不確定の時代と
BRYAN JIMENÈZの
強いデザイン
ドミニカ出身の
若きデザイナー、
ブライアン・ヒメネスが語る
創造のエネルギーと
ラグジュアリー
- インタビュー: Jordan Coley
- 写真: Neva Wireko

「生まれてから今までの生い立ち? それともファッションを始めてからの話?」
ドミニカ共和国のサントドミンゴで生まれ、14歳でクイーンズに来たときはほぼまったく英語を理解できなかった少年が、どのようにしてデザイナーになり、ニューヨークでもっとも注目の新進ブランドBRYAN JIMENÈZを誕生させたのか? その質問に対して、現在26歳のブライアン・ヒメネス(Bryan Jimenèz)は聞き返した。
ファッション史ということなら、オゾン パークにあるジョン アダムズ ハイスクールの最終学年が始まりだったと言う。抜群のスタイリングのクラスメイトがいて、「いわゆるパーカー スタイルだったけど、すごく感心した」。ファッション工科大学、略称FITの存在を教えてくれたのはその生徒だ。FITへ行けば服作りを勉強できると聞いたヒメネスは、先ず祖母に頼んで裁縫を覚え、出願の準備を始めた。願書に書けるように地元の仕立て屋で見習いも始めたが、それ以外にもうひとつハードルがあった。「まだほとんど英語がダメ。FITの応募資格を読むのだって、Google翻訳が頼りの状態だったから」。結局、英語の能力不足で2度受理されず、そのたびに仕立て屋での仕事に戻った。意気消沈はしたが、くじけはしなかった。
2016年についに入学が認められると、学校から得られるものを余すところなく活用して、自分が目指せる最高のデザイナーになろうと決意を固めた。そして知らなかった技能を習得し、急速に芽生え始めた独創性を育んだ結果、初期の作品のひとつがグラミー賞のレッド カーペットに登場する日が訪れた。
思春期に生まれ故郷を離れ、未知の言語、ニューヨーク シティの公立校制度、ファッション校での4学期にわたる厳しい勉学、消耗するアルバイトと実習をこなすのは、並大抵の根性ではない。ヒメネスのデザインを研究すると、冷たくて強固で耐久性を備えた素材に直面する。スチール リベットのパラシュート用ハードウェアがバックパックのストラップを留め、牙のようなシューズ クランポンがキラリとメタリックな煌めきを放って、スレートグレーの実用的ルックに重厚感を与えている。ヒメネスが作る服はハードだ。彼が説明するように、「見せかけ」のハードではなく、文字通り、工場の現場や戦闘、それどころか化学災害にも耐えられそうなハードさだ。それらは力強さ、パワー、権威の象徴であり、ヒメネスが何年もかけて磨いた美的言語を顕著に物語る。
ハーレムにあるスタジオからのビデオ通話で、ニューヨークでの成長期、ファッション界への進路、独自の美的世界の構築をヒメネスが語った。

冒頭の画像 Bryan 着用アイテム:シャツ(BRYAN JIMENÈZ)
ジョーダン・コーリー(Jordan Coley)
ブライアン・ヒメネス(Bryan Jimenèz)
ジョーダン・コーリー:14歳という年齢でニューヨークへ移住するのは、どんな経験だった? どんなカルチャーショックがあった?
ブライアン・ヒメネス:母さんが先にニューヨークへ越して、まだドミニカにいた俺にグラフィティ ゲームの「Marc Eckō's Getting Up」を送ってくれたんだ。ニューヨークへ来てみたら、ゲームがそのまま現実なんであっけにとられたよ。そんなこんだで自分でもタグを描き始めて、1回トラブルに巻き込まれそうになって、家族との関係がかなりメチャクチャになってさ。
ニューヨークへ来て、グラフィティをやって、厄介事?
そう。で、ピンチになって、やめざるをえなかった。グラフィティから離れた後は、ニューヨークのファッションの世界を覗き始めて、デザイナーたちとも親しくなった。
ニューヨークへ来た当初は、どういう仲間と付き合った? ハイスクールの友達は?
実のところ、俺は誰とでもうまくやってたよ。ドミニカとは全然様子が違うから、最初はちょっとやり難かったけど、少しずつ周囲の感触に馴染んで、ギャングのメンバーとも付き合い始めた(笑)。ドミニカ系のパティアのメンバーとも、ラテン系のキングスとも問題なし(笑)。メンバーになったことは一度もないけど。
スイスと同じ、中立地帯だったんだ。
そうそう、中立(笑)。

Bryan (左) :ジャケット(BRYAN JIMENÈZ) Bryan (右) :ベスト(BRYAN JIMENÈZ)、サーマル(BRYAN JIMENÈZ)
学校の友だちからFITを教えられてファッションに興味を持ってからは、街中で過ごすことが多くなった? ソーホーにたむろしてるティーンエージャーのひとりだったのかな?
うん。現実には何もしなかったのがおかしいんだよな。ただ友達と出かけるだけ。ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)がBeen Trillをやり始めた頃で、俺たちはただ街へ行って、何もしない。知り合いもいなかったし。
FITへ願書を出した後は?
願書は、結局、丸1年間認めてもらえなかった。裁縫を始めたのも、願書に書けることを作るためって状態だったし。ばあちゃんにちょっと習ってから、仕立て屋で働いたんだ。
FITに最初に出した願書がダメだったときも、諦めるつもりはなかったね。入学できてもできなくても、もうファッションの道を歩き始めてるんだから、勉強を続けるつもりだったよ。
FITが俺の願書を認めなかったのは、俺がESLの生徒で、英語力の試験を受けなきゃいけなかったからなんだ。英語をすばやく理解できなきゃいけないのに、いつもそれで落第。ところが3回目に願書を出した後、入学事務局から連絡がきて、ファッション マーケティングを勉強してたジュニア カレッジの成績表を提出してください、って。
それで、年度の中間でようやく入学を認められたんだ。選択科目の履修期間を飛ばして、すぐファッション コースだよ。結果、4学期を終えても、選択科目をとってないって理由で卒業証書を貰えなかった。だけどその頃にはもうブレント・ファイヤズ(Brent Faiyaz)が俺のバッグを使ってたから、ブランドを立ち上げる方向へ進んでた。
ブレント・ファイヤズがグラミー賞へ君のバッグと一緒に登場した経緯は?
もともとは、グッチ・メイン(Gucci Mane)が契約を結んだラッパー、リル・ウォップ(Lil Wop)だっけ? がきっかけ。以前から、彼のスタイリストと知り合いでさ。例のバッグはまだ発売してなかったのに、そのスタイリストに頼まれて写真を送ったら、リル・ウォップが持つことになった。で今度は、リル・ウォップのショーにいたブレント・ファイヤズがバッグを目に留めて、バックステージへ行って、ブランド名を調べて、俺のサイトから買ってくれた。ブレント・ファイヤズは、俺のサイトからバッグを買ってくれた最初のお客さんだ。

Bryan 着用アイテム:マスク(BRYAN JIMENÈZ)
Rick Owensのショールームで実習したんだろ? そのときの体験は、君自身がやりたいと思ってた仕事にどんな影響を与えた?
あの仕事をする前から、リック・オウエンス(Rick Owens)はすごく強い芯のあるデザイナーだと思ってた。物事を自分なりに強烈に理解するところが、素晴らしいと思う。ショールームへ仕事に行くと、人を惹き寄せるヘビーな魅力を感じるんだ。俺も、服を作るときはファブリックの重量感に配慮してる。
Rick Owensの服の作りには刺激されたし、ものすごくエネルギーを受け取ったんだ。丁度コレクションを作ってる時期だったけど、仕事に行く前より、仕事から帰ったときのほうがもっとエネルギーがあったのを覚えてるよ。
他のブランドの、それもショールームで割り当てられた仕事から、それほどクリエイティブなエネルギーが貰えるのはどうしてなんだろう?
自分の思考を変えざるをえないからだろうな。何であれ、創造的なことを始めるのに必要なことだと思うよ。家へ帰って自分のラグジュアリー ウェアを作るとき、昼間のラグジュアリーな精神が乗り移るんじゃない?
Le Laboの仕事もそうだった。香りを作り出す行為、オイル、自分の嗅覚で感じる香り、すごく澄み切って清潔な環境…、どれもラグジュアリーだ。
君の作品に表現されているデザイン言語は、時として、世界の終わりの後を思わせる。あの独特の色使いはどこから生まれたの?
よく考えるのは、服を着たときの雰囲気。特定の色が特定の状況でどう受け取られるか。特定のスタイルが特定の状況でどう受け取られるか。そういうふうに具体的に考えるデザイナーとして気に入ってもらえたら、嬉しいね。今取り掛かってる新しいスタイルは必ずしもそうじゃないけど、何と言っても同じ人間がデザインしてるんだから、繋がりはあるよ。
例えば、マスクが狩猟用トラウザーズにも似合う、パラシュート用ハードウェアにも似合う。それが俺のデザインの理念。俺がやろうとしてるのは、服を中心に、全体的な宇宙を作り出すことだから。この前のコレクションから、それがはっきり表れてきた。
じゃ、その観点から、「CORE」コレクションのルック#36なんかが表現してるものは何?
俺たちは、必ず具体的なものを参考にしてる。軍隊とか…。だけど、必ずしも世界にとっての意味じゃなくて、それが象徴する本質、それが伝達するものを考えるんだ。例えば軍隊は力強さの象徴だし、権威を表す。
ルック36のモデルは、1940年代のパイロットみたいにも見えるし、特定の時代とは無関係にも見えるだろ。
さて今後のブライアン・ヒメネスには何を期待できるのかな?
俺は今、自分のルールを決めてるところなんだ。どうやって競争するか? 手にあるものだけで、どう進んでいくか? ブランドをいっぱい抱えてるLVMHなんかと同じ方法で、ゲームに勝てるわけがない。あっちは人手もたっぷりあって、手際のいい試合をできる。BRYAN JIMENÈZは、手持ちのリソースで、新しいかたちの試合を作っていく。

Bryan (左) :コート(BRYAN JIMENÈZ)、マスク(BRYAN JIMENÈZ)、ブーツ(BRYAN JIMENÈZ) Bryan (右) :スーツ(BRYAN JIMENÈZ)、マスク(BRYAN JIMENÈZ)
Jordan Coleyはコネチカット州ハムデン出身の脚本家および批評家。音楽、映画、テレビ、Dennis Rodmanに関するエッセイが『The New Yorker』、『GQ』、『The Nation』、『Vulture』、その他に掲載されている
- インタビュー: Jordan Coley
- 写真: Neva Wireko
- スタイリング: Bryan Jimenez
- スタイリング アシスタント: Raxelle Soria
- 制作アシスタント: Oliver Buckley
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: December 6, 2022


