ジョエル・マイヤーウィッツは
街を歩く

昼間の光、ニューヨーク、Jil Sanderの新キャンペーンを撮影した老練写真家との対話

  • インタビュー: Hillary Weston
  • 写真: Joel Meyerowitz 協力:Howard Greenberg Gallery

ジョエル・マイヤーウィッツ(Joel Meyerowitz)は、創造に調和した人生を送ってきた。写真を語る彼にほんの少しでも耳を傾けたら、その感性の力強さが伝わってくる。『Wild Flowers』(1983年)の新版でマイヤーウィッツ自身が言及している「日常の慎ましい素振りを崇高なものへ変える」欲求は、歓びを放射する。「日常を崇高に変える」とは、マイヤーウィッツの創造理念を簡潔かつ完璧に言い得た表現だ。それはまた、彼の作品世界に浸る者への贈り物でもある。初期の35mmの動的な街頭写真、大判の穏やかな海景や哀愁を帯びたプロビンスタウンの光景、動き続ける生をとらえたスナップショット。マイヤーウィッツの世界に引き込まれることは、その刹那の一瞬に存在するだけでなく、マイヤーウィッツ自身と同じように優れた観察者となり、周囲の世界のディテールとセンセーションに知覚が開かれることを意味する。

夜明けのモーテルの誰もいないプールや炸裂する昼の光と生が充満したマンハッタンの街路の写真を初めて目にしたとき、それが私の感じたことだ。マイヤーウィッツのレンズを通した後、私はそれらの場所を違う目で体験するようになった。それまでにはなかった新しい知覚が湧き出た。『Wild Flowers』は1965年から2020年にかけて撮影した写真から、「花」をテーマに編纂した楽しくてロマンチックな写真集だ。「花」が1本の線となって、美と儀式と絆が現出したさまざまな瞬間を繋ぎ合わせている。この写真集を見れば見るほど、私は身の回りの花の存在に気づくようになった。私が暮らす都会の中で。

マイヤーウィッツは1938年に生まれ、ブロンクスで成長し、絵画と美術史を学んだ後、60年代初頭に広告代理店のアート ディレクターになった。だが仕事で写真家ロバート・フランク(Robert Frank)の仕事ぶりを目にすると、たちまち直感にしたがってカメラを手にし、街へ飛び出していった。それから60年。マイヤーウィッツは今も、世界でもっとも高く評価される写真家のひとりであり続けている。街頭写真とカラー写真の草分けでもあり、写真という媒体をアートの神殿に昇らしめた。映画のスクリーンやiPhonesを始めとして、現代カルチャーの視覚言語へ広く影響を及ぼし、映像作家からファッション デザイナーまで、あらゆる職業の試金石になった。

83歳の現在も、マイヤーウィッツの創造的欲求は花開き続ける。好奇心を刺激し、写真への新たなアプローチを突きつけるものを、いつまでも追い続ける。最近では、Jil Sander 2021年秋冬キャンペーンで、クリエイティブ ディレクターのルーク&ルーシー・メイヤー(Luke and Lucie Meier)、アート ディレクターのハイコ・カイナート(Heiko Keinath)とコラボを行なった。遊びの精神に溢れた美しくエレガントな作品は、彼自身の作品体系となんら違和感を感じさせない。撮影されたのは、マイヤーウィッツが妻のマギー・ベレット(Maggie Barrett)と暮らすイタリアのトスカーナ州。精力的なロケの数日は、琴線に触れる場所を探し、マイヤーウィッツが好む親しさと自由な雰囲気を醸し出すために費やされた。

この夏、マイヤーウィッツは寛大にも数度の電話インタビューに応じてくれた。そしてトスカーナ州からブルックリンにいる私に向けて、彼を写真家にならしめた気づきと運命の導きを丁寧に語ってくれた。

Joel Meyerowitz『New York City』(1978年)。協力:Howard Greenberg Gallery。冒頭の画像:Joel Meyerowitz『New York City』(1965年)。協力:Howard Greenberg Gallery。

ヒラリー・ウェストン(Hillary Weston)

ジョエル・マイヤーウィッツ(Joel Meyerowitz)

ヒラリー・ウェストン:私の中で、あなたの作品はさまざまな光と非常に密接に結びついています。あなたご自身やあなたの周囲の世界と、いちばん強く繋がりを感じる時間帯はありますか?

ジョエル・マイヤーウィッツ:写真こそ私の本当の仕事だという事実に目覚めた時期は、1日の中で、昼間がいちばん刺激を受ける時間帯だった。ニューヨーク シティの光が眩しいほど強烈で、花崗岩やコンクリート、ステンレス スチールやガラスに照り返してね。いくつもの筋に鋭く引き裂かれた光、その光が作り出す濃い影と輝くハイライトは、ジャズのようにエキサイティングだった。まるで音に聴こえるような感覚だ。物の輪郭が明確に刻まれて、特別な物に見える。意味のない些細なディテールが、突如と堅固な形をとって、力強いフォルムに変わる。起きていれば朝にも、外にいれば遅い時間にも撮ってはいたが、心を奪われることはまったくなかった。だが、実にジャズのシンコペーションのような昼間の街路の光には、すっかり心を奪われた。

私が大好きな作品のひとつに、マンハッタンのミッドタウンの街角に若いダンサーが立っている写真があります。確か「Empire State」シリーズの1枚です。あの写真を見ると、あまりにも光が圧倒的で、熱に触れそうな気さえします。あれを撮影したのは何時頃ですか?

日が終わりかける頃だったな。34th ストリートと10th アベニューの角に、夏の午後遅くの光が押し寄せていた。その頃手掛けていた「Empire State」シリーズは、エンパイア ステート ビルを富士山みたいに中心に据えて、まず川べりから始めて、市内を移動しながらだんだん輪を狭めてエンパイア ステート ビルに近付いていく構想だった。そのときに、あの若いダンサーが立ってるのを見かけたんだよ。誰か別のダンサーが来るのを待ってたんだろうな。雑貨屋のオレンジ色の店頭とエンパイア ステート ビルが光の中で脈打っていた。そこで三脚の上に8x10インチ カメラをセットしたんだが、ダンサーは覚束ない様子で、今にも行ってしまいそうなんだ。だから「そこにいて! 君は私が撮影している全体の一部だ」と大声で知らせた。すべてが調和する、まさにそんな瞬間のひとつだった。

ロバート・フランクが仕事をしている姿をご覧になって、体が震えるような影響を受けたと話されていますね。そのとき写真への関心が燃え立った、と。あなたご自身のスタイル、あなたが撮りたい写真を理解した瞬間、あるいは特別な閃きのようなものはありましたか?

1964年にフォルクスワーゲンの配達用トラックの中古を買って、中をキャンピングカー仕様に改装して、当時の妻とアメリカ一周旅行に出かけた。それで特に西部で、遠景の写真を撮るようになった。何でも数メートル先にあるニューヨークの街路を離れて、いきなり非常に遠距離を撮影するようになったのだから、フレームの中の小さい物体だって必ずしも無意味には見えないはずだという信念が必要だった。本当に写真を読みとる人は、写真の空間に入っていくものだ。だから遠景の写真を撮り続けて、ニューヨークに帰ってから大変な枚数を現像した。私と同じように街頭の写真を撮っていたゲイリー・ウィノグランド(Garry Winograd)に見せたら、軽くあしらわれたよ。

その後、MoMAの写真部門のディレクターだったジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski)と会う機会があった。写真の世界で無二の人物だ。ビジョンを持った真の博識家で、写真という媒体のリスクと限界を理解しており、彼自身が写真家だった。そこで50枚か100枚くらいの遠景写真を箱に入れて持参した。彼は1枚ずつゆっくり見ながら2~3枚を取り分けたから、「ああ、やっぱり駄目か」と思って、ゲイリーに見せたら無視されたと話したんだ。そしたらジョンはあの独特の笑いを浮かべて、「ゲイリーが写真のすべてを知ってるわけじゃない」と言った。「ジョエル、写真に関しては、一歩退がれることが成長を示す最初の一歩だ…。僕は毎週毎週若い写真家たちの作品を見続けるが、誰もが鼻先を突きつけてくる。限界までカメラを被写体に近付ける。被写体に突進する。それはフレームの中に何かをとらえたことを証明したがる兆候だ。君の写真を見ると、君は一歩退がって、すべてを見て、リスクをとっているのがわかる」。まさにそれこそ、私自身が感じていたことだった。

人生をずいぶん歩いて過ごされましたね。動いて、街頭に立って、非常に独特なやり方で都会の脈動を肌で感じて。肉体的な行為ですが、同時に瞑想的な行為でもあると思います。ご自身ではどのように感じておられますか?

フランス語では「flâneur」とか「boulevardier」という呼び名があるけど、私は昔からその「街をぶらつく人」なんだ。とにかく家から出て歩き回りたい。実はオフィスにいるのが大嫌いだと分かったのは、アート ディレクターとしてロバート・フランクの撮影を見たときだ。アート ディレクターという仕事は遊びの要素があって面白いし、生計の手段であると同時に絵画やグラフィックスの世界に関われたから、楽しくはあった。だが満足感はなかった。高層ビルのオフィスの窓から通りを見下ろしては「下りていきたいなあ」と思い、ランチに外出すればオフィスに戻りたくない。どうすればいいものか、いつも思案してたよ。金持ちならオフィスに籠って仕事をする必要もないが、私は金持ちじゃなかったしね。だが写真のおかげで解放されてからは、街に出て、通りを歩き回った。すべてを見て、見て、見まくった。24歳の頃で、自分が何者かという確固としたアイデンティティはまだなかったが、写真が少しずつ自分を教えてくれた。ああ、私は女性が集まってる光景が好きだとか、街路のエネルギーと具象性が好きだとか…。

運命やチャンスについてはどうお考えですか? 写真以外の面でも、人生に作用していますか?

もちろんだよ。例えば1990年のことだ。結婚が破綻した後で、私はケープ コッドに滞在しながら、『Bystander: A History of Street Photography』をまとめていた。ある日書き物をしていて、気がついたら6時だ。9月で、日が短くなり始めていた。そこで、1日中座りっぱなしだったし、その頃はよく自転車で遠出をしていたから、外へ出ることにしたんだ。支度をして、庭を出て、通りに出ると、行ける方向はふたつ。左に行けばプロビンスタウンの町、右に行って幹線道路に乗ればそのまま30km程度走れる。衝動的に、観光シーズンも終わったことだし、町の様子を見てから幹線道路へ出ようという気になって出発した。町を通り抜けて、夕日を正面に砂丘のほうへ向かっていると、道の反対側にすらりとした女性がいた。とても短いブロンドの髪で、光の中に咲いたタンポポの花みたいに輝いていた。私は自転車で通り過ぎながら、ヘルメットの下からそのとても美しい女性に目を向けた。あまりに衝撃を受けて、道路から目を離したせいで、砂だらけの道の端に逸れて転びそうになったよ。まあどうやら態勢を持ち直して、そのまま自転車をこぎ続けた。私と同じように、1日の終わりに外へ出てきた精霊だったんだろう、なんて思ってね。その時はそれだけで、彼女のことは忘れた。家を出るときは家に帰ってから夕飯を作るつもりだったが、その後遅くなったから、町へ戻って友人がやってるレストランで食べていくことにした。そして引き返したら、再度、同じ女性を見かけた。彼女のそばを過ぎて、私は自転車から降りて…、それ以来、今日に至るまでずっと一緒だ。

Joel Meyerowitz作品 (1978年)。協力:Howard Greenberg Gallery。

まあ、素敵。そういうお話を聞くと、写真家になって、知覚や存在感がどう違うものになったかを教えていただきたいです。カメラを首にかけたり手に持ったりして出かけるわけでしょう? いつ何時、何かに感動して、撮りたくなるかわからない。単に食料を買いに行ったり自転車に乗ったりするときでも、あらゆる行動が創造の行為に変わるわけですよね。

もちろん旧式のカメラはいつでも撮影できる状態にしておいたよ。デジタル カメラと違って、電源ボタンを押して始動する必要はない。ただし常に、Fストップとフォーカスは調整したけどね。晴れた日の5th アベニューを歩き始めたら、絞りは5.6で、シャッター スピードは1/250秒。同じ通りでも、陰っている側を歩くときの絞りは3.5。何かあったとき、土壇場で手こずって最初の瞬間を逃がしたりしないように、常に調整を済ませて、何に対してもスムーズに反応できるようにしておいた。目の前のものに好奇心が動いたら、もうカメラは目の前に来ている。デジタル カメラでも同じだね。常にONの状態で、指をボタンの上に乗せて、スリープしないように30秒毎にタップする。

左の画像:Joel Meyerowitz『New York City』(1977年)。協力:Howard Greenberg Gallery。右の画像:Joel Meyerowitz『Easter Parade, New York City』(1964年)。協力:Howard Greenberg Gallery。

『Wild Flowers』などでは、本当に小さなディテールで繊細な色が際立っています。色彩についてはどうお考えですか?

色について考えることはないが、関連性は瞬間的に感じるね。例えば、ホットドッグの屋台の横に立っている男性の写真がある。グリーンにスプレーされたカーネーションの花束があるから、聖パトリック祭の日だったはずだ。グリーンが光の中で爆発していて、男性は屋台に目を向けて立っている。冷蔵庫の中を覗いて、何を食べるか思案しているみたいに。フレームの中で、カーネーションの花が素晴らしく綺麗だった。まさに万能のワイルド カードだよ。私は予め計画するというより、瞬間的に知覚する。世界が私に向かって放り投げてくれる贈り物だと思ってるよ。

『Wild Flowers』の表紙の女性は母だと連絡してきた人がいるそうですね。そういうことは、よくありますか?

何回かあった。『Wild Flowers』の件は20年も前のことだ。ニューヨークのアート フェアにいたら、カリフォルニアの写真家が近付いてきて、「復活祭のパレードで女性を撮影したでしょう? あれ、僕の母ですよ」と。彼女がどこの誰かがわかって、とても感激したね。帰宅した後、写真をプリントして、母上に渡してもらうように写真家の息子に託したよ。

Jil Sander 2021年秋冬キャンペーン。写真:Joel Meyerowitz。

左と右の画像:Jil Sander 2021年秋冬キャンペーン。写真:Joel Meyerowitz。

Jil Sanderの新キャンペーンについて教えてください。あのコラボはどういうふうに始まったのですか?

ハイコ・カイナートは、パリで暮らしてパリで仕事をしている素晴らしく有能な若きアート ディレクターだ。彼が本やインターネットで見つけた私の写真を使って、ダミーのキャンペーンを作った。ポートレートみたいな感じだが、空間にグラフィックな余韻と力強さがあった。撮影場所は、私が暮らしていることだし、これまでロケしたことがないから、トスカーナ州にしたいという希望でね。彼が選んだ写真は私自身が好きな写真でもあったけど、奇妙なことに、私の娘の写真も2~3枚混じっていた。身近な愛する者を撮るときの、カジュアルな写真だ。それが、彼の望む雰囲気を象徴していたんだな。

ハイコに会って、キャンペーンのダミーを見て、彼が作り出した雰囲気が気に入ったよ。彼は、写真に大きな自由を与えていた。リスクをとって、写真に語らせることを恐れていなかったから、私はキャンペーンに納得した。アート ディレクターやファッション デザイナーは、往々にして、写真家に綱渡りさせて、自分たちのデザインの何らかの基準に合わせたがるものだけどね。それにJil Sanderの服はどれも見事な仕立てだった。使われている生地の特性に感動したよ。そのことはルークとルーシー・メイヤーにも話した。ふたりの作るものには、ファッションに求める非常に高い水準が感じられる。構造、綴じ目、縫い目…、ふたりとも若いのに、あらゆるディテールが昔ながらの職人技を思わせる。非常に気さくで、物静かで、優しい人たちだから、一緒にいて楽しかったよ。気難しいところなど、まったくない人たちだ。

ブランドのキャンペーンだと、心構えや撮り方は違いますか? あなたご自身の作品もそうですが、今回のキャンペーンの写真には非常に映画的なところがあって、イメージの周囲に浮かんでいるストーリーが流れ去る一瞬を目にしているような気がします。

私は瞬間を信じているから、あまり静的であることは好まない。モデルに動いてもらって、私が動いているモデルの周囲を回るということもよくやった。そうやって動きながらモデルに話しかけて、指示を与えると同時に、私とは逆方向の動きをしてもらう。そうすると、ほんの一瞬のかたちをとって何かが出現したり、静止ではなく、動いているものをとらえた感覚が生まれる。私が撮影するのはスチール写真だが、現実世界における生と動きの映画的な感覚は、私の基盤の一部でもあるからね。

長年にわたって写真への情熱を燃やし続けるものは何ですか? 写真以外に、インスピレーションを求める媒体はありますか? 絵画とか?

絵は私の人生の大きな部分を占めたし、今でもそれは変わらない。だが写真には、ほんの一瞬で現れたり消えたりする儚さがある。そこが絵との違いであり、だからこそ、一生を通じて私を夢中にさせてきた。実は、写真家として岐路に直面したことが7回あって、その都度、写真の他の側面、それまで関心を向けていなかった側面に目を向けた。去年はセルフポートレート写真の年だったよ。2020年の1月1日からスタートして、パンデミックの期間を通じて1年中、毎日欠かすことなく自分の写真を撮った。セルフポートレートだけ。大変だったよ! セルフィーとは別物だからね。よく考えて、三脚の上に本物のカメラを乗せて、タイマーをセットして撮る写真だ。今はそうやって撮った写真をまとめている段階だが、一般に考えられているセルフポートレートに挑戦するものだから、できれば本にしたいと思っている。それはともかく、絵に関しては、私の人生後半に大きく影響したのはフィリップ・ガストン(Philip Guston)だ。彼が抽象表現主義の不毛な世界を去った後に創造したような、粗削りでエネルギッシュで滅茶苦茶な作品を作ってみたいもんだ。「今では、抽象表現主義の絵を目にすると、ミンクのコートの臭いがする」とガストンは言ったことがある。虚飾でしかないということだ。

Hillary WestonはThe Criterion Collectionのソーシャル メディア ディレクターであり、同社がオンライン出版する『The Current』の常勤ライター。『Film Quarterly』、『BOMB』、『Interview』、『The Brooklyn Rail』、『BlackBook』などに記事を執筆している

  • インタビュー: Hillary Weston
  • 写真: Joel Meyerowitz 協力:Howard Greenberg Gallery
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: September 3, 2021