出版界と社会の余白

トマス・ゲブレメディンがルーツと言語と社会を語る

  • インタビュー: Thessaly La Force
  • アートワーク: Crystal Zapata

エディターでライターのトマス・ゲブレメディン(Thomas Gebremedhin)と初めて出会ったのは10年前、アイオワ ライターズ ワークショップでのこと。私たちはふたりとも、フィクション研究の1年生だった。トマスは背が高くて、ハンサムで、黒縁のメガネをかけ、穏やかな微笑みを浮かべていた。だが共に文学を志す者として、私の注意を引いたのは彼の文章だった。洗練された簡潔な文で書かれた短編は、少ない言葉で多くを語り、扱いにくいメタファーを羨ましいほど巧みに使いこなした。アン・ビーティ(Ann Beattie)、ガオ・シンジェン(Gao Xingjian)、ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)、リディア・デイヴィス(Lydia Davis)、アリス・マンロー(Alice Munro)、エドワード・P・ジョーンズ(Edward P. Jones)、アニター・デサイ(Anita Desai)、エルフリーデ・イェリネク(Elfriede Jelinek)など、飽くことを知らない読書家であるのは明らかだった。心の広い親切な級友であり、余白に心温まるメモを書き残し、参考になりそうな文献を教えてくれたものだ。

卒業後、トマスと私が『Vogue』で仕事をするようになったのはまったくの偶然だ。アイオワ ライターズ ワークショップで長閑な2年を過ごした後、私たちはストレスの多い仕事の世界に舞い戻り、その後の年月でトマスとの友情はますます深まっていった。彼がお母さんから習ったエリトリアの料理を一緒に作り、私の居間でリアーナ(Rihanna)に合わせて踊り、パンデミックがじりじりと進行した過去数か月は、あてもなくブルックリンを歩きながら、私たちの人生とキャリア、そして私たちのまわりの世界で起きている急激な変化について心の内を語り合った。このようにして、トマスは私の信頼する人、読者、真の友人になった。

昨年、トマスは出版社DoubleDay Booksのエグゼクティブ エディターになった。特に人種の面で、出版界は今更ながら当然の報いを受けている。以前に比べて、エディターとして雇用されたり上級職に昇進したりする黒人が増え、平等やインクルージョンにまつわる対話が多くなり、ベストセラーで黒人作家が優位に立つようになった。そんな現状で、私はトマスの体験について聞きたいと思った。直接に、公表を前提として。以下に、エリトリア系アメリカ人二世の出版社エディターと交わした対話を、編集し要約した。

テッサリー・ラ・フォース(Thessaly La Force)

トマス・ゲブレメディン(Thomas Gebremedhin)

テッサリー・ラ・フォース:パンデミックのあいだ、オハイオ州コロンバスのご両親と6か月一緒に暮らしたんでしょ。どうだった?

トマス・ゲブレメディン:両親に、生い立ちとアメリカへ来た経緯を話してもらったよ。自分が歳をとると、両親も歳をとりつつあることを感じてね。グローバル サウスとされる国は往々にしてそうだけど、エリトリアも、公式の文書を厳密に管理したり色々な物事を書類に残す国じゃなくて、歴史の多くは言い伝えとして伝承される。だから、将来僕にとって必要になるときのために、両親の話を録音することにした。

どんな話を聞くことができた?

ふたりとも、エリトリアの首都のアスマラで生まれた。アメリカへ来たのは色々な理由があったから。先ずエチオピアからの独立戦争がもう30年も続いていて、エリトリアは壊滅的な状況だった。父の兄弟も戦闘で命を落としたけど、遺体は戻ってこなかった。叔父の戦友が、遺体は埋葬したと家族に言ったらしい。僕はそのことを最近になって知ったけど、本当のところはわからないよ。ともかく両親はスーダンへ行って、そこに1年ほどいた。難民キャンプという呼び方で正しいのかな、ともかく一時滞在の場所。母は、町の裕福な家庭で子守りの仕事をした。

アメリカへ来たのは1980年代の中頃で、オハイオ州コロンバスで僕が生まれたのが1987年。オハイオへ来た当初、母は食料品店で働いてた。母が店で働いてるあいだ、駐車場で遊んでたのを覚えてる。楽しい想い出だ。

お父さんのお仕事は?

特別な手助けが必要な人を目的の場所まで送り届ける運転手だった。父さんに会ったら、その仕事にぴったりだってことがわかるよ。とにかく穏やかで社交的だから。その後、タクシーの運転手になった。コロンバスは、今はソマリア人も多いけど、当時からエリトリアとエチオピア出身の人が多くて、仕事はタクシー運転手と相場が決まってる。きつい仕事だよ、なんせ1日中座りっぱなしなんだから。僕の父さんは立派な人だ。職業に貴賤はないし、肉体労働をやってくれる人も大切だ。そうだろ? 体を使う仕事をしてくれる人たちがいなかったら、社会は機能できなくなる。じゃあ、僕の両親のような人たちが当然の敬意を払われているかと言うと、答えはノーだ。父さんは、罵られ、軽蔑され、不当に奪われてきた。それでも、必ず僕が良い人生を送れるように働き続けた。僕はたくさんのことから守られてたよ。自分が生まれ育った国、知ってる人たち、慣れ親しんだ匂いや食べ物を後にして、その上1980年代のアメリカ、1980年代のオハイオ州へやって来るのがどんなだったか、想像してみてよ。母さんはね、初めてMcDonaldの匂いを嗅いだとき、臭くて吐きそうだったって。

子供時代には、ほかにどんな記憶がある?

もちろん楽しい記憶もたくさんあるけど、今思うと「僕はその出来事を本当に理解していたんだろうか?」って頭をかしげる記憶もある。例えば、古い車のこと。みすぼらしい車だったけど、我が家のマイカーだから愛着があった。あらゆる意味で乗り心地が良くて、おまけにゴールドだった。6歳の男の子にとって、ゴールドに勝るものはないもんね。ある日、父さんと僕が車へ行ったら、トランクに「KKK」と引っ掻いてあった。フロントガラスには吐いたものがぶちまけてあった。それを見て、僕は頭が混乱したのを覚えてるよ。ずっと後になるまでそれが人の吐瀉物だったとはわからなかったけど、「KKK」が何かすごく悪いものだということは知ってた。僕の前で両親が「KKK」を話題にしたことはなかったし、その当時まだ6歳だった僕がなぜ「KKK」はすごく悪いものだと知っていたのか、それがよく分からない。にもかかわらず知っていた。だけど黒人は、自分を殺したがってる人間とか破滅させたがってる人間とか、周囲に潜んでいる危険の知識をすばやく身につける。いち早く知るようになる。

本を読むようになったきっかけは?

両親がいつも読書を奨励したから。本の力を知っていたし、移民として、言葉の力も知ってた。しょっちゅう図書館へ行ってたよ。僕の学校は1年に4回ブックフェアがあったから、カタログを家へ持って帰って、これとこれとこれ、って欲しい本に丸印をつけてね。いつも本を読んでたな。読書は楽しい逃避だよ。逃避っていうと、とかく何か悲しいことみたいに言うけど、単純に素晴らしい逃避だってある。僕はかなり年少の頃から自分がゲイだとわかってたけど、カレッジの1年になるまでカムアウトしなかった。読書には、誰か自分とは違う人間にすり替われる要素があって、ずっとその感覚が好きだった。

ティグリニア語は話せる?

理解はできるけど、話すのは一苦労。母さんは自信の問題だって言うけど。ともかくティグリニア語でジャック・デリダ(Jacques Derrida)の哲学を論じられるかと言うと、おそらく無理だ。ただし聞くのは、かなり高度な対話まで理解できる。残念ながら、そういう対話を耳にすることは滅多にないね。世代を代弁するつもりはないけど、僕の世代はティグリニア語を話せない、理解できないって人が増えてるらしい。それが、僕が両親の話を録音し始めたもうひとつの理由なんだ。ふたりの声を残したいし、ふたりが話す言葉も愛してるから。

エリトリアの文学は読んでる? そうじゃなかったら、どういうふうにエリトリアと繋がってるの?

最初の問いの答えは、ノー。エリトリア人であることにはずっと誇りを持ってきたけど、両親やエリトリアという国をもっと理解する努力を始めたのは、7年位前から。ジャーナリストのミケラ・ロング(Michela Wrong)が書いた『I Didn’t Do It For You』を読んでね。副題は「How the World Betrayed a Small African Nation(いかに世界はアフリカの小国を裏切ったか)」っていうんだけど、この言葉にすべてが要約されていると思う。アメリカも含めて、世界の超大国はエリトリアを馬鹿にして、国土と国民を利用した。エリトリアについては、ジェフリー・ゲットルマン(Jeffrey Gettleman)が『The New York Times』に記事を書いたし、ダン・コネル(Dan Connell)も何冊か本を書いてる。でもふたりとも白人だ。僕の言いたいこと、わかるだろ? 僕は、エリトリアについてエリトリア人が書いたものを読む必要がある。実は最近、『The Historical Dictionary of Eritrea』という本を父さんにプレゼントしたんだ。エリトリアに関する何千年も前からの情報が詰め込んである、いわばエリトリア百科事典。

そのほかに両親と僕がエリトリアに繋がってるのは、もちろん食べ物。ずっと前に、母さんが「ツェビ」っていうエリトリア料理の代表的なシチューの作り方を教えてくれたし、パンデミックのあいだは他の料理も教えてくれた。言うまでもないことだけど、僕は母さんをものすごく愛してるし、感謝もしてるけど、残念ながら料理の先生としては世界最高とは言えなくてさ。「これ、どれくらい入れるの?」と聞くと、「どれくらいって言われても、いつも目分量でやってるから」。「わかった。じゃ、これはどれくらい?」と聞くと、「勘だね」。「それじゃちっともわからないよ」って感じ。あとは、音楽もエリトリアとの繋がりだな。エリトリアの映画も面白いよ。ほとんどはドタバタ喜劇。寄席で笑わせる、アメリカで言うと「三ばか大将」みたいな芸人グループがいた。父さんと一緒にしょっちゅう見てた。YouTubeで観られる映画もあるけど、アメリカへはほとんど入ってこないから、大抵はDVDを注文するしかないな。

逃避っていうと、とかく何か悲しいことみたいに言うけど、単純に素晴らしい逃避だってある

ご両親は、編集者という仕事を理解してくれる?

ふたり共僕を応援してくれるのは、とても幸運だと思う。僕の意見をよく聴いてくれるし、僕の判断は正しいと信頼してくれてる。それにさっきも言ったけど、言葉というものに大きな敬意を払っているから、言葉を使う仕事は一種の贅沢だと思ってる。事実そのとおりだよね。母さんなんか、僕は『Vogue』でただのアシスタントだったのに、息子が『Vogue』で働いてるって友達に自慢してたよ。その後Random Houseに移ったけど、その頃の母さんは『Vogue』ほどRandom Houseを知らないわけ。だもんだから、「どうして? 『Vogue』は嫌なの?」って。僕の両親にも、移民全般と共通する考え方があると思う。大きな夢を持ってるけど、同時にすごく実際的で、安全を大切にする。そうあらざるを得ないよね。僕が今ここにいるのも、ふたりのおかげ、ふたりが安全を守ったおかげ。他の夢もあっただろうけど、何年も父さんがタクシーを運転し続けて、母さんが工場で働き続けたおかげだ。

おふたりには、どんな夢があったのかしら?

父さんは数学が大好きだから、きっと素晴らしい数学の先生になれたと思う。母さんは誰に対しても親身で、見てるこっちまで温かい気持ちになる。以前家族ぐるみで付き合っていた人が看護施設にいて、よくお見舞いに行ってたけど、母さんは100歳を超えたお年寄りたちのところで立ちどまっては、まるで旧知の友達みたいにお喋りを始める。それで「母さんは看護師になるべきだったね。看護師じゃなくても、なにか医療関係の仕事。生まれつき、そういう技能があるもの」って言ったんだ。ただ、母さんの人生にはそういう道が開けなかった。でもジョージ・エリオット(George Eliot)は、「なれたかもしれない自分になるのに、遅すぎることはない」という名言を残してる。本当にそのとおりだと思うよ。母さんの人生にはまだ書かれていない章がたくさん残っている。実は、母さんが転職するためにはどんな講座や認定があるか、ふたりで調べてるところだ。

おふたりに対して、責任を感じる?

いつまでも今の仕事を続けさせたくはないから、家を買うのが僕の夢。いつかは両親を呼び寄せて、同居するつもり。エリトリアでは両親と同居するのが慣習だけど、同じような国は世界のあちこちにあるだろ。母さんは、いつでもニューヨークへ越してきて、僕と同居する気持ちの準備ができてると思う。その前にまず、僕がパートナーを見つけなきゃ。

あなたの家族がアメリカで人種差別を受けたこと、あなたが小さい頃から人種差別を意識していた話が出たけど、アメリカという国で黒人であることをどう捉えてる?

僕の体験と両親の体験は同じじゃない。第一に、僕は生まれたときから、アフリカ系アメリカ人の心象と文化を吸収して成長してるからね。エリトリアには独自の文化があって、アフリカ系アメリカ人の文化と重なり合う部分もある。おもしろいよ。例えば、ヒップホップのダンスはアフリカに遡れる要素が多い。エリトリアにも肩を上下に動かす伝統のダンスがあってね、人によって動かし方が違って、それぞれが特徴的な踊り方をする。そのダンスを見ると必ず、ハーレム シェイクが頭にちらつく。僕はアフリカ系アメリカ人として誇りを持ってるし、同時に、 エリトリア人としての誇りも持ってる。ふたつのアイデンティティと文化にどう折り合いをつけて、ひとつに結びつけるか。それを今でも模索中だ。

同時に、良くも悪くも、周囲が僕を見る目は僕の自意識に影響を及ぼしている。アメリカでは、往々にして、アフリカ系アメリカ人が一括りにされる気がする。エリトリア人かもしれないし、ナイジェリア人、シエラレオネ人かもしれないのに、この国の大多数の人にとっては「黒人」しか存在しない。一方で、僕は同じ肌の色をしたすべてのアメリカ国民と連帯を感じるから、自分をアフリカ系アメリカ人として考えるし、他方で、エリトリア人としてのルーツをしっかり握りしめている。悲しいことに、アフリカ系アメリカ人には、奴隷貿易が行なわれた西アフリカという以外に、特定の場所まで家系を遡れない人が多い。その点僕は、家族はここの出身です、ここには今も僕たちと同じ民族が暮らしていますと言えるから、恵まれてるよ。だけど、もともとの出身地に関係なく、アフリカ系アメリカ人の体験には共通項がある。肌で感じるものだ。アメリカ社会の中で、黒人は常に無言で伝えては、危険を教え合っているんだよ。例えば僕が食料品店にいて、誰か白人の女性がすごく疑わしいことを口にしたとするだろう。そしたら、保証してもいい、僕といちばん近くにいる黒人は、目と唇のかすかな動きで即座に思いを伝達し合ってる。

あなたが今置かれている出版界という環境では、自分のアイデンティティをどう捉えてる?

その答えは、今、引き出そうとしてるところ。というのも、名前を言うのは控えるけど、最近インタビューを受けてね。その質問が、僕をある種の見解に当て嵌めようとしているように感じたから。

どんな見解?

最近出版界その他で黒人が雇用されたり昇進したりしてるのは、「黒人の命は大事だ」運動への対応だ、という見解。僕はこれまでどこの職場でも、ほぼ間違いなく、部屋にいるただひとりの黒人だった。他の人たちにとって僕が何者なのかは微妙で、確信は持てない。大きな変化や混乱が起こったとき、社会の構造的な問題点を正すという重荷は、白人以外の集団が背負うことを期待されてるようにも感じる。僕が雇われたのは、肌の色が関係していたのか? 僕には答えられない。ただ僕に言えるのは、やりたいことをやれる大きな自由が僕には与えられている事実のおかげで、疑念が和らいでいることだよ。Doubledayでは、できうる限り最善の意味で、束縛はほとんどない。仕事に就くときは初心者扱いされるんじゃないかと心配したけど、本当に大きな自由を認められている。では編集者として、文化の周縁に追いやられている人たちに、声を上げるプラットフォームを提供する責任を感じているか? もちろん。だけど同時に、現状から抜け落ちているのはどんな人たちだろう? 出版界の生態系は、まだまだすごく偏狭だ。僕たちがアイオワ ライターズ ワークショップにいたときのこと、覚えてるだろう? エージェントがやって来て、有望なライターを見繕って、筆者リストに載せる。だけど、アイオワへ行ける余裕のない者はどうすればいい? デトロイトのコミュニティ カレッジにいたら、どうなる? 誰が書いたものを見てくれる?

ともかく、僕は僕自身の幅の広い感性にも従うつもりだよ。僕はジョン・エドガー・ワイドマン(John Edgar Wideman)が好きだし、アン・ビーティ(Ann Beattie)が好きだし、ペネロピ・フィッツジェラルド(Penelope Fitzgerald)、ジェニー・エルペンベック(Jenny Erpenbeck)、クリスティン・リンカーン(Christine Lincoln)、フィリップ・ロス(Philip Roth)、ジャメイカ・キンケイド(Jamaica Kincaid)キャシー・パク・ホン(Cathy Park Hong)も好きだ。僕の好みは多岐にわたっているから、そういう感性と僕自身が面白いと思うものに忠実であることで、出版界の硬直した構造に何らかの変化をもたらせるんじゃないかと期待してる。僕が今、非常に高い立場に置かれた黒人である事実は、ちゃんとわきまえてるし、そうそうあることでもない。先達にはエロール・マクドナルド(Erroll McDonald)やクリス・ジャクソン(Chris Jackson)がいたし、今はリサ・ルーカス(Lisa Lucas)やニコラ・ユン(Nicola Yoon)がいる。過去にはトニ・モリスン(Toni Morrison)もいた。だけど、僕たちのような立場の黒人はあくまで例外だ。インポスター症候群も絡んで、自分の実力で成功したわけじゃないと疑ったりする、すごく複雑な立場だ。周囲を見渡すと、自分に似た人はひとりもいない。すると、頭の後ろで、どうして僕はこの仕事を貰えたんだろう? という疑惑が生まれたりする。そもそもそれが人種差別の陰湿な作用だ。自分自信と自分の能力を疑うように、差し向ける。だけどね、僕にはやりたいことがたくさんある。

Thessaly La Forceは、ライターであり、『T: The New York Styles Magazine』のフィーチャー ディレクター

  • インタビュー: Thessaly La Force
  • アートワーク: Crystal Zapata
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: August 24, 2021