チョ・ギソクが語る美と自己表現の関連

長年にわたる「Flower Studies」プロジェクトは慣習を超え、独自のジャンルを出現させた

  • 文: Hyunji Nam
  • 写真: Cho Gi-Seok/Post Poetics

誰にも出発点がある。唯一無二のジャンルを切り拓き、今や世界のファッション界に熱愛される韓国出身の写真家チョ・ギソク(Cho Gi-Seok)であっても、それは変わらない。ひたすら独学に励み、妥協を知らない好奇心に駆られて成長を遂げたチョは、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)、カイリー・ジェンナー(Kylie Jenner)、水原希子(Kiko Mizuhara)らが美容ブランドを立ち上げるとき、真っ先に目を向けた異色のクリエイターでもある。

10年前のチョを思いだす。当時の彼は、ソウルの乙支路にある古ぼけた5階建てのビルを借りていた。両側を金属加工工場に挟まれたビルにはエレベーターもなく、とても写真スタジオを期待するような場所ではなかったが、昼夜を分かたずチョが創作に励む妨げにはならなかった。初期の作品はそんな狭苦しい幅2メートルの場所で撮影されたものだ。パオロ・ロヴェルシ(Paolo Roversi)のように照明をコントロールするための意図的な選択ではなく、可能な条件で間に合わせるしかなかったのだ。スタジオにチョを訪ねた後、私たちは安食堂へ行き、10ドルのトッポッキをシェアしたことを覚えている。それもこれもチョのキャリアが見事に花開く前の話だが、その頃からすでに、チョは自分が望むものを確実に理解していた。

1992年生まれのチョは、ビジュアルデザインを専攻していた学校をドロップアウトして、独立系マガジン『Eloquence』のエディターとしてファッションの世界へ足を踏み入れた。そこで写真への興味に火がついた。韓国で商業カメラマンになろうと思ったら、独立して活動している写真家の下で何年もアシスタントを務め、ほとんどスタジオに寝泊まりするような生活を強いられるのが通例だが、チョはそんな慣習を無視した。写真界は、正式に写真を学んでいないチョを門外漢扱いした。

『Flower Studies』(2024年) Copyright by Cho Gi-Seok/Post Poetics

冒頭の画像:『Flower Studies』(2024年) Copyright by Cho Gi-Seok/Post Poetics

だが、ファッション界は「決まりごとからの逸脱」をこよなく愛するものだ。何年もアシスタントを務めた経歴があろうがなかろうが、チョが引っ張りだこの写真家になるのに時間はかからなかった。活動の幅は拡大し、ミュージシャンとコラボしてアルバムカバーを手がけ、Low Classic、Andersson Bell、Gentle Monsterなど、ソウルの人気ブランドと提携した。シーエル(CL)、エックスジー(XG)、カリ・ウチス(Kali Uchis)のミュージックビデオの監督さえやってのけた。デザイナーおよびクリエイティブディレクターとしても手腕を発揮し、2016年に立ち上げたアパレルラインKUSIKOHCは高く評価されて、2023年度LVMHプライズのセミファイナリストに選ばれた。イタリア版『Vogue』の表紙を撮影した韓国出身の写真家は、現在に至るまでただひとり、チョしかいない。

写真家としていくつもの大きな節目を達成したチョだが、常に「学び」に打ち込む姿勢は揺らぐことなく、「初心者の気持ち、写真を始めたときに感じた胸の高まりをを持ち続けたい」と言う。長年にわたって綿密なリサーチを続け、ようやく初の書籍として完成させたプロジェクト「Flower Studies」にも、チョのひたむきな創作姿勢が反映されている。長ければ1回の撮影に9時間をかけるなど、ほぼ前代未聞だ。「時は金なり」の業界では、ことさら驚きを禁じ得ない。だが花の美しさを見つめ続けることで、チョのクリエイターとしての成長は大きく形作られてきた。

『Flower Studies』(2024年) Copyright by Cho Gi-Seok/Post Poetics

ヒュンジ・ナム(Hyunji Nam)

チョ・ギソク(Cho Gi-Seok)

「Flower Studies」プロジェクトを始めた経緯は?

ファッション写真の小道具として花を使ってたから、使い残した花を研究してみたのが始まり。花にはとても興味をそそられる。手を加えると劇的に変化して、無限の可能性を与えてくれるからね。人体で花に似ている部分を探すのも好きだったし、ともかく、リラックスできるリサーチ的なプロジェクトを持っていたかったんだ。だから2019年から始めて、韓国で手に入る花をひとつ残さず撮影しようと決めた。韓国以外の花も考えたけど、照明と配置を一貫させたかったから、韓国の花に限定した。韓国のものでも、野草は短時間で萎びてしまうから使えなかったけど。

花と人体を組み合わせた『Flower Studies』は、どんなプロセスで撮影したの?

普通は花の撮影から始める。十分に撮影出来たら、色や水滴をつけたり、雄しべを露出させたり、色々実験してみる。その後、花に似ている人体の部分を探す。鏡に映してみることもあるし、メイクアップアーティストのソンソギ(Seong-Seok)に相談することもある。それが決まったら、メイクアップアーティストに写真を送って、予め準備をしてもらう。セットでアドリブ的にやることもあるけど、大きめの小道具は予め計画を立てておくね。

『Flower Studies』には50の花と人体の組み合わせが選ばれているけど、特に印象に残ってるのは?

プラスチックのボールを水滴に見立てたポピーの花。あれは新しい実験だった。花の中心を切り取って雄しべを露出させたのも記憶に残ってる。何か違うことを試したときの作品をよく覚えてる、ってことだな。

『Flower Studies』(2024年) Copyright by Cho Gi-Seok/Post Poetics

『Flower Studies』にメイクアップアーティストのオ・ソンソギ(Oh Seong-Seok)とモデルのキム・グムウォン(Gim Geum-won)が参加した経緯は?

ソンソギとはずいぶん前から一緒に仕事をしてきた。ふたりとも、自分のためのプライベートなプロジェクトが好きなところが共通している。モデルのグムウォンは古代の女神像を思わせる ー 典型的なモデルじゃなく、飾られていない人間の姿だ。剃った頭のせいで、特に人間のあるがままの基本的な形状が強調される。

あれほど手の込んだ作品を作るのに必要な時間と労力は?

全身のボディペインティングの場合、最初の頃は塗って、消して、塗り直すのに9時間かかった。そのうち効率を考えて、全身じゃなく部分に分割して、しかも重ね塗りしやすい色から始めるようにした。例えば黄色は、他の色を上塗りすると簡単に隠せるんだ。その方法だと重ね塗りが速くなって、最終的に4~6時間まで短縮できたよ。

あなたの作品では花が大きな役割を果たしているけど、花のどんなところに創作を刺激されるの?

アーティストは、僕の花に関連した作品が好きだから、という理由でコンタクトしてくることが多い。セレブとのコラボに花の要素を使うのも、同じ理由。花というのは馴染み深い存在だけど、同時に馴染みのないユニークな面があって、それが柔軟な創作を可能にしてくれる。いじっても醜悪にならないし、普遍的に美と結びついている。僕は、自分のやり方で、慣習的な美の概念に挑戦したかったんだ。

カリ・ウチスの「I Wish You Roses」のミュージック ビデオは、まるで『Flower Studies』が動き出したみたい。一緒に仕事をしてみて、どうだった?

ミュージックビデオを撮るために、はるばる韓国という未知の国まで来てくれて、本当に感謝してる。「Flower Studies」プロジェクトをすごく気に入って、テーマとして使いたいというのがカリの希望だった。「I Wish You Roses」という歌のタイトルも花やバラが出てくる歌詞も、「Flower Studies」の作品と完璧に調和してたから、すごくラッキーなマッチングだったよ。そもそもはロサンゼルスで『Red Moon in Venus』のアルバムカバーを手掛けたときに知り合って、そこから自然な流れでミュージックビデオのコラボになったんだ。

カリ・ウチス「I Wish You Roses」ミュージックビデオ、スチル写真

『Flower Studies』でいちばん重視したのは色彩、形状? それ以外のもの?

先ず、花の写真をそばに置いて、デジタルカメラで色々テストしてみる。花そのものが新鮮でユニークに見えるまで、消してはやり直す。次に花の横に人体を並べて、一緒に眺めてみる。両方にまとまりがあればそのままでいい。直感だよ。「これでいい」と思ったら、それ以上何もする必要はない。人体の部分が小さい場合はディテールに集中するけど、全身のようにに大きい場合は形状を中心に考える。

『Flower Studies』の出版をPost Poeticsとコラボした理由は?

創設者のチョ・ワン(Cho Wan)とは古くからの知り合いなんだ。Post Poeticsは2006年にソウルで設立された。写真集やアート関係の本を販売する独立系の業者として韓国では草分け的な存在だし、今でもそういう会社は珍しい。アートやファッションの書籍に注ぐ情熱なら、チョ・ワンの右に出る者はいないね。その彼が手伝ってくれると言うんで、一緒に本づくりを始めたのが今年の初め。Instagramでシェアしたものより色もディテールも向上させたかったから、完成に時間がかかった。印刷の熟練工がいるというんで、わざわざ大邱まで出向いて、通常の4色印刷の代わりに5色印刷にしたりして、思い通りのディテールを実現することができたよ。

プライベートなプロジェクトは息抜きのためという話だったけど、そういうプロジェクトが必要な理由は?

僕はただ、意味のあるカッコいい作品を創作したかっただけで、もともと写真家になるつもりはなかったんだ。自分のアイデアを表現しているファッション界やアート界の人たちを素晴らしいと思ったのが20歳のときで、最初は尊敬する写真家を真似てたよ。そのうち写真がどんどんグローバルになってきて、注目されるためには、僕にしかできない表現が必要だとわかった。それから最初の5年間は写真のトーンと技術を磨くことだけに取り組んで、その後、色んな方法で僕だけの独自な表現を模索し始めた。個人的な体験から出発することが多かったね。例えば、子供時代の僕はいじめられっ子だった。その体験で抱えた孤独や混乱から、自分のアイデンティティを問うようになった。それ以外にも、個人的な体験からスタートしたプロジェクトがいくつかある。人それぞれに歩む人生は違うけど、苦闘そのものは似たようなパターンを辿りがちなんだよ。僕は自己表現という根本的な必要性を常に感じてきたし、自己表現を躊躇したことは一度もない。

『Flower Studies』の出版を記念したPost Poeticsポップアップ展。9月7日。Copyright by Cho Gi-Seok/Post Poetics

創作を刺激される人は?

ニック・ナイト(Nick Knight)にはすごく刺激される。若手アーティストを上回るくらい写真に情熱を傾けて、常に新しいものを求め続けるところに感動するよ。リック・オウエンス(Rick Owens)も尊敬してる。家具とか、新しい分野へ自分のスタイルを拡大していくところが素晴らしい。スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)にも影響された。既存の型を打ち壊して、自分のビジョンを貫いて成功を手にする人が、僕のインスピレーションの源だ。

駆け出しの頃は、Gentle Monster CEOのキム・ハンコック(Kim Hankook)にもすごく感化されたな[筆者注:チョが毎月Gentle Monsterのエディトリアルを手掛けていた時期がある]。彼は30代前半にGentle Monsterを立ち上げて成功させた。ブランドの成長ぶりを僕は目の当たりにした。そして自分が当時の彼と同じような年齢になった今、社会の先入観を破壊して、これまでとは違う体験を提供するクールで革新的なビジネスを考えるようになった。最終的には、業界の力学を変える存在になりたいと思う。

写真以外で、今、人生でいちばん大切にするものは?

近年は仕事に没頭してる。他の国の写真家はフリーランスのアシスタントを使うけど、韓国のアシスタントは正社員扱いだから、彼らに対する責任の大きさを実感したね。同時に、僕の視点も変わった。以前は強烈な印象を与えるアーティストでありたいと思っていたけど、それと同じくらい、熟慮したうえでの意思の疎通と良い人間であることが大切だと考えるようになった。今では、僕とチームの相互作用が作品の創作を直接的に左右することがはっきり理解できる。だから頑固に「僕はこうだ」と言い張る代わりに、自分の欠点を認めて、少しずつ良い人間に成長していくことが大事だと思ってる。

  • 文: Hyunji Nam
  • 写真: Cho Gi-Seok/Post Poetics
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: September 23, 2024