ラブとノスタルジー
ライター倉田佳子が
伝説のデザイナー
亜美伊新の仕事と
消えゆくラブホテルの
いまを探る
- 文: Yoshiko Kurata
- 写真: Irene Yamaguchi

東京から少し離れたところで車を走らせていると、目の前に大きなUFOが現れた。しかも、コンクリートの壁に覆われた地面に着陸しているではないか。よく見ると上に「Hotel UFO」という看板が立っている。「ああ、なんだUFOじゃなくてラブホテルか」
ラブホテルは、名前のとおり一般的なホテルとは違い、「ラブ」を育むためにできたホテルだ。誕生の起源は、性にオープンだった江戸時代の出会茶屋までに遡り、その後名前を変えながらも、大半は売春目的として街に根をはやしてきた。そこからカップルや友達同士で楽しむための場所として機能し始めたのは、昭和初期に円宿が登場してからだ。

そもそもなぜ家ではなく、わざわざお金を払って、宿や旅館、ホテルと擬似的なパーソナルスペースを手に入れなければいけないのか。欧米では、思春期になって親元を離れ、カップルや友達を家に招くホームパーティー文化があるかもしれないが、ここ日本では、成人後に一人暮らしを始められたとしても、8畳の小さなパーソナルスペースを確保するだけで精一杯だ。そんな窮屈な生活感から逃避するべく、インターネットがまだ普及していない50〜70年代の好景気のなか、暇を持て余した若者たちはラブホテルへと列をなしたという。


そんなラブホテルの謎を探るべく、私は伝説的なラブホテル デザイナーの亜美伊新に話を聞きに向かった。彼は快くインタビューを受けてくれ、今まで手がけてきた1600軒の奇抜なラブホテルの建築図面をパラパラとめくり始めた。そこには亜美伊の手によって生み出されたラブホテルの代名詞である回転ベッドと360度の鏡張りも描かれており、「本当にここでセックスが盛り上がるのか」と内心疑問に思ってしまうような、テーマパークさながらの内装が広がっている。当時の異様な熱狂と奇抜なデザインは、今なお語り継がれ、BBCをはじめとする海外メディアも実態を探りに亜美伊のもとを訪れたそうだ。
「僕、ラブホテル界のウォールトディズニーって言われてたんですわ」と笑いながら、見せてくれた手書きのスケッチには、著作権がまだザルだった頃にできたキャラクターものから当時スキャンダルとなっていた時事ネタを取り入れたものまで、具体的なディティールとともに描かれている。なかには、20メートル屋外プール付きの飛行機デザインなど、今では想像できない規模のラブホテルもある。

「ラブホテルで一番大切なのは、テーマ性と仕掛けなんですよ。『こんなの大人が楽しむわけないじゃん』と言われるような、メリーゴーランド、動く汽車、滑り台も、いざ使うと夢中になれる。当時新しくラブホテルをオープンするときは、近くの女子大学生を呼んでレセプションパーティを開いて、お礼にアダルトグッズを配って。最初は彼らも恥ずかしがるんですけど、次来る頃にはさらに楽しみたいと熱心になっていたんです」

混浴風呂も流行っていた江戸時代から一転、第二次世界大戦を境に「快楽」の文化は日本でタブーとなった。それが、バブル時代の到来とともに、決して性に対してアグレッシブではなかった人々が、奇妙なエロの世界に夢中になったのだ。また、1955年から73年の高度経済成長期に女性の社会進出が活発化したことが追い風となり、人口増加とともに女性が主体的にラブホテル文化を楽しむ時代性が盛り上がっていった。その賑わいのなか、円宿は煌びやかな外観へと進化して、郊外や都市の裏道でこっそりと、だが大胆に増殖したのだ。

だが、国内外映画やミュージックビデオなどのフィルムセットにも使われてきた煌びやかなラブホテルは、いまや過去の幻想と化している。東京の代名詞とも言えるネオン街で光っていたラブホテルだが、1975年に施行された新風俗営業取締法が、その在りようを変えてしまったのだ。回転ベッド禁止、鏡張り、浴室の透明ガラスなどのラブホテルならではの内装が全面禁止されるなど、当時は「亜美伊禁止法」と呼ばれるほどだった。畳み掛けるように、高度経済成長期も終止符を打ち、政府による人口抑制策も進められたことで、私たちは再び快楽に対してシャイになり、ラブホテルはビジネスホテルとなんら変わりのないシンプルなデザインへと様相を変えた。

2000年代以降は、インターネットが現実逃避の場所として普及し、同じ値段ならビジネスホテルの方が綺麗なことから、人々はラブホテルのぶっ飛んだ非日常を求めなくなった。生き残りをかけたラブホテルは、エンターテイメント性だけ残して、カップルだけでなく家族や友だちとも楽しめるレジャーホテルとしての新しい顔を手に入れた。「いま建てるんやったら、銀座に1泊200〜300万円の330平米の江戸の隠れ宿をつくりたい」と亜美伊は夢を語る。
ここ数年、東京ではジェントリフィケーションが進み、貧困層や若者が集まる場所がデリートされ、高層ビルやショッピングモールが建てられる均一化のムードが漂っている。ラブホテルのことを思い出すのは、蜃気楼を追いかける「ノスタルジー」だろうか? そうだとしても、生きもののように呼吸する都市には、当時のようなエネルギーを求めてしまうのだ。
(これらの写真は株式会社アミー東京デザインルームの作品ではありません。)
倉田佳子は東京を拠点とするフリーランス コーディネーター。『i-D Japan』、『HommeGirls』、『VOGUE JAPAN』等に執筆を行なう
- 文: Yoshiko Kurata
- 写真: Irene Yamaguchi
- Date: June 27, 2022

