トム・フォード最後のGucciコレクションは今なお燦然と輝く
20年を経た現在も、Gucciに別れを告げたコレクションは最高にセンシュアル
- 文: Liana Satenstein

すべてのステッチがあるべき場所にあるルックが生まれることはあるのだろうか?
フォードによるGucci 2004年秋冬ショーの真髄、そしておそらくGucciを率いた年月の真髄は、フロリダ州セントピーターズバーグのディーラーがクローゼットから取り出して1stDibsに出品し、未だに買い手がつかないままの素晴らしいコートに結晶している。ショルダーのラインは力強く、ファブリック、ファー、レプタイル レザーを使い分けたデザインは、1990年代中頃から後半にかけてのすっきりしたミニマリズムのGucciスタイルとは大きく異なる。コートの背面は漆黒の光沢を放つポニースキンで覆われている。腕の下から体の側面に沿って流れるブラックのレザーはトロンプルイユ効果を生み、蜂のようにウエストが細く見える。カラーは高く、ベルトは幅広。スカート部分は滝のように流れ落ちるブラックのフォックスファーだ。こんなコートを着たらもう、身を任せるしかない。1万8000ドルの豪奢にすっぽりと包まれるのだ。

冒頭の画像:Gucci 2004秋冬コレクション 写真:Patrick Hertzog/AFP via Getty Images 左の画像:Gucci 2004秋冬コレクション 写真:Patrick Hertzog/AFP via Getty Images 右の画像:Gucci 2004秋冬ショーの最後にランウェイを歩くTom Ford 写真:Patrick Hertzog/AFP via Getty Images
ショーでは、ロシア人モデルのナターシャ・ポーリー(Natasha Poly)がこのコートを着て、波形のラグを敷いた黒く硬質なキャットウォークの上をクールに歩いた。2004年秋冬コレクションのルックは、思いっきりシンチを効かせたデザインが完璧に仕立てられていた。素材も豪華なら、作りも凝っている。最初に登場したスウェーデン人モデルのアディ―ナ・フォーリン(Adina Fohlin)が着たのは、オーベルジーヌカラーのスカートスーツだ。きつく絞ったウエストから、明確なラインのペプラムが花開く。ロシア人モデルのユージニア・ヴォロディーナ(Eugenia Volodina)はボンドガールになって闊歩した。パイソンレザーでトリミングしたフォックスファーのジャケットが、またもやパイソンのベルトで息もできそうにないくらい締め付けられている。ボトムは、ウェディングホワイトのグログランをカーウォッシュ プリーツにしたスカートだ。
旧弊な家族経営のレザーブランドGucciは、年間総売上がわずか2億ドルという息も絶え絶えの状態だった。それをフォードが32億ドルのマンモス企業へ蘇らせたことは有名だ。衝撃的なマーケティングが打ち出されたが、フォードのデザインもそれに見合うものだった。あちこちで禁止処分になったカルマン・キャス(Carmen Kass)の広告を思い出してみよう。裸体の上にいかにもフォードらしいサテンのキモノをまとったキャスが、アンダーウェアを押し下げて、きちんとGの形に刈り込まれた恥毛を見せていたビジュアルだ。それから何年かのち、デンタルフロス並みに細いGストリングを男性モデルに穿かせたときは、尻の割れ目から飛び出していた体毛をトリミングする必要があったとフォードは『GQ』に語っている。彼は鉄面皮だった。
とはいえ、昔からそれほど過激だったわけではない。テキサス州生まれ、テキサス州育ちの「シャイ」なティーンエイジャーだった。しかし1979年、アートを学ぶためにニューヨーク大学に入学し、やがて「スタジオ54」に出入りするようになると、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)をはじめ、当時の輝けるパトロンたちと親しくなってドロップアウト。文字どおり、華やかなりしディスコの最後の日々を味わい尽くした。その体験がのちの作品に欠かせない一部となる。フォードは、「あの頃のヴィジュアル的なミニマリズムと豊潤なスタイルは僕の憧れだった。1970年代はすごくミニマルだったが、1970年代後半に触れるものは、何もかもがセンシュアルな手触りだった」と『Vogue』のハミッシュ・ボウルズ(Hamish Bowles)がホストを務めるポッドキャスト「In Vogue」で語っている。「シルク、ファー、ベルベットの世界が憧れの的だった」

左から右へ:2024 Golden GlobesにてGucciを着るTaylor Swift - ルック32へのオマージュとして見ることができる 写真:Jon Kopaloff/WireImage via Getty Images Gucci 2004秋冬ショーにて、アイコニックなアシッドグリーンのスパンコールガウンを着るMarija Vujovic(ルック32) 写真:Davide Maestri/WWD/Penske Media via Getty Images 2019 GQ Men of the Year Awardsにてルック32を着るイギリス人モデルAdwoa Aboah 写真:Ricky Vigil M/GC Images via Getty Images
デザイナーを志したフォードは、言葉巧みに、Cathy Hardwickでデザイン アシスタントの仕事を手に入れた。その後は、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)がプレジデントだった頃のPerry Ellis。そして1990年、当時Gucciのクリエイティブ ディレクターだったドーン・メロ(Dawn Mello)がフォードに何かを感じて採用した。以後のフォードは昇進を続け、1994年にメロがGucciからBergdorf Goodmanに移籍すると間もなくクリエイティブ ディレクターに就任し、1995年秋に最初のGucciコレクションを発表する。ケイト・モス(Kate Moss)やアンバー・ヴァレッタ(Amber Valletta)がタイトなベルベットのフレアパンツと贅沢なサテンシャツで自信たっぷりにランウェイを歩いた数か月後には、マドンナ(Madonna)が鮮やかなブルーのトップスを着てMTVビデオ ミュージックアワードを受賞した。モスが着ていたルック13だ。
Gucciは一大現象になった。1999年、Gucciブランドを傘下に抱えるGucciグループがYves Saint Laurentを買収し、フォードがクリエイティブ ディレクターを兼任すると、さらに驚異的な現象になった。イヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)自身はフォードへの交代を嫌ったが、フォードの勝ちだ。自己認識を怠ることのないフォードは「あの頃、僕が触れるものは必ず成功したからね」と『GQ』に語っている。
そうやって積み重ねたキャリア、業績、買収に、フォードが別れを告げると言う。原因は、Gucciグループを買収してPinault-Printemps-Redoute(略称PPR)の傘下に入れたフランソワ・ピノー(François Pinault)との和解し難い不一致だ。キャシー・ホリン(Cathy Horyn)は、2003年10月の『New York Times』で、「Gucciの68%を所有し、翌年の春までに完全買収すると明言したPinault-Printemps-Redouteは、経営管理の行使を主張した」と高級ブランド間の騒動を分析し、フォードがいなくなるのは「破滅的」と言った『Vogue』編集長アナ・ウィンター(Anna Wintour)の言葉を付け加えている。フォードはかねがね、金銭ではなく、自分が作り育てたものは自分で管理する主義が不一致の理由だったと力説している。その後Keringと改名したPPRは態度を変えず、Gucciグループに対する管理を要求した。
フォードには右腕がいた。イタリア出身の法律家で、最終的にGucciグループのプレジデント兼CEOとなったドメニコ・デ・ソーレ(Domenico De Sole)だ。留意したいのは、PPRによるニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)時代のBalenciaga、Stella McCartney、Bottega Venetaの買収に際して、フォードとデ・ソーレが一役買っていたことだ。「商業的デザイナー」を自認したフォードは、みずからが賞賛するブランドを標的にしたのだ。
結局、フォードもデ・ソーレも主張を諦めず、Gucciを去ることを決断した。ファッション業界には衝撃が走った。「あれにはもっと大きな意味があった」と『Vogue』ファッション ニュース ディレクターのマーク・ホルゲート(Mark Holgate)は回顧する。「フォードがGucciグループを去るのは、ファッションの世界を去るようだった」
フォードの最後のショーが記念すべきものになるのは当然だった。大物たちが参加した。スタイリングはフランス版『Vogue』編集長のカリーヌ・ロワトフェルド(Carine Roitfeld)が引き受けた。メイクアップの大御所パット・マクグラス(Pat McGrath)により目の周囲にコールを施されたモデルたちは、クラブの化粧室で貪欲なセックスを堪能してきたばかりに見えた。汗ばんだような視線とは裏腹に、ヘアスタイリストのオーランド・ピタ(Orlando Pita)は髪をぴったりとなでつけ、きっちりと深く横分けにし、首の後ろで小さなお団子にきつく縛り上げた。Helmut Langはポニーテールだったが、あのお団子は非常にTom Ford的なスタイルとして広まった」とピタは言う。そうして出来上がった容貌は、艶やかで、シックで、猛烈にセンシュアルだった。
フォードが長年ショーの会場としたローマのダイアナ ホテルで、最後のショーのフィナーレにはバラの花びらが降り注いだ。評論家たちは、ファビオ(Fabio)が表紙を飾るロマンス小説のファッション版じゃないかと思うほど、溢れんばかりの情熱を込めてコレクションの記事を書いた。「最後に、純白のジャージのイブニングドレスを纏ったモデルがスポットライトの下に立つまで、ランウェイの上には性的なムードが充満していた。滑り落ちるようなガウンの襞が、モデルの体の曲線に沿って起伏している」と書いたのは、『The Washington Post』の評論家ロビン・ジヴハン(Robin Givhan)だ。『Vogue』の評論家サラ・モワー(Sarah Mower)は「Gucciは明確な女性像を描き出してみせた。セクシュアルな自信を体現し、最高度に磨き抜かれ、肉食のパワーに溢れる女性だ」と書いた。

画像:_Lose My Breath_のミュージックビデオ撮影にて、Gucci 2004秋冬コレクションを着るBeyoncé 写真:M. Caulfield/WireImage for Columbia Records via Getty Images
今や、デザイナーの椅子取りゲームは日常茶飯事だ。ブランドを去る報告はInstagramへの投稿で済まされる。だがフォードの退社がファッション業界全体を震撼させたのは、前代未聞の事態だったからだ。「僕たちはデザイナーが交代することに慣れていなかったし、トム・フォードの時代が終わるなんて、想像の域を超えていた」とホルゲートは言う。「そればかりか、Saint Laurentからも身を引くというのだから、打撃は2倍だった」
こんな状況で、ファーに埋もれた強烈に官能的な一大コレクションを見せつける以上にふさわしい身の引き方があるだろうか。視覚と力関係の両面で、ショーには張りつめたエモーションが漲っていた。PPRの関係者は誰ひとり招待されなかったし、Yves Saint Laurentでの最後のショーも同様だった。2004年3月、リン・ハーシュバーグ(Lynn Hirschberg)が「さようなら、グッチ」と題して『New York Times』に書いた記事によると、観客に最後の別れを告げるためにフォードがランウェイを歩いてくるあいだ、ウルトラ・ナテ(Ultra Naté)の『Free』が流れていた。「あなたは自由/やりたいことをやればいい/自分の人生を生きればいい/やりたいことをやればいい」という歌詞はフォードの内心だったに違いない。込み上げる自由への賛歌だ!
最後のコレクションで、フォードは次々と過去の最大のヒット作を繰り出した。去ることは晴天の霹靂だったかもしれないが、Gucciで過ごした年月のすべてがこの最後の瞬間を目指していたかのようだった。贅沢なルックで焦らしてきた前戯が、ついにエクスタシーとなって爆発した。裕福なヒッピー、艶かしいゴス娘、70年代クラブの花形など、これまでのショーを彩ったGucciガールのキャラクターはもういない。今、Gucciガールは見事に成熟した女性になった。持てるパワーを確信し、Gucciを象徴する数々のシグネチャデザインをずらりと手元に揃えて、夢見心地に誘う魅惑のアマゾネスだ。
「最後のコレクションを語ろうとすると、どうしても『想像を絶する』という言葉を使ってしまうんだが、実際そう感じたんだから仕方がない」とホルゲートは語る。「フォードがそれまでGucciで表現してきた視覚言語が、より確かに構築され、艶やかに洗練されていた。ある意味、彼の思い描く魅惑が収束したコレクションだった。高度に統合し、方向づけ、完成させた視覚世界だ」。2004年秋冬コレクションは、フォードが創造したGucciスタイルの至福の地に、脈打ちながら一際高くそびえる高峰だった。1995年に発表されたブルーのベルベットジャケットは、今、胸元をはるかに深くカットされ、渦巻き模様の刺繍がチラチラと煌めくセクシーなトラウザーズと組み合わせられていた。1996年秋冬コレクションには、ホルストン(Halston)に敬意を表して、ヒップ部分にカットアウトのあるホワイトドレスをデザインしたが、今そこにはウロボロスを象ったホースビットが光沢を放っていた。
「最後のコレクションが重要なのは、セックスを原動力にしたヘドニズムの魅惑をデザイナーが果敢に表現したのは、あれが最後だったからだ。そしてあのヘドニズムもセクシュアリティもフォードから生まれた誠実な表現だった」
小規模な専門再販サイトRecessには、オーベルジーヌカラーと濃いプラムカラーの素晴らしいスエードジャケットが出品されている。カラーは首が擦れそうなほど高い。細いパイソンレザーが、上腕に巻き付き、肘を迂回し、前腕へと、すべてのツボを的確に押さえている。ウエストに水平方向に施されたダーツのせいで、体は内側へ収縮しているように見える。これほど精密に仕立てられたジャケットなら、どんな者でも抜群のスタイルになれるだろう。
Gucciの熱烈なファンやコレクターにとって、フォードが最後のコレクションで披露したディテールは他に比べようのないものだった。人気のスローバック アカウント@tomfordforgucciでGucciの過去に目を向けるジャスティン・フリードマン(Justin Friedman)は、最後のコレクションの「作り」は並外れていたと指摘する。彼は「手が込んでいた」と表現したが、フォード自身も自分のコレクションを表現するときに同じ言葉を使い、フォード信奉者のひとりも同じ言葉を使っていることは注目に値する。フリードマンの言葉を借りるなら、「非常に丹念に作り込まれて、もはやディテールを施したルックといった程度ではなく、単なる縫製や仕立ての域を超えていた。突如として、サテンの上にオーガンザのパネルがレイヤードされ、房飾りがあった」
以前デザイナーだったニール・レオナード(Neil Leonard)は、メロからの勧めでフォード時代のGucciを買い集め、現在は@lab2022を運営している、GucciとYSLのディーラーだ。そんな彼が2枚の写真を送ってきた。1枚は、ベルベットの細いストラップを並べたプラムカラーのジャケットで、ショーではヴォロディーナが着ていた。もう1枚は、1996年秋冬コレクションにあったシンプルなピンストライプのブレザーだ。「これを見ると、デザインに関する限り、フォードのアイデアがどこから始まったか、よくわかる。10年足らずのあいだに、ここまでアイデアが発展したんだ」とレオナードは言う。「実に驚くほどシンプルなプレザーから出発して、プリーツやシームやベルベットのはめ込みが500はありそうなあのパープルのジャケットに行き着いた」
フォードは、素材の組み合わせや手の込んだ構造をはるかに超えて、ピンヒールが支配するユートピアを創造した。誰もが彼の理想郷で生きていた。少なくとも、生きたいと願った。最後の数シーズン一緒に仕事をしたピタは、フォードの理念を汲みとった。「トムとルックをあれこれいじるのは、いつも楽しかった。過去の写真を見返すこともあったし、特定のヘアスタイルをさせたい女性について話すこともあった」とピタは回顧する。「彼は言ってたな。『世の女性たちが写真を美容室へ持っていって、このヘアスタイルにして、と注文するようになってほしい』って」

左から右へ:Oprah Winfrey’s Legends Ballにて、Grenvilleが着たドレスを着用するTracee Ellis Ross(2005年5月) 写真:Frederick M. Brown via Getty Images Gucci 2004秋冬ショーでランウェイを歩くGeorgina Grenville 写真:Davide Maestri/WWD/Penske Media via Getty Images 2022 Cannes Film Festivalにて、Gucci 1996秋冬コレクションを着るBella Hadid 写真:Vittorio Zunino Celotto via Getty Images
ルックを目にした人が自分でも同じルックを再現したいと願うなら、それはおそらく最大の成果だ。そして、ファンタジーを自分の現実世界で体験したいと人々に欲求させることに、フォードは成功した。エディターたちは彼の作品を切実に欲しがった。「あるショーのあと、『Vogue』エディターのキャンディ・プラッツ・プライス(Candy Pratts Price)がショーに出たコートを持って大急ぎで帰っていくのを見かけてね」とピタは語る。「どうやってそんなに素早く手に入れたの?と尋ねると、彼女曰く、『どうしても欲しいってトムに言ったの。このまま貰えるとは思ってないけど』」
コレクションには、フォードの強迫的なまでのこだわりが端的に現れていた。彼は常に、誰よりも先に、自分自身を打ち負かした。そうやって細部に至るまで考え尽くした。「フォードは過去を振り返ったが、そうすることで、何らかの継続性や彼の考える明確なGucci像に反映させていたと思う」とホルゲートは言う。ヒット作は過去にも存在した。ただ最後のコレクションは、強烈なハイオクバージョンだった。
フォード時代のGucciはフォード自身の延長だった。「最後のコレクションが重要なのは、セックスを原動力にしたヘドニズムの魅惑をデザイナーが果敢に表現したのは、あれが最後だったからだ。そしてあのヘドニズムもセクシュアリティもフォードから生まれた誠実な表現だった」とフリードマンは言う。「彼は実際にそれらを生きて、それらを知り尽くしていたから、真実があった。高度なレベルのファッションでセクシュアリティと享楽への耽溺が声高に謳歌されたのは、あれが最後だったと思う」。今やセックスは何処へ行ったか? 裸体は当時と比較にならないくらい露出されるが、それはおそらく、もはやランウェイにセンシュアリティがないからだろう。あるいは、デザイナーたちのなかにセンシュアリティが欠如しているのかもしれない。フォードは今も変わらずセクシーだ。62歳になったのに、氷のように冷たい熱を発散している。動じない自信が滲み出ている。シャツの合間に見える胸毛、たるみのない顎のライン、誰もが「エステティシャンは誰?」と尋ねるほどハリのある肌。Gucciがフォードであったのと同じくらい、フォードはGucciだった。「店舗に置くために、僕のソファのコピーを作らせたことがある」と『GQ』に語ったように。
2004年には、フォード自身を含め、多くの人がフォードはファッション界から永久に姿を消すと思った。だがもちろん、2006年にフォードは復帰した。デ・ソーレと大々的にローンチしたTOM FORDで、美容分野に乗り出したのである。TOM FORD フレグランスはまさに決定打だった。果実とチョコレートが香る「ブラックオーキッド」オードパルファンは、男性の股間の香りとされている。2007年にはメンズウェアを発表。2010年にスタートしたウィメンズウェアは、マディソン アベニュー旗艦店で2011年春夏ウィメンズ デビューコレクションを発表し、ビヨンセ(Beyoncé)とジュリアン・ムーア(Julianne Moore)がモデルとして登場した。フォードが本気で引退を決意したのは、それからほぼ20年後のことだ。2023年、TOM FORDは28億ドルという超高値でEsteé Lauderに売却された。
フォード自身と同じように、彼のコレクションも永遠だ。先日、私は、庶民的なライフスタイル ブランドの広報責任者の女性と会った。滑るような足取りでレストランに入ってきた彼女は、Gucciの2000年春夏コレクションにあったグレーのパイソンプリントの長袖トップスを着ていたが、その夜、お揃いのパンツを穿いて鏡に映したセルフィーを送ってきた。俄然ホットだった。レプタイルプリントの優雅で怪しげなルックは、粋な広報キャリアウーマンを夜が似合うセクシーウーマンに変容させていた。セレブがフォード時代のGucciを着たというニュースは、今もひっきりなしにファッション界を駆け巡る。2021年には、空港の本屋で、1999年春夏コレクションのフェザーで縁取りしたパンツを着用したリアーナ(Rihanna)が激写され、インターネット界を湧かせた。2021年には、イギリス人モデルのジャケット・ウィーラー(Jacquetta Wheeler)が着たタイトドレスを、カイリー・ジェンナー(Kylie Jenner)が着た。もちろん、1997年春夏コレクションのGエンブレムソングでポーズをとった2018年のキム・カーダシアン(Kim Kardashian)を忘れるわけにはいかない。あのおかげで、フォード時代Gucciの製品は軒並み大幅に値上がりしたものだ。
現在のGucciはどんな様子かといえば、どのコレクションにもフォードの業績の痕跡や反復がある。フォードの下で働いたアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)は、グウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)も着た1996年秋の真紅のベルベットスーツを復活させた。新任クリエイティブ ディレクターのサバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno)は、デビューコレクションに1999年春夏コレクションで発表されたフォードの名作を復活させた。たくさんのクリスタルで縁取ったホワイトのスリーブレストップスだ。
だが、それらは果たしてセクシーだろうか? フォードがやったように、滴るばかりの濃厚な性の要素を与えてくれるデザイナーが再び現れることはあるのだろうか? むき出しでありながら洗練され、自由でありながらすべてのステッチがあるべき場所にあるルックが生まれることはあるのだろうか? レプタイルレザーのベルトでウエストを締め付け、どんな女性もオリガルヒの妻に見えるほどパワフルなファーコートが登場することはあるのだろうか? おそらく、ないだろう。誰であれ、フォードのセクシーを瓶に詰めることは不可能だ。だが幸運なことに、あの素晴らしいジャケットはまだ買い手を待っている。
リアナ・サテンシュタイン(Liana Satenstein)はブルックリンを拠点とするファッションライター。ヴォーグ社に約9年間在籍し、東欧のトレンドからバレンシアガのシティバッグの復活まで、さまざまなテーマを執筆した。また、多くの人のクローゼット整理も手伝っている。
- 文: Liana Satenstein
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: February 23, 2024

