食卓を整える喜び
フード ライターとフォトグラファーと
セット デザイナーが作る完璧な光景
- 文: Alicia Kennedy
- 写真: Brendan George Ko

去年も暮れに近づいたころ、私の中の何かが変わった。突然、ブランド物の靴ではなく、いかにも手作り風のテーブル ランナーに目が向いたのだ。安値を売りにしているMarshall’sの、しかも在庫一掃売場で午後を過ごし、広くて浅いホワイトのボウルや脚のないワイングラスを買い足して、未来のディナー パーティーに備えるようになった。4人程度の気楽な集まりでも大人数の賑やかな集まりでも、紙皿やプラスチックのカップとはさようなら。大仰ではなく、格式張らず、でも見るからに落ち着きのある品々を選び抜いて、我が家の食卓はデカダンに変わるだろう。
何らかの時が満ちたのは確かだったが、それが発展なのか降伏なのかは確信が持てなかった。おもしろくて楽しいんだけれども、もしかしたら、無意識のうちに社会の暗黙の要求に従っているのではないかという微かな懸念があった。新婚の女性は、自分を飾るより、自分以外の人をもてなし、接待し、給仕するものなのか? 棚に置いてあるマーサ・スチュワート(Martha Stewart)の『Entertaining』は、もはや純粋にリサーチ用の資料ではなくなったのか? あるいは、私が歳をとりつつあるだけか?

画像のアイテム:プレート セット(Ann Demeulemeester)、ナプキン セット(Tekla)、ブレスレット(Sophie Buhai)、グラス(Karakter)、花瓶(Completedworks)、キャンドル セット(Marloe Marloe)、キャンドル ホルダー セット(Georg Jensen) 冒頭の画像のアイテム:プレート セット(Ann Demeulemeester)、ナプキン セット(Tekla)、プレート セット(Ann Demeulemeester)、ブレスレット(Sophie Buhai)
確かに、突如湧きおこったテーブルウェアへの執着は年齢のせいかもしれないけれど、それよりはむしろ、パンデミックが続く中、新しい街で友だちができたせいだと思う。私は心から歓迎する気持ちを伝えたかったのだ。理由のある集まりも理由のない集まりもほぼ皆無だけど、制限付きの条件を最大限に活用して、手の込んだご馳走を作って、私の味覚だけでなくスタイルを表現しよう。フードライターなら、美味しい食べ物を期待されて当然。それだけでなく、食卓全体も美しく調和させよう。
とりたてて新しい考え方ではない。一方で、私の好きなおしゃれな人たちが家庭志向のビジネスを立ち上げ、「流行」から「美食」へはっきりと感性を移行しているのを目の当たりにして、「食」に対する真剣さが生まれていることにも気づいた。見た目と文化だけを重視する食卓ではなく、丁寧に選んだ食品を並べ、細かい配慮で美しい食卓を整えることに自己表現と充足を求めているのは、私だけではなかった。ソーシャルメディアに登場する食卓の光景にも、同様の変化が現れている。投稿される画像はオランダ絵画にも似た陰影のあるリアリズム調で、暗い背景からスライスした果物やかき混ぜたコーヒーが浮かび上がっている様子は、まるでアート作品だ。飲みかけのグラスやあちこちに置かれたボトルなど、散らかった食卓のトレンドも新しい。@tables_tables_tablesには、ソーセージ ケーキからラディッシュで覆ったテリーヌまで、あらゆる光景がある。@everyoneatthetableは、今私が住んでいる熱帯の環境とイタリアのプーリア州に類似があるのを教えてくれた。おかげで、我が家のスペイン風アーチと自然に年月を刻んだ白い壁の美しさを、改めて認識することができた。
私が暮らすプエルトリコのサンファンでも、地元のデザイナーやヴィンテージ業者がインテリアの領域に参戦して、私の説を裏付けている。ヤイ・ペレス(Yayi Pérez)のYAYIはベーカリーのPanoteca San Miguelと組んで、テーブルクロス、パン保存袋、ショッピング トートを売り出した。いかにも熱帯的なミニマリズムのデザインが特色で、すべて地元生産の製品は通気性に優れ、軽量で、非常に丁寧な仕上がりだ。古着や中古ジュエリーの宝庫AIDAは、ナチュラル ワイン バーEl Vino Crudoに出現したポップアップ店舗「Casa Iris」でホームウェアを扱うようになった。夥しい種類のガラス製品が揃っており、ワインをすすったり、新酒を探したり、オリーブやアーティチョークのマリネを肴に談笑しながら、じっくりと品定めできる。また、AIDAのオーナーであるマル・アルデア(Maru Aldea)はテキスタイル デザイナーのハイ・ロドリゲス(Jay Rodríguez)とも提携した。私が目をつけている手織りのテーブル ランナーは、レンガみたいな赤と、黒、青、白のコットンで織り出した模様が昔ピクニックに持っていったギンガムを思わせるが、数センチごとに気紛れな模様に変化している。
私は、Instagramという鏡を通して、ニューヨークで食料雑貨とケータリングを営むAlimentari Flaneurとイタリア在住の写真家サム・ユーキリス(Sam Youkilis)のフィードも追っている。どちらを見ても、ありきたりな日常の飲食こそ充実した暮らしの最優先事項だと思わされる。葡萄や牡蠣がどっさり置かれた長いテーブル、新鮮な農産物が溢れるバスケット、朝のエスプレッソをかき混ぜる動作さえ、ドラマと快感のかつてない高みへ上昇して、私が向かうべきものを見せてくれる。仰々しいばかりで空虚な内容に偏る昨今の食文化雑誌にはできないことだ。私が欲しいのは鮮やかな彩りや完璧さではなく、心を込めた食事がもたらす喜びと対話だ。共に食卓を囲み、食事が終わった後ものんびりと寛いで時間を過ごす、親しみに満ちた場だ。
食卓を整えることに熱中し始めたもうひとつの理由は、以前ほど頻繁に服を買わなくなったこと。前は、新しい服で別人になれたら心が満たされるはずだと期待していた。そんな考えから逃れられたのは年齢のせいかもしれないし、もしそうなら神に感謝したい。私たちは毎日食べずには生きていけないけれど、同じ頻度でファッションを回転させ続けるのは到底無理なことだし、サステナブルでもない。反対に、棚に並べている陶器の数を増やし、1か月おきにテーブル クロスやランナーを取り換えれば、いつもの同じダイニング ルームが新しく見える。その上に並べたい食べ物のインスピレーションも湧いてくる。

画像のアイテム:ブランケット(Bless)、ワイングラス(Rira)、キャンドル(Janie Korn)、チーズナイフ(Alessi)、ボウル&プレート セット(Nathalee Paolinelli)、カトラリー セット(Georg Jensen)
新しいレシピは、何らかの展望なしには考えつかないものだ。プエルトリコの熱帯気候では、季節毎に違う農産物が出回りはするものの、故郷のニューヨークほどはっきりした区別はないので、確実に入手できる材料を有効利用するほかない。そこで私はちょっと知恵を働かせ、友人たちと食前酒を飲んだり食事をしたりする時間に、自分のアイデアを検証している。友人たちの反応、ボウルやお皿が空になっていくスピードなどで、アイデアの良し悪しが判断できるのだ。小皿を使うのも好きだ。大抵は母が絵の題材にした牡蠣の殻を再利用し、それぞれが好みの味で食べられるように、フレーク状の塩、赤唐辛子、小さくカットしたレモンやライムを添えておく。
無論、手の込んだ美しい料理を囲むパーティーでなくたっていい。朝のオートミールも、同じように心を込めて盛り付ける。バナナの輪切りとピーナツバターをきちんと分けて配置し、次にオートミールを然るべき場所に落としてから、シナモンと少量の塩を振りかける。全部をかき混ぜる前にiPhoneで撮影することもよくある。かくもシンプルな食べ物で喜びに満ちた1日を始められるのは、なんと素晴らしいことだろう。それからボウルをパティオへ持って行って、少しばかり日光を浴びながら朝食を楽しむが、暑くなってきたら、我が家で唯一エアコンのある寝室へ引っ込み、うたた寝している犬を横目に執筆にいそしむ。私が食卓へ注ぐ心遣いは、招待するすべての人のためだし、私自身のためでもある。食卓を整えることに情熱を感じないのなら、どうして料理をする必要があるだろう? どうして食べ物について書く意味があるだろう? 私は、料理を通じて自然を食卓へ持ち込み、テーブルを飾るデザイナーたちの創作と周囲に集う人々のコミュニティを食卓で育てていこう。
Alicia Kennedyはロングアイランド出身のライター。現在はプエルトリコのサンファン在住。食文化、メディア、政治をテーマとする週刊ニュースレター「From the Desk of Alicia Kennedy」を発行。著書『Meatless』がBeacon Press社から2023年夏に出版予定
- 文: Alicia Kennedy
- 写真: Brendan George Ko
- セット制作: Fran Miller
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: September 16, 2022






