ジュディス・サーマンの
精緻な審美感

数々の著作で受賞歴のある『New Yorker』常勤ライターが、Comme des Garçons、ISSEY MIYAKE、Isabel Toledoなど、長年のコレクションを語る

  • 文: Chris Gayomali
  • 写真: Ryan Lowry

装いに味を醸し出す要素は、記憶に残る文章を作り出す要素とかなり似通っている。奇妙な並置、常識からの脱却、驚きの感覚を閃かせる装飾だ。最後の要素に成功するライターは、現役でも多くはいない。加えてクールなファッションを体現できるライターとなれば、なおのこと数は限られる。

12月の湿っぽい午後、アッパー イーストサイドの自宅に僕たちを招き入れてくれた ジュディス・サーマン(Judith Thurman)は、文筆とファッションの両方に磨きをかけ、精緻な領域に達した稀有な存在だ。長らく『New Yorker』常勤ライターを務めているサーマンは、この日、全身ブラックの装いだった。流れるようなサテンのパンツはLanvin、フロントのラッフルが素晴らしいチュニックはComme des Garçonsだ。現代の魔女的シックと形容すればいいだろうか。たいていの場合、素晴らしいスタイルは理論より即興の産物であり、楽しさは自由な実験の魔術からが生まれることを、現在78歳のサーマンは理解している。

35年前に買ったというタウンハウスの中は、50年間のキャリアを通じて手に入れた美術品や工芸品で溢れている。1930年代のEames チェア、何世代にもわたって手渡されてきた家宝の辞書、壁に作りつけの棚にぎっしりと詰まった稀覯本。「この様子を見るとすごくお金がかかってるような印象を受けるだろうけど、それは誤解。思い違いよ」とサーマンは言う。「私は、昔からずっと、古着や古道具の愛好者なの。全部とは言わないけど、ほとんどの家具は古道具屋で買ったものだし、アートは友人たちがくれるのよ」

生まれたのもクイーンズだが、今とは反対に、イーストリバーの向こう側だ。16歳でカレッジへ入学し、卒業後にヨーロッパへ向かった。文化を学ぶためにはどうしても必要な選択だった。「イギリスで暮らし始めたの。当時の水準から考えても、物価がすごく安かったわ」と、50年前に買ったウィリアム4世時代の重厚なデスクを指さす。「あれが40ポンドか50ポンドだったもの」

サーマンは1972年に最初の詩集『Putting on My Coat』を出版し、詩人として文学の道を歩み始めた。だが時を経ずして、文才を活かしながらエッセイを書くリズムをつかんだ。詩より長い形式は、詩人としての配慮と精密さを維持しつつ、関心の対象を深く探る自由をもたらした。「私がもっとも敬愛する文筆家たちは、決して不注意な言葉を使わない」と、サーマンはエッセイ集『A Left-Handed Woman』(2022年)の序文に書いている。「それ以上磨くことが不可能な文章だ」

Comme des Garçonsの格子柄トートは、作家シーラ・へティ(Sheila Heti)が開いたブック パーティ兼服交換会で入手。同じくComme des Garçonsのパープル バッグはParisストアのセールで購入。(冒頭の画像)イザベル・トレド(Isabel Toledo)の一点ものスカート。イベント用に借りて「ずっと返すつもりでいた」が「イザベルは乳がんという痛ましい最期を迎えてしまった」。

詩は、ファッションと同じく、「感情、知覚、自然、欲求、自意識との思いがけない繋がりを作り出す」とサーマンは説明する。「どんなジャンルであれ、素晴らしいスタイルを生み出すのは、そういう思いがけない繋がりなのよ」。サーマンがこれまでに与えられた栄誉を列挙すれば、細かい字が延々と続く長々しいレシートも顔負けだ。全米図書賞ノンフィクション部門に始まり、最近ではダドリー賞アート ライティング部門で受賞した。「まあ、特別功労賞みたいなもんね」とサーマンは言う。著作のテーマには、誤解されたまま人生を閉じたパワフルな女性たちの人生を選ぶことが多い。例えば、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)、シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)、アンネ・フランク(Anne Frank)、物議を醸したドイツの映画監督レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)。「強い女性が私の好み」

サーマンは、長年『New Yorker』でただひとりのファッション評論家であったことでも有名だ。この若干奇妙な役回りは、ほぼ30年前、当時編集長に就任したばかりのデイヴィッド・レムニック(David Remnick)の指示だったとサーマンは記憶している。「コレット(Colette)の伝記を書くために8年間休職したの。1999年に職場へ戻ったら、レムニックが『よし。じゃあ、何について書きたい?』って訊くから『本について』って答えたら、『いやいや、本について書くライターはごまんといる。それ以外に書きたいものは?』。それで『じゃあ、ファッションについて。特に、社会の歴史、伝達の形態としてファッション、言語としてのファッション』と答えたの」

サーマンの近著の数々。

レムニックもサーマンの説明に異存はない。「仮りに次はプロフットボールについて書きたいと言っても、ジュディス・サーマンなら大歓迎だ」とメールには書かれていた。「要は、彼女が興味を覚えたことなら何であれ、是非読んでみたいと思う。幅広い関心と感性、文学を深く読み込む力、ファションに対する鑑識眼…ジュディスには多くの側面がある。賢明な編集者はライターに従うものだし、ジュディスのように多大な才能があるライターであれば、尚更のことだ」

サーマンがプロフィール記事やエッセイで取り上げたココ・シャネル(Coco Chanel)、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)らは、現代のファッションを形作ったデザイナーたちだ。いずれの著述でも作品を参照しつつ、サーマンはデザイナーを創作に向かわせた動機や欲求を解説し、生き生きとした人物像を正確を描き出している。だが特に僕を惹きつけたのは、Comme des Garçonsの川久保玲(Rei Kawakubo)に関するプロフィール記事(2004年)だ。『The Misfit』と題されたあの記事を読んで、僕は川久保玲の作品に関心を持った。反逆の形態あるいは社会に対峙する方法を模索する手段として衣服を考えるようになったのは、あの記事がきっかけだった。

「慣習的なファッションと特にその広告は物語の領域だ。 一端に昔ながらのロマンスがあり、対極にSFがあり、両者の間のどこかに若い女性が配置される。川久保は物語を語らない。常に納得はできないにせよ、自らの作品の影響と繋がりが存在しない真空で創作すると主張する」

「全部とは言わないけど、ほとんどの家具は古道具屋で買ったものだし、アートは友人たちがくれる」。

ファッション記事の執筆は数年前にやめた。中国人デザイナーのグオ・ペイ(Guo Pei)について書いた2016年のプロフィール記事が最後だ。だがその後も、ホメロス(Homer)と『オデュッセイア』を含め、いくつかの記事を書き続けている。「しばらくのあいだ、ファッションについて書くのはとても楽しかった」とサーマンは言う。「でも本当のところを言うと、ソーシャルメディアの時代になって、ファッションから卒業したってこと。私、ソーシャルメディアはやらないし、ファションの世界も完全に変わってしまった。もう現実の世界ではなくなったわ」

Comme des GarçonsYOHJI YAMAMOTO、Romeo Gigli、ISSEY MIYAKE、Rick Owens、その他数多くのデザイナー アイテムが詰め込まれたサーマンのワードローブから、お気に入りの数点を見せてもらった。「相対的にみれば、私は服をたくさん持ってるほうでしょうね」

(注記:以下の対話は、対面でのインタビューと交換したメールの内容を組み合わせ、編集したものである)

ブラウスはComme des Garçons、ネイビーのプリーツ キュロットはISSEY MIYAKE。「キュロットは裾広がりのデザインだから、ハンガーに掛かってるより、着たときのほうがはるかに素敵。ブルーとブラックの組み合わせは最高にシックよ」。

クリス・ゲイヨマリ(Chris Gayomali)

ジュディス・サーマン(Judith Thurman)

クリス・ゲイヨマリ:今着ていらっしゃる服について教えてください。

ジュディス・サーマン:二十歳の頃から、というか、セカンドハンドなるものの存在を知って以来、私はずっと古着や古道具を愛好してる。当時はあまりお金がなかったこともあるけど、「探し出す」って考え方が大好きなの。気に入ったものを見つけて組み合わせる楽しさを、これまでたくさん書いてきたわ。ショッピングが上手くない人をショッピングに連れていくのは楽しいわよ。みんな「どうやって見つけたの」って驚くから、「視野を広くしなきゃダメ」って教えるの。
色んなものが詰め込まれた古着屋や古道具屋へ行ったら、とにかく広く視野に入れるのが、大量の品数に圧倒されない秘訣よ。
このComme des Garçonsのトップスは、近所にあった素晴らしい再販店で手に入れたわ。日曜の午後ともなると常連が集まる場所でね。オーナーのタマラ(Tamara)が、私にぴったりだから、って売らずに取って置いてくれたの。

あなたの好みをよく知っていたんですね。

知り抜いてた。パンツのほうは、マディソン アベニューにあるLa Boutique Resale。あそこは良い物がたくさんある。

ジュエリーは?

このBulgariのリングは、亡くなった親友の形見。こっちは、『愛と哀しみの果て』の仕事でアフリカにいたとき、友達の手許から私の手許へやってきたの。元の持ち主がヘビに噛まれて死んでしまったから(編集者注記:1985年のシドニー・ポラック(Sydney Pollack)監督作品『愛と哀しみの果て』は、アイザック・ディネーセン(Isak Dinesen)の回想録とサーマンのディネーセン伝記を基に撮影された)。
こっちは役目を果たさなくなった結婚指輪のひとつ。

共にRick Owensのドレスとレザー ジャケット。「Rick Owensのダークなゴシックの感性が大好き。『パティ・スミス(Patti Smith)に似てる』とか『クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)みたい』って言われたけど、『そう? 似てないと思うけど、でもいいわ』って買ったの」。

川久保玲は姿を見せないことで知られていますが、あなたにプロフィール記事を書かせてくれたのはどうしてだと思いますか?

デザイナーと女性について書くファッション ライターとしての実績が、私にあったからよ。フェミニストの彼女は、そういうライターとしか話をしない。ほとんどはパートナーのエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe)との対話だったけど、玲も何度かインタビューに同席してくれたわ。ほとんど何も喋らないの。記事には、そういうことも全部含めて書いてある。私が馬鹿げた質問をしないことに、玲は感謝してたんじゃないかしら。

具体的に、ファッションや着こなしに目覚めた記憶はありますか?

昔フランス人のボーイフレンドがいて、彼のお母さんがすごくシックだったの。私は何も知らなかった。文字通り、クイーンズからやって来たアメリカ娘。自分は無知だという意識すらなくて、自分がどれほど無知かをわかっていなかった。あるとき、ボーイフレンドの父親がとても有名な芸術評論家だった関係で、ジョアン・ミロ(Joan Miró)展のオープニング パーティに招待されたの。ベルギーのカジノが会場で、それは盛大な催しだったわ。私は、何を着ていけばいいかわからないから、とりあえずロンドンにあったBibaのショップで白いコットンキャンバスのスカートを買ってきた。後は手持ちの、変てこりんなノースリーブのストライプTシャツとチェリーが付いたニットの帽子。髪の毛はぼうぼう。会場で私がいちばん年少だったわね。

「アーティストの友人ミシェル・オカ・ドナー(Michele Oka Doner)がプレゼントしてくれたLanvinのドレス。着慣れない色なのに、この色が大好き。袖がちょっと変だけど、川久保玲のジャケットを羽織ると、ルーシュが縁取られていい感じになる」。

先祖伝来の辞書。

いくつ位のときですか?

20か21。同じテーブルで隣に座ってたのは、それまでに見たなかでいちばんシックな女性だったわ。ちょうど今の私くらいの背格好か、もっと痩せてたかもしれない。髪はブロンドで、Saint Laurentのショートスーツを着てた。長めのショートパンツとタキシードジャケットみたいなスーツ。
ディナーのファーストコースはキャビアでね、私は食べるどころか、見たことすらなかった本物なの。だからペロッと平らげたわ。隣の女性はそんな私を見ながら、煙草を吸ってた ー あそこじゃ、誰もかれもが煙草を吸ってたけど。そして言ったの、「あら、私のもどうぞ」って。あの夜は懐かしい思い出だけど、頑張ってゲームの腕を上げなきゃいけない、と思った夜よ。ゲームのやり方を知ったときでもあるわ。

「衣服に備わった意味を語ることに興味がある。私が関心を持つのは、衣服から伝わってくる感覚だから」

柔らかいドレープや明確なラインを愛するようになったのは、その体験の影響ですか?

あれからフランス流のスタイルにすごく興味を持つようになったわ。パリ暮らしのせいで、私のフランス語はかなりのレベルなのよ。当時は、私と同世代でも、みんな素晴らしいスタイルのセンスを持ってた。1960年代のロンドンで暮らす、ヨーロッパを体験するってのは、そういうことだったのよ。ローマにもしばらくいたわ。そのときはギャラリーで働いたから、ある程度きちんとした身なりが求められたけど。丁度その頃、『昼顔』が封切られて、衣装は全部Saint Laurent。なかでも、白い襟がついた黒いドレスがすごく印象的だった。

サーマンと圧倒的にブラックが多いドレス。

Saint Laurentからアバンギャルドへ好みが変わったのは?

もっと後のこと。第一、川久保玲が一大旋風を巻き起こしたのは1980年代だけど、それより20年前の話だもの。そうこうして、私はアメリカへ帰国して今みたいなライターになったわけだけど、私は違う世界で暮らしてたし、ファッションに関心があった。社会評論家としては、日本からComme des Garçonsが登場して大評判になったとき、たちまち心を奪われたわ。まさしく私自身を見るようだった。玲が私に語りかけてるのがわかったの。

もうひとつ、ベティ・ハルプライヒ(Betty Halbreich)について書いた記事は、自分でも気に入ってることを言っておきたいわ。90歳を超えるまで、40年近くバーグドルフ デパートで働いた伝説のパーソナルショッパーよ。あの記事を書いた頃には私のファッション知識も充実してたし、趣味もかなり洗練されてたけど、後にも先にもベティほど素晴らしいパーソナルショッパーはいないわね。私、彼女のやり方や着こなしを勉強したの。ベティは組み合わせの達人。

Comme des GarçonsのドレスとSigerson Morrisonのシューズ。「魔女の帽子を持ってるから、ハロウィンにはその帽子とこのドレスで子供たちにキャンディを配ったことも何度かある」。

バーグドルフ以外に、友人をショッピングに案内するのは?

かつての古着屋は、もう全部なくなっちゃった。だけど今でも、近場の再販店に行くわよ。ブルックリンはダメ、まったくダメ。最近誰かに言ったのよ、ブルックリンのビンテージストアへ行くのは止めなさい、それよりSSENSEで買いなさい、値段は変わらないけどSSENSEのほうがはるかに物がいいから、って。

「私の拷問部屋」と呼ぶオフィスの入口で。

著作のどれかで読んだのですが、自分以外の人について書くのが好きなのは、自分自身について学べるからだとか。これまでに取り上げたデザイナーのなかで、このことが特に当てはまるデザイナーは?

変だけど、あるいは変じゃないかもしれないけど、マックイーン。エッセイの『Dressed to Thrill』の最後の部分で、マックイーンが女性の評論家に「倒錯」とか「女性蔑視」を攻撃されることを考察したの。マックイーンが暴力を性的なものに変えてるという意見に対して、私は最後のパラグラフでこう書いたわ。「だが、彼のファンタジーを刺激して彼が変貌させる壊された女性たち、犠牲になった女性たちとの同一感を、マックイーンは深く感じていた。浪漫的に表現した脆さへの真意は、彼の腕のタトゥーとして私たちの目の前にありながら、見過ごされていたのかもしれない。それはシェイクスピア(Shakespeare)の『真夏の夜の夢』でヘレナが呟く台詞だ。恋する人に振り向いてもらえない娘ヘレナは、自分の真の美しさは目に見えないと感じて『恋は目で見ず、心で見るんだわ』と言う」。あの憧れと葛藤、簡単には諦めないたくましい娘、あれが私、あるいは私だったの。ただ私はそれを言葉に置き換えることができなかった。

Alexander McQueenのカラフルな幾何学模様ドレス。「窮屈な服と明るい色の服を絶対に着ない私にしてはとても珍しい買い物だったけど、再販店で目にして一目ぼれ。組み合わせたのは、ちょっと変わったパンツ」。

Comme des Garçons。

マックイーンについて書くのがそれほど楽しかった理由は?

彼が作る服はストーリー、彼は詩人なのよ…母親との関係、闇や美との関係。とにかく怒れる若者だった。『New Yorker』フェスティバルに彼とステラ・マッカートニー(Stella McCartney)を招待して、イベントをやったことがあるの。最初はすごく不愛想だったけど、しばらくしたらステラと打ち解けて、こう言ったわ。「なんで僕らにそんなことを尋ねるんだ? 俺は知識人じゃない! なんで俺にそんな質問をするんだ?」

執筆する時間帯は?

原則的には、昼間に仕事をしてからゆっくり散歩することになってるけど、実際は締め切りが迫ってから書く。ひたすら書く。6時間以上は無理なのを知ってるから、朝起きて、コーヒーを飲んで、アルファベットで単語を作るパズルをひとつやって、執筆や仕事を始めて、1時になったら簡単にお昼を済ませて、散歩に出かける。大体1時間くらいかな。帰宅後にもう1時間程度仕事をしたりして、適当な時間に就寝。

「グラスゴーの高架道路の下で開かれる、有名なフリーマーケットで見つけたコート。もう50年も前のことだけど、それよりさらに30年前のコート。ボイラーを新しくしたおかげで今は家の中が暖かいけど、前は凍えそうに寒くて、これを着てたものよ。元はスコットランドのお城で着るためのコートだったの」

これまでに書いたなかで、完璧な文章は?

これまでのインタビューで最高の部類に入る質問だわ。最高度に完璧な文章、少なくとも私が誇りに思う文章、ね。もちろん「完璧」は相対的だけど、ページの上に小さな奇跡が起きたような、幸せな気分になった文章がふたつある。

ひとつは、日本の手作りの豆腐について書いたエッセイ『Night Kitchens』の冒頭。京都にある大仙院で一般の人が参加できる座禅に参加した体験から、枯山水を描写した箇所よ。「...あくまで簡潔な庭園は手放すことの具現だ。厄介なあがきの後で、本質ではないものを手放すことを自分に許す瞬間の形だ」

もうひとつは、英国の詩人アリス・オズワルド(Alice Oswald)の「Streaming Device」について書いたエッセイ『A Left-Handed Woman』で、ダート川についての長い詩と彼女の捉えにくい心象を解説した文章。「それらは、彼女が読者に感じてほしい不信を伝えている。言語は現実を固定することで、現実を裏切るのだ」

オフィスで。

Chris GayomaliはSSENSE 暫定マネジング エディタ―

  • 文: Chris Gayomali
  • 写真: Ryan Lowry
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: January 14, 2025