J・バルヴィンは
世界制覇を目指す
コロンビア出身の
ビッグなポップ スターは
人気も夢も急拡大
- インタビュー: Matthew Ismael Ruiz
- 写真: Victor Llorente

モデルになるための衣装合わせで長い1日を過ごしたJ・バルヴィン(J Balvin)は、疲れ果て、真紅のシートのボックス席で丸くなっている。頭上の童画風に農場を描いた壁紙は、はがれかかっている。電子タバコをふかし、自分の名前が出ている記事をスクロールしているところに、Uberにも投資を行なっている起業家スクーター・ブラウン(Scooter Braun)から電話が入る。エド・シーラン(Ed Sheeran)とコラボレーションする「Sigue」と「Forever My Love」について、スピーカーフォンで話し始める。バルヴィン、ことホセ・アルヴァロ・オソリオ・バルヴィン(José Álvaro Osorio Balvín)が心穏やかに寛げる時間はないようだ。静かに休息しているようでも、仕事をしている。常に仕事中。「オレは大物アーティストなんかじゃない」とバルヴィンは断言する。「ただの夢を追ってるだけ」。当然ながら、同時にその両方であることは可能だ。

J Balvin 着用アイテム:セーター(ERL)、トラウザーズ(Marc Jacobs)、ソックス(Bottega Veneta)、スニーカー(1017 ALYX 9SM) 冒頭の画像 J Balvin 着用アイテム:(CMMN SWDN)

J Balvin 着用アイテム:セーター(Jean Paul Gaultier)
バルヴィンは今やトップクラスの国際スーパースターとして、各種のチャートを総なめにし、大規模会場でのコンサートを完売し、世界中の雑誌の表紙を飾っている。音楽と歩調を合わせて、華やかなスタイルも生まれている。2018年にGef Franceからカプセル コレクションを発表し、Guessとも一度ならずタッグを組み、レインボーカラーのAir Jordan 1や近日発売予定の暗闇で光るJordan 2など、スニーカーの世界でもコラボを行なっている。そんな八面六臂の活躍ぶりにふさわしい野心を抱くバルヴィンは、容赦なく望みを追求する。ただの成功では満足できない。記録を破り、「最初」と「1位」を獲得し、全世界に足跡を刻みたい。しかし、自ら課したこの目標には厄介な問題が伴う。
ニューヨークの高級ナイトクラブ「The Box」は、エロティックなバーレスク ショーと一流揃いの常連で有名だ。いちばん先にやってきたバルヴィンは、全身ブラックのアンサンブルに、レザーのボンバー ジャケットで2月の寒さから身を守っている。一緒にやって来たアシスタントのマイク(Mike)、メイクアップとグルーミング担当のタティ(Tati)も、同様にカジュアルだ。コロナの抗原検査の結果を待つあいだ、バルヴィンは20日前に回復したばかりの最新コロナ感染をジョークにして、落ち着かない緊張感をほぐそうとする。
ワクチン未接種で初めてコロナに感染した2020年の夏とは、大違いだ。あのときは、もう少しで入院だった。前回は数日で仕事に復帰し、パリへ飛んでエド・シーランやファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)とレコーディングし、その後ニューヨークへ戻り、チームのメンバーたちに携帯でセッションの様子を再生して見せた。現在は何年かぶりの世界ツアーを準備している。最大級のステージでの公演を始めた矢先にコロナ禍がライブに幕を下ろしてしまったから、意気揚々と復活だ。

J Balvin 着用アイテム:タートルネック(Homme Plissé Issey Miyake)、ジャケット(1017 ALYX 9SM)
南北アメリカがパンデミックに襲われたときは、バルヴィンも家に釘付けで、どこへも行けなかった。数日後には4枚目のスタジオ アルバム『Colores』のリリースが予定されていたし、その後はプロモーションのイベント、インタビュー、ショーが続くはずだった。ロックダウン中の自宅からプロモートするのでは商業的成功が危ぶまれるというもっともな理由で、レーベルのUniversal Music Latinoはリリースの延期を懇願した。だがバルヴィンは、困難な時だからこそ人々には光が必要だと考え、頑として予定通りのリリースを主張した。結局、どちらの言い分も正しかった。パンデミックが始まった当初、全体的に新曲のストリーミング再生回数は減ったものの、他のアーティストがリリースを延期しツアーを中止する中で、バルヴィンのファンは新曲に恵まれ、オンラインで視聴することができた。その結果『Colores』は第1週に2万4,000ユニットの動きを記録した。2019年にバッド・バニー(Bad Bunny)とコラボした『Oasis』の第1週売上が3万6,000ユニットだったから、遜色はない。
終わりの見えないパンデミックが続くと、バルヴィンは不安定になった。ファンの前で歌うことができない。代わりにスタジオへ入ってみても、バイブスが消えていた。「先ずインスピレーションを感じるだけでも、時間がかかった」と彼は回想する。「とにかく、みんなが悲しい気分なんだ」。家で息を潜めているのにうんざりしたから、憂さ晴らしにマイアミへ逃避してみたが、これが大きな過ちだった。不安と鬱に悩んでいるのに、気分が上向いてきたと思って薬を飲むのを止めたせいで、不安が大きくぶり返した。その上コロナに感染した。体はウィルスと闘い、血中酸素濃度は人工呼吸器を必要とするレベルすれすれまで急激に低下した。「もう少しで死ぬところだった」と、『Billboard』誌のインタビューで認めている。コロナ感染の体験も怖かったが、処方薬の服用を中止した結果はもっと怖かった。「元の状態まで戻るのに、ほぼ2年かかった」とバルヴィンは言う。「あの年はラテン グラミー賞で年間最優秀アーバン アルバムに選ばれたのに、ちっとも嬉しくなかった。生きてる気すらしなかった」

J Balvin 着用アイテム:コート(LU'U DAN)、トラウザーズ(LU'U DAN)、ブーツ(Rick Owens)
バルヴィンは自分のメンタルヘルスについて、率直に語る。体験を共有して、同じような闘いをしている人を応援する責任があると確信しているからだ。そのせいでソーシャルメディア上の非難に晒されることも、わかっている。成功したのに不平不満を言っていると誤解する人たちもいるのだ。名声を得れば脳内化学物質が調和するはずだ、とでも思っているのだろうか。だがバルヴィンは、「OKじゃなくてもOK」だと気づかせるだけで、本当に命を救えるかもしれないと心から信じている。「誤解も多いし、烙印を押されることも多いから、『そのことは話したくない』となる。オレだってかなり攻撃されるし」。オンラインで、匿名で批判してくる大勢のことだ。「『やれやれ、憂鬱なやつだ、不安症だ、感謝ってものを知らないやつだ、何でも手に入れたくせに』って言われるたびに、狙撃されてるような気がする。あの連中にはわからないんだ」
2021年6月に息子のリオ(Rio)が生まれて父親となった今は、子供が体験する環境を強く意識している。「現代社会は、君の親もオレの親も、全部の親が『医者になれ。弁護士を目指せ。こうしろ、ああしろ』って感じだろ。どうして『幸せになれ』と言わなかったんだろ?」 自分の最悪の恐怖は両親から引き継いだものだと、バルヴィンは信じている。急性間欠性ポルフィリン症という難病を患っていた母は、死を考えて沈み込むことが多く、子供のバルヴィンに死に対する大きな恐怖心を植えつけた。父は事業に失敗し、財産が消えていくのを目の当たりにした経験から、年をとって貧乏なのがどんなに情けなく怖ろしいものかをバルヴィンに叩き込んだ。「オレ、キャリアと音楽に全力を注ぎながら、貧乏な年寄りになるのはご免だと考えてるからな」。同時に、メンタルヘルスの闘いをリオから隠そうとも思っていない。むしろ、父親が不安や鬱をなんとかコントロールする姿を見せることで、リオの助けになりたいと思う。人間は弱く傷つきやすく、人生には何度も躓きがある。それでもOKなんだと教えたい。
子供に恐怖を植え付けたくなければ、おそらく、まずは自分でそうした恐怖を克服するのがいいだろう。文無しの年寄りになるなという父の警告は、誰よりもいい仕事をしようというモチベーションへ変わった。息子が生まれる1か月前には、死に対する恐怖と向かい合おうと決心して、フライトスーツを身に着け、ヘルメットをかぶり、飛行機に乗り込み、ダイビングの準備を始めた。
「プロのスカイダイバーによると、飛び降りる前に、恐怖を感じる3秒間が必ずあるんだそうだ。『自分はこんなところで一体何をする気なんだ? 地面の上で世間話でもしてるべきじゃないのか?』と気が迷う。だがジャンプした途端にすべてが変わる。死なないためには、自分の恐怖心に直面する必要がある。そこで解放されるんだ」
「自分がやってるタイプの音楽が好きなんだ。楽しんでやってる。次に出てくるのは誰か、それを知る必要があるけど、大勢のアーティストの将来を予想できるのはすごく嬉しい」
全世界でもっともビッグなポップ スターに数えられるまでの道のりは長く、順風満帆ではなかった。やわな決意では挫けたであろう失敗がいくつもあった。ミュージシャンとしてのスタイルを変えたことも、一度ならずあった。学校を卒業後、キャリアを目指す最初の一歩をマイアミで踏み出したのは、当然と言えば当然だ。昼間は家のペンキ塗りや諸々の肉体労働、夜になると一張羅を着てクラブへ乗り込み、華やかなラッパーを演じる生活だった。空虚な気分だったのは、事実、中味が伴っていなかったからだ。成功したアーティストがするであろう生活や行動を想像し、真似ていただけだ。誰も本気で取り合ってはくれなかったし、バルヴィン自身にとってさえ、まやかしだった。結局、意気消沈して故国のコロンビアに帰った彼は、本当の自分の表現を探し始めた。
必ずしも生まれた場所で人生が決まるわけではないが、バルヴィンの道程を理解するうえで、コロンビアという国を無視することはできない。1990年代、シャバ・ランクス(Shabba Ranks)の傑作トラック『Dem Bow』で大人気になったリディムにのせて、ジャマイカのダンスホール ミュージックとアメリカのヒップホップを混ぜ合わせた「レゲトン」がプエルトリコの首都サンフアンのクラブから広がり始めた。プエルトリコのミュージシャンたちが使ったサウンドの元型は、パナマで生まれた「スパニッシュ レゲェ」だ。パナマには、パナマ運河建設時に移住したジャマイカ人のコミュニティがあったからだ。2000年代後半になると、攻撃的で卑猥な表現の多いレゲトンは、犯罪と繋がる有害な音楽としてプエルトリコで非難を浴びる一方、コロンビアはレゲトンとレゲトン スターたちを歓迎し、独自のコミュニティが形成されるに至った。特にバルヴィンが生まれた街メデジンを含め、当時のコロンビアは、麻薬王パブロ・エスコバル(Pablo Escobar)に支配されたコカイン中心地という1980年代の汚名から、脱却を果たしたところだった。そして、レゲトン アーティストたちを南米へ迎え入れる玄関口、熱烈にレゲトンを愛する場所になった。コロンビアなら、レゲトン アーティストがキャリアをスタートすることも、あるいはキャリアの梃入れを試みることもできたのである。
例えばニッキー・ジャム(Nicky Jam)に聞いてみるといい。「The Noise」のようなサンフアンのクラブからレゲトンを大きく広める貢献を果たしたレゲトンの元祖だが、ドラッグと犯罪絡みでレールを踏み外した。『Gasolina』でレゲトンをメインストリームに押し上げた伝説のアーティスト、ダディー・ヤンキーと非公式にデュオを組んでいた時期もあったのに、それも終わりを告げた。かくしてプエルトリコで「ペルソナ ノン グラータ」とみなされ、初めてコロンビアでステージに立った2007年、ジャムのキャリアは瀕死の状態だった。だが彼を伝説のアーティストとして迎え入れたコロンビアで、蘇生した。「メデジンの聴衆が気に入るかどうかで、どれがホットか、どれがヒットするか、わかるんだ」とバルヴィンは言う。「これは、プエルトリコのアーティスト全部に通用するセンサー。メデジンで気に入られたら、コロンビア国内、エクアドル、ベネズエラ、ペルー、チリ、アルゼンチンへ進出していける」
バルヴィンを友人と呼ぶアフリカ系パナマ人のレゲトン アーティスト、セッチ(Sech)も同意する。パナマ国外で彼に公演のチャンスを与えたのはコロンビアが最初だったし、音楽に向ける聴衆の情熱に圧倒された。マイアミでキャリアをスタートできなかったバルヴィンだが、故郷の人々の心を動かすことができれば、まだチャンスはあった。

J Balvin 着用アイテム:ポロ(Hood By Air)、トレンチ コート(Hood By Air)
そしてコロンビアで、模索していた自分の声を見つけた。2012年の『J Balvin Mixtape』を始めとする初期のアルバム、特に2013年の『La Familia』は、思わずヒップが動いてしまう「ブン-チ-ブン-チッ」というレゲトン特有の「デンボウ」リズムが顕著だ。しかし同時に、プエルトリコと同じく、ヨーロッパのダンスフロアにあるメロディー性も兼ね備えていた。バルヴィンのサウンドは、レゲトンを渇望したコロンビアで火が付いた。
今でこそ完璧に磨かれたポップとして国際的に有名になったものの、初期の作品は、世界のトレンドとはほとんど似ていなかった。リリースを重ねるごとに、飛躍的に洗練の度が増したのだ。ツアーを行ない、南北アメリカに次いで世界を回るようになると、バルヴィン自身の好みとビジョンを正確に反映したサウンドにどんどん近付いていった。真の突破口となったのは、2018年に発表したアルバム『Vibras』だ。ダンスホール、トラップ、サルサ、バチャータ、アフロポップを的確に抽出したサウンドはまさにグローバルと呼ぶにふさわしく、それぞれに異なる影響が巧みなシーケンスによって繋がり合い、見事に調和している。アルバム中最大のヒットは、ラテン系アメリカ人に捧げた「Mi Gente」だ。フランス系モーリタニア人のプロデューサー、ウィリー・ウィリアム(Willy William)と共作したこの曲は、ブルー・アイビー・カーター(Blue Ivy Carter)が夢中なあまり、母親のビヨンセ(Beyoncé)がリミックスに乗り出して人気が急上昇した。「Mi Gente」はいつまでもバルヴィンの代表作として残るだろうし、アメリカで最高にビッグなスターのお墨付きがあろうとなかろうと、バルヴィンの成功は青天井であることを改めて思い知らされる。
バルヴィンが2018年のベストなポップ アルバムに持ち込んで成功させたのは、ブラック ミュージックのジャンルだった。彼は、メインストリームのアーバン ミュージックで活躍する大多数のスターと同じく、黒人ではない。レゲトンの伝説ダディー・ヤンキーを初めて聞いたときは当然黒人だろうと思い、後に写真を見て白人であることを知って「なんだ、オレだってなれるんだ」と思ったと、昨年、コロンビアの『El Tiempo』紙に語っている。カルチャーの流用を巡る対話がようやくメインストリームに達した現在、バルヴィンは、ブラック ミュージックで大成功を収めた白人アーティストとして、論争の渦中に置かれることが多い。2021年に、ニュージャージー州の非営利団体「アフリカン エンターテインメント アワード USA」からアフロラテン部門の最優秀賞を授賞されたときは、後になって、アフリカ系ラテン コミュニティに属さないことを認めた。だが、授賞自体が問題だとなぜ最初からわからなかったのか、頭を傾げる人が少なくなかった。
しばしば無視される黒人も含めて、ラテン系の人々が正しく評価されるために、彼ほどの知名度を持つアーティストは何ができるのだろうか? 「オレ、そういう考え方はしないんだ。ラテン系といったら、ラテン系全部を考える。黒かろうが、茶色だろうが、黄色だろうが、赤だろうが、みんな同じラテン系だ」
そうは言っても、同じ扱いは受けていないじゃないか。
バルヴィンは顎に手を当てて、考える。「思うんだけどさ、レゲトンのアーティストには白人が多い。だけど、ブラックとかホワイトとか、そういうことを話すこと自体が変なんだ。要は、同じラテン系なんだから!」 彼の一方の祖父は黒人だったと言う。バックダンサー9人のうち、6人は黒人だ。「親友には黒人のラテン系もいる。『黒人のラテン系』という呼び方からしておかしい。オレにしてみたら、ただの仲間だ」

J Balvin 着用アイテム:コート(LU'U DAN)
明らかに、ラテン音楽界の人種力学に関わるのはごめん蒙りたいらしい。しかし、構造的な不公平が存在する限り、彼が作る音楽の点でも彼が身を置く文化の点でも、無関係でいることはほぼ不可能だ。「Perra」の件は、記憶に新しい。しなやかに歌うようなフロウとタブーを嘲る歌詞で知られるデンボウの新星、アフリカ系ドミニカ人のトキシャ(Tokischa)とコラボしたこの卑猥なトラックを持ち出すと、バルヴィンの口は重くなる。
2021年の10月にリリースされた「Perra」のビデオでは、歌のコンセプトそのままに、ふたりの黒人を含め、首輪とリードをつけた女性たちを犬さながらにバルヴィンが散歩させていた。激しい非難が巻き起こった。バルヴィン自身の母も怒った。バルヴィンはビデオを撤回し、Instagramで謝罪した。「不快にさせたすべての人々、特に女性と黒人コミュニティに謝罪したい。あれはオレ自身じゃない。オレは寛容と愛とインクルージョンを信じている」。母に対しては、なんとか気軽な口調で「ママにも謝る。人生は毎日良くなっていく。オレの歌を聴いてくれてありがとう」
トキシャはビデオの撤回にまったく関知していないという。「彼はレコーディングにやって来て、彼のプラットフォームを使わせてくれたのよ」。ビデオ撤回後のインタビューで、『Rolling Stone』に語っている。「そんなホセを一体何に巻き込んじゃったんだろう、って感じ」。バルヴィンがもう少し注意深い後見人であったら、あのコラボは彼女がメインストリームに乗り込む勝利を意味したかもしれない。
さまざまな物議を醸したにも関わらず、トキシャを始め、コラボしたアーティストのなかにバルヴィンを悪く言う者はいない。メインストリームへ進出したアフリカ系パナマ人のレゲトン アーティスト、セッチの名前を挙げた途端、「あいつ、いいやつなんだ!」とバルヴィンは顔を輝かせる。セッチとはその後話す機会があったが、成功できたのは、彼の前に頑張ったアーティストたちのおかげだと言っていた。手渡されたボトルを簡単に開けられたのは、7人のアーティストが少しずつコルクを緩めてくれていたからだ、という言い回しで。世界がパナマ人ミュージシャンに耳を傾ける時がようやく到来したとも確信している。「オレの後にも、続々登場するだろうよ」と、パナマの自宅からセッチの声が電波にのって伝わってくる。「すごい才能があるから。オレの歌がわかるんだったら、やつらの歌も絶対わかる。嬉しいね。オレと同じ血が流れてるブラック ピープルが、自分にもできるとわかるはずだ。オレたちだって成功できるんだ」

J Balvin 着用アイテム:セーター(Bottega Veneta)、T シャツ(Rick Owens)、バラクラバ(CMMN SWDN)
トキシャとのコラボもそうだったが、バルヴィンは、新進アーティストが入って来られるように扉を開いておこうとする。今や世界でバルヴィンと人気を争うビッグなアーバン スターに成長したバッド・バニーと初めて会ったときは、録音スタジオにはほんのわずかな時間しかいなかったものの、感動して泣きそうだったと言う。そして数年後にふたりはコラボレーション アルバム『Oasis』をリリースし、フェスティバルで共演するようになった。セッチも同じような思い出を語る。いかにも大スターらしいパワーに圧倒されたと同時に、ホセという気のいい男が自分に関心を持ってくれるのを知って、驚いたそうだ。自分のために利用するのではなく、友情を大切にする良き先輩でありコラボ パートナーだった。セッチによると、リリースしたコラボ トラック「Una Nota」はYouTubeで3000万回近い再生を記録したにもかかわらず、ふたりは話題にすらしない。
「ホセは特別だ」とセッチは言う。「何もかも、全部手助けしてくれた。『どうしてオレに頼まなかったんだ?』ってしょっちゅう言われるから、『友達とマネージャーは違うだろ』って答えるんだ(笑)。とにかくいつも助けてもらえるんだから、本当、ありがたい。ホセとは、音楽だけじゃなくて何でも話す仲だ。バイブスが一緒なんだな。バイブスさえ通じてたら、何でもあり」
バルヴィンは、昔ながらのA&Rさながら、才能を聴き分ける耳と才能を人気に変えられるスター性に気づくことができる。やり方は細心の注意を払うこと。身近の誰かが新しい音楽を教えてくれたとき、ソーシャルメディアの雑音を裂いて新鮮な声が聞こえたとき、トラップやレゲトンをキュレーションしてシェアするInstagramアカウントが有能な新人を紹介したとき、バルヴィンは敏感に察知する。
「自分がやってるジャンルが好きなんだ」とバルヴィンは言う。「楽しんでやってる。次に出てくるのは誰か、それを知る必要があるけど、大勢のアーティストの将来を予想できるのはすごく嬉しい」。期待できそうなアーティストを尋ねると、何人か、南米アーティストの名前がすらすらと出てきた。メデジン出身のライアン・カストロ(Ryan Castro)とブレスド(Blessd)、アルゼンチン出身のトレノ(Trueno)、マリア・ベセラ(Maria Becerra)、L・ガンテ(L-Gante)。かつてのメデジンと同じように、アルゼンチンでは一群の新人スターが誕生し、以前からフリースタイル ラップ バトルを愛してきたコミュニティに関心が集まっている。アルゼンチンの若きプロデューサー、ビザラップ(Bizarrap)の話になった。彼が手掛けた地元ラッパー、そして最近では大物レゲトン アーティストとの「フリースタイル」や「ミュージック」のセッションは、YouTubeからヒットチャートへ躍進している。「基本的に、あいつはアルゼンチン文化の象徴だ」とバルヴィンは言い切る。

J Balvin 着用アイテム:セーター(ERL)、トラウザーズ(Marc Jacobs)、ソックス(Bottega Veneta)、スニーカー(1017 ALYX 9SM)
バルヴィンの次なる段階ははっきりしている。セルフブランディングを拡大し、できる限り多くの人々と触れ合うことを目指すだろう。シーランとのコラボの成果に驚く人も少なくないだろうが、それを機に、英語ミュージシャンの規模の大きさに刺激を受ける可能性も想像に難くない。2020年には、3Dコンピュータ アニメ映画『トロールズ ミュージック☆パワー』でレゲトン トロールの声優をやったし、音楽業界を揶揄したリル・ディッキー(Lil Dicky)のコメディ『Dave』にカメオ出演するなど、すでに爪先はハリウッドに踏み込んでいるのだ。ファッション業界とのコラボは、バルヴィン自身がデザイナーのキャリアをスタートするためのささやかな試験的試みと位置付け、適切なパートナーとリソースを得て達成しうる成果を予測しているのかもしれない。カニエ・ウェスト(Kanye West)は、音楽で獲得した熱烈なファン層をグルーバルなファッション ブランドへ見事に転換してみせたが、バルヴィンの影響力がウェストのそれに匹敵するといっても、決して過言ではない。バルヴィンが目指すスケールは、常に大きい。
トップの座に昇りつめても、あるいはトップの座に昇りつめたときでさえ、当然、バルヴィンと自分の闘いは続くだろう。この先ずっと、不安をコントロールして、脳内化学物質のバランスに留意しなくてはいけないだろう。対処法は見つけたようだが、治してお終いという類のものではないからだ。そして、人種による不公平が存在する限り、ブラック ミュージックとの関わりは詮索の的であり続けるだろう。どんなに居心地が悪くても、背負う責任を振り落とすことはできない。「オレにそれほどの影響力があるってことを忘れてたんだ」とバルヴィンは言う。「だが、あの経験のおかげで、世界を良くしていこうと決意した」
Matthew Ismael Ruizはニューヨーク シティを拠点とするジャーナリスト、批評家
- インタビュー: Matthew Ismael Ruiz
- 写真: Victor Llorente
- スタイリング: Sita Abellán
- グルーミング: Tatiana Nader
- スタイリング アシスタント: Steven Gillman
- 制作: Hen's Tooth Productions
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: May 25, 2022

