ。

Alex Frankはマンハッタンを拠点とするライター。ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)、マライア・キャリー(Mariah Carey)、ティモシー・シャラメ(Timothee Chalamet)、ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)、アンドレ・スリーサウザンド(Andre 3000)、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)、その他多数をインタビューし、『New York Times』、『GQ』、『VOGUE』、『Pitchfork』、『New York Magazine』、『Fantastic Man』に記事を執筆している。InstagramXでフォローできる

  • インタビュー: Alex Frank
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  • 照明ディレクター: Elio Rosato
  • 写真アシスタント: Matteo Cefaloni
  • グルーミング: Fulvia Tellone / Simone Belli Agency
  • スタイリング アシスタント: Valentina Rossi Mori、 Arthur Qin
  • セット: Eris Mirofci
  • キャスティング: Greg Krelenstein
  • プロダクション: Boon Production
  • エグゼクティブ プロダクション: Emma Edwards
  • ローカル プロダクション: Daniele Ricci
  • プロダクション アシスタント: Chiari Giamesini
  • ロケーション: Emiliano
  • ポスト プロダクション: Gregory Wikstrom
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: December 4, 2023