国境の町で

移民たちは
メキシコ側の粗末なシェルターで
先の見えない日と眠れぬ夜を過ごす

  • 文: John Washington
  • アートワーク: Michael Rinaldi

薄緑色のエプロンをつけた女性が、玄関先の土埃を掃いている。道角には、タイトなジーンズ姿の「アルコン(鷹)」と呼ばれる麻薬カルテルの見張りが立ち、携帯をいじりながら、目を眇めて通行人をチェックしている。眩いほどの空を見上げれば、傾いた電柱からクラゲの触手のように盗電線が湧き出ている。日なたは灼けるほど暑く、日陰は身震いするほど肌寒い2月中旬のことだ。移民シェルターへ向かう私は、アメリカとメキシコが国境を接するソノラ州ノガレスの急勾配の通りを歩いていた。土壌の浸食に備え、古タイヤを積み上げて補強した斜面から1頭の野良犬が確かな足取りで駆け下り、私に向かって吠えたてた。

シェルターの管理人を、ここではイヴァンと呼ぶことにしよう。イヴァンは、斜面の前に駐めたバンから粉ミルクの箱を降ろしているところだった。彼が犬を黙らせ、そのまま上って行くように言ったので、私は礼を言い、丘に刻まれた水平とは言い難い階段を上り始めた。シェルターには倒れそうな四棟の建物があり、日干し煉瓦の外壁に光沢のない白と濃い青のペンキが塗りたくってあった。通りの反対側、私が立っている階段からおそらく12メートルほどの距離に、アメリカが建設した国境の壁がある。乾燥した草と茶色い地面から直立している、錆びたスチール板の列だ。野球のボールでもドラッグを入れたビニール袋でも、壁を飛び越してアメリカ側へ投げ込むのは簡単だろう。壁の向こう側の晴れ渡った水平線上には、大きく膨らんだ監視飛行船が浮かび、常時カメラが稼働している。国境の壁を照射している強烈なライトがスチール板の隙間から見えるが、昼前の砂漠はそれ以上に眩しい。壁に沿って蛇腹形に巻かれた有刺鉄線が延び、鳥が飛び回り、国境巡視隊のトラックが起伏を繰り返す丘陵地を上下していく。光景のすべてが冗長で、あまりに細かく切り刻まれ、人為的な過酷を感じさせる。

シェルターのもうひとりの管理人はマグダとしよう。彼女は、コンクリート床の暗い部屋の中で、ずり落ちそうな金属製の折畳み椅子に座り、壁にかかったスクリーンを見ていた。メキシコの朝のニュース番組とダンス コンテストを混ぜ合わせたような番組では、黒いアイシャドウをたっぷりつけて黒とゴールドの短いドレスを着た女性が、60年代に流行したスイムを繰り返し踊っていた。彼女が鼻をつまみ水に潜るように腰を降ろす都度、揃いも揃って滑稽なほど美形の3人の司会者たちが爆笑する。私はマグダに自己紹介し、ジャーナリストとして記事を書こうとしていることを説明し始めた。するとマグダは私を遮り、国連の国際移住機関がツインサイズのマットレスを24枚寄付してくれたのがどんなに嬉しかったかを喋り始めた。そのうちの10枚は、ところどころが破れた分厚いビニールカバーに覆われたままの状態で、部屋の片隅に積み上げてある。テレビも手に入ったし、天井の石膏ボードも修理できた、とマグダの話は続く。ふたりでニュース兼ダンス番組を観ながら話していると、バスローブにジーンズという恰好の女性が、湯を入れた20リットル入りのペンキ容器を引っ張りながら階段を上ってきた。湯気を立てている容器の重みに体を傾げて、彼女は私たちに手を振った。

「グアテマラから来たパトリシアよ」とマグダが紹介してくれる。「あれが息子」と指さすほうを見ると、一段と暗い片隅で幼い少年がプラスチックの椅子に坐り、背を丸めている。携帯の画面の光が、丸い顔を仄かに照らしている。声をかけ、何を観ているのか尋ねると、少年は画面越しにちらりと私を見て、携帯を傾けてみせた。切削機のショベルが地面を掘り起こしている動画だと気づくには、多少時間がかかった。

体を洗うために先ほど湯の入った容器を運んでいたパトリシアが、息子は建設車両が大好きなのだと教えてくれた。名前はアンヘル。8歳。もう4か月以上学校へ行っていない。パトリシアが言うには、12月初旬からシェルターにいて、亡命申請のチャンスを待ち続けている。部屋のもうひとつの片隅、薪ストーブの後ろには、天井に届きそうなほど高くどっしりした木の十字架が壁に寄りかかっていた。縦の部分には、1枚の剃刀の刃が食い込んでいる。


私はこれまでメキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、米国で多数の移民シェルターを訪ね、国境と移民について記事を書いてきた。シェルターは、温かい食事、新しいソックス、祈りといった一時的な救済を提供する場所であり、移民は1日か2日滞在して体力や気力を取り戻した後、再び移動を続ける。怪我人、特に消耗の著しい人、その他なんらかの理由で困窮している人は、もっと長く滞在した後で北上を続ける。過去数年は、移民が辿る道や世界中の国境に沿って、ますます多くのシェルターが出現している。間に合わせに張ったテント群、至急改造された工場、高架橋の下…。そしてこれらのシェルターで、何週間、何か月もの長期間を過ごす人が増えている。

アンヘルとのシェルター生活をパトリシアに尋ねてみた。起きて、食事をして、パトリシアは掃除をし、アンヘルは動画を観て、食事をして、片付ける。他の子どもたちがいれば、アンヘルは一緒に遊ぶ。パトリシアはたまに店へ行く。メキシコでの労働は許可されてないし、十分な金もないから、アンヘルを学校へ通わせることができない。国境の壁について質問してみた。すぐそこだ、この高台からジャンプしたら、飛び越えて向こう側へ着地できそうじゃないか。パトリシアは壁に目を向け、薄く笑って答えた。「あるものはあるのよ」

目の前にある手すりには、動物の皮を干しているように、濡れて色が濃くなったジーンズが6本裏返しに掛けられ、ポケットがぶら下がっている。そういえば、メキシコシティの外にあるシェルターで、自分に合うサイズのズボンを簡単に見分ける方法を教えられた。二つ折りにしたウエストを首に巻いてみて、両端がつけば穿ける。つかなければ、きつくて穿けない。

パトリシアとアンヘルは、願い、待つあいだ、できるだけ生活を快適にした。寝台の一番下段を確保し、毛布を積み込んだ。側面の壁からぶら下げた毛布、寝台上段の下側に結わえ付けた毛布、頭の部分と足の部分のクッション代わりに折り畳んだ毛布。寝台は4段式なのに大抵の夜は満員らしい。コンクリート床の壊れた部分には板が被せられ、水が染み出てくる箇所には、えび茶と緑と白の縞が入った鮮やかなピンクのぼろ布があてがわれている。窓に跨う恰好でパイプを外へ突き出した薪ストーブは、屋内の空中に微小な煤の重みと歓迎すべき熱を放散している。殺すと何度も脅されたから息子を連れてグアテマラを出たと言うパトリシアに、誰に脅されたのか尋ねると、やると言ったことはやる人たちと答えた。

長い沈黙の後で、パトリシアは言った。「待つ以外、できることはもう何も残っていない」。バイデン政権が近い将来亡命者を受入れることはありそうもないが、いつまで待つつもりなのか? 確かなことは分からないけど、入国を許されたグアテマラの子供たちがいると耳にしたから、最後は息子ひとりを入国審査場へ行かせ、自分は国境の渡し屋「コヨーテ」を雇って砂漠を横断することになるかもしれない。どこでコヨーテを見つけるのか? 漠然とした身振りで、そこら中、と言う。今は1万ドルかそれ以上が相場だ。「ふんだくられるよ」。パトリシアは頷く。

その2週間前、私はフアレスにある3か所のシェルターを訪れた。チワワ州の北部は突然の寒波に襲われて、移民たちは悲惨な状況だった。私たちを助けるために何をやってくれるか? と聞かれて、ジャーナリストの私にできることはほとんどないと説明した。ただ、彼らが置かれている現実を理解したいこと、米国の移民政策が及ぼしている現実の影響を自分の目で確かめたアメリカ人はほとんどいないことを伝えた。

ひとりの若い女性は言う。「私たちは別に金持ちになりたいわけじゃない、ただ生きていきたいだけ」。別の女性が言う。「いちばん大切なのは家族なの」。老人が口を開く。「だんな、何を助けてもらえるのかね?」何もできないが、喜んで話し相手になるよ、と私は答える。老人は誘拐、殺しの脅し、慎ましい店への放火という怖ろしい話を語った後、立ち上がり、私に礼を言った。

他の移民がシェルターを去ってしまうと泣くことがある、とパトリシアは言う。「しばらく一緒にいると情が移るから」。私とパトリシアはまだ高台にいて、国境の向こう側を見ながら話していた。粉ミルクの荷下ろしを終えたイヴァンは、しばらくバンのボンネットを開けて機械をいじっていたが、やがて階段を上って私たちのところへやって来た。Beatlesと書かれた古い野球帽、緑っぽい長袖のヘンリー シャツ、オーバーサイズのブルーのズボン、サイドにFerrariのロゴがある底の薄っぺらい靴という身なりだ。野球帽を脱いだりかぶり直したりしながら言うには、彼が寄せ集めで作ったグラグラの寝台の代わりに、しっかりしたパイプ製の枠の寝台を与えてくださいと女房と一緒に祈っていたら、数週間後、善良なる神が国際移住機関を遣わしてパイプ製の枠のベッドを与えてくださった。

もっと後で、旅を続けるにせよ店へ買い物に行くだけにせよ、「シェルターを出る移民には絶対通りの国境側を歩かないように言うんだ」とイヴァンに教えられた。フェンスを飛び越えるつもりだとあいつらに思われるからな。「あいつら」を、イヴァンは英語で「バッド ガイ」と呼んだ。

2時間後に私がシェルターを去ろうとしたとき、通りを歩くときは国境から離れた側を歩くようにイヴァンに釘を刺された。「本気かい?」と尋ねた私に、彼は眉を上げてみせた。いいから黙って言うとおりにしておけ、ということだ。

私がオアハカ州南部のエルマノス エン エル カミーノにある移民シェルターを初めて訪れたのは、10年くらい前のことだ。実は小説を書くためのリサーチが目的だったが、結局その小説は書き直すことになったし、今となってはシュレッダーにかけて当然の代物だ。あの年月は、私が実際にやっていること、やりたいことは、実はジャーナリズムなんだと気づくための時間だった。

以来、たとえどれだけ綿密に移民を観察しても、自分の肌で体験していない暴力を理解することはほぼ不可能だと考えるようになった。通りを歩くときは国境から離れたほうが安全だというのは誇張だったにせよ、イヴァンは根源的な真実を告げていた。ノガレスを始めとする国境の町だけでなく、世界の多くの場所は、異常なレベルの暴力に蹂躙されている。「治安」の仮面をかぶった国家による暴力、移民の窮状に便乗して密輸や密入国で稼ぐ組織の暴力は、明るく晴れた日やただの散歩を一瞬にして悪夢に変えうる。そのような暴力は至るところで絶えず無差別に発生するわけではなく、もっとも弱い存在が標的になるのが普通だ。だが国境線では、少なくとも悪夢が現実になる余地が常在する。その事実を私がパトリシアやアンヘルと同じように理解することは、決してあり得ないだろう。だが私はここにいて、繋ぐことのできない間隙になんとか橋を架けようとしている。

10年前に私が訪れたとき、オアハカのシェルターはまだ建設中だった。時には何百人という移民を何年も受け入れていたにもかかわらず、設備と呼べるものは皆無だった。メキシコでも気温の高い日が続く地域だから、エアコンも強力な扇風機もない屋内では、慣れないよそ者は到底眠れない。私はみんなと同じように、間に合わせの宿舎の中で薄いマットを敷いて寝るか、建物の屋根の上で寝るかを選べたので、屋根を選んだ。

そして、フレディという名の19歳のグアテマラ青年と親しくなった。痩せて、髪が薄く、ニキビ面で、なよっとした感じのフレディは、グアテマラの山地で習ったという音程の高いスローでハッピーな歌を歌うのが好きだった。移民がシェルターに滞在するのは通常3日間だが、毒を飲まされた彼は、回復を待ってそれより長く滞在していた。シェルターの外で拉致され、無理矢理有毒な液体を飲まされ、身ぐるみはがされ、いたずらされ、小川の傍に放置されたのだ。私たちはすぐ友だちになり、その後も何年か連絡を取り合っていたが、突然返信が途絶えた。もしかしたら、最悪の事態が起こったのかもしれない。

オアハカのシェルターで過ごす最初の夜は、暖かい突風が吹き、頭上に大きな月があった。わずかに傾斜した屋根の上で私は眠れなかったが、やがて夜が白み、周囲の背の低い林に羽音や咆哮が聞こえ始める頃に、ようやくまどろみ始めた。そのとき、四方八方から同時に湧き起こったように歌が始まった。ブンブンいう音が辺りを埋め尽くして、リズミカルに反響する。それがますます大きくなり、耳をつんざくほどになると、言葉が聞き取れるようになった。

El sol está enojado porque no llegó la luna
La luna se ha tardado pues se fue a bailar la cumbia
Cumbia con la luna y cumbia con el sol
Cumbia con la reina de mi corazón

月がまだ来ないから、太陽は怒っている
月が遅れているのは、クンビアを踊りに行ったから
月と一緒にクンビア、太陽と一緒にクンビア
私のハートの女王様とクンビア

音源は、飾り立てたゴミ収集車に取り付けられた複数のスピーカーだった。シェルターへ近付き、停車し、後の開口部へ作業員がゴミ袋を投げ込み始めてもすさまじい音量はそのままだったせいで、その歌は私の頭の奥深くまで叩き込まれてしまい、長いあいだ消えることがなかった。今でさえ、記憶の表層へにじり寄ってくることがある。

ゴミ収集車から1時間くらい経った頃、またしても暑い日の早朝に、フレディがあの歌を歌っていたのを覚えている。シェルターは目覚め始め、犬たちが身動きし、蚤に噛まれた体を掻いていた。シェルターの料理人のカイエターノは火を起こすために山刀で木を叩き割り、ぞろぞろと宿舎から出てきた移民たちは、屋外で口を泡だらけにして歯を磨き始めた。身支度を整え、危険が待ち受ける貨物列車に飛び乗って、次のシェルターを目指すのだ。その貨物列車は「La Bestia(野獣)」と呼ばれる。

John Washingtonは、移民と国境に関する政策のほか、刑務所、外交政策、ビール、帽子などをテーマとするライター。記事は多様な出版物に掲載され、特に『The Nation』と『The Intercept』には頻繁に寄稿している。亡命に関する政策と古代史を論じた初の著作『The Dispossessed』はVerso Booksから出版された。@jbwashingでフォローできる

  • 文: John Washington
  • アートワーク: Michael Rinaldi
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: April 18, 2022