Maison Margielaを紐解くA〜Zガイド

ファッション界随一の、刺激的で謎に満ちたブランドの歴史を解剖する

  • 文: Karizza Sanchez

4つのステッチ。白衣。タビブーツ。脱構築。フェイスマスク。Maison Margielaほど明確な個性を持つブランドは滅多にない。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)が、クリエイティブ面とビジネス面でのパートナーだったジェニー・メイレンス(Jenny Meirens)と共に1988年にパリで創立したブランドは、ファッション界屈指の知名度と影響力を誇る。直接的にせよ、間接的にせよ、マルジェラに何らかのヒントを得たことのないブランドやデザイナーを探そうとしたら相当苦労するはずだ。

創始者のマルジェラが2009年にブランドを去り、現在Maison Margielaを率いるのは、2014年にクリエイティブ ディレクターに就任したジョン・ガリアーノ(John Galliano)だ。ガリアーノのビジョンに基づき、ブランドは引き続き服の脱構築と再構築の可能性を探求し、マルジェラの遺産を継承する。だがその一方で、生地のバイアスカットをはじめ、ガリアーノが得意とする技法を取り入れ、過去のファッション手法を生まれ変わらせてもいる。それが、現代のファッション界にあって稀有な想像性を持つデザイナーの目を通したMaison Margielaのあり方だ。

マルジェラからガリアーノへ。ブランドMaison Margielaがファッション界に革命を起こしてきた歴史を紐解いてみよう。

A:アントワープ

マルジェラはアントワープの王立芸術学院出身だ。このファッションの名門は、クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)、ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)といった優れた才能を輩出している。そして言うまでもなく、「アントワープの6人」として知られるアン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)、マリナ・イー(Marina Yee)の母校でもある。マルジェラはアントワープの6人の7人目の名誉メンバーに数えられることもあるが、彼はグループがデビューする数年前に卒業しており、彼らのロンドン ファッションウィークのショーには参加していない。

パリ ファッションウィーク オートクチュール秋冬2013-2014でMaison Martin Margielaショーのランウェイを歩くモデル (2013年7月3日、フランス、パリ)、撮影:Antonio de Moraes Barros Filho/WireImage 冒頭の写真: Charivari 57での秋コレクション公開時のMartin Margiela、撮影: Fairchild Archive/Penske Media via Getty Images

B:宝石で埋め尽くされた(Bejeweled)フェイスマスク

顔を覆い隠したモデルたちがランウェイを闊歩し、ブランドのデビューを飾った1989年春夏コレクション以来、フェイスマスクはMaison Margielaと切っても切り離せない。マルジェラが望んだのは、服をまとう人ではなく、服そのものに注目を集めることだった。2012年、Maison Margielaは、オートクチュール コレクションに合わせてクリスタルを散りばめたマスクを発表。このマスクは後に、ブランドのほかのクチュールショーにも登場し、2013年にはアルバム『Yeezus』のツアー衣装でMaison Margielaとコラボレーションしたカニエ・ウェスト(Kanye West)のために再解釈された。ちなみにウェストが着用したマスクのうち1枚には、オンライン ファッション販売サイトのGrailedで5万ドルの価格がついた。今年前半には、雑誌『Vanity Fair』主催のアカデミー賞アフターパーティーに、ラッパーのオフセット(Offset)が宝石が煌めく特注マスクをつけて登場した。これはMaison Margielaのものではないものの、彼がカニエのマスクからインスピレーションを得たのは間違いない。

C:Cape Codダブルストラップ ウォッチ

Hermèsのクリエイティブ ディレクターに就任した1997年、マルジェラはCape Codのケースに二重巻きのストラップをあしらった腕時計を生み出した。「Double Tour」と名付けられたストラップのヒントとなったのは、本来はスーツケースを固定するための長いレザーストラップを使ってマルジェラが自身のブランドのために制作した二重巻きベルト。オリジナルの腕時計とストラップは現在もHermèsで販売されており、ファッション通の垂涎の的だ。このDouble Tourストラップは、Apple Watch Hermèsにも採用されている。

パリ ファッションウィーク春夏2009でMaison Martin Margielaショーのランウェイを歩くモデル (2008年9月29日、フランス、パリ)、撮影:Karl Prouse/Catwalking/Getty Images

D:脱構築の魔術師(Deconstructionist)

脱構築の魔術師であるマルジェラは、対象を丹念に分解し、思いがけない形に再び組み上げた。手袋がコルセット風のトップスになり、余った軍用ソックスがセーターに作り変えられる。切りっぱなしのヘムや、シームや縫い目を露出したデザインだって、それらがファッション界に蔓延するずっと前から彼の十八番だった。マルジェラは、どんな素材を見つけても、その上をいく作品に仕上げてみせた。

E:ウォレット「11 Dollar Bill」のゴム(Elastic)バンド

2008年にMaison Martin Margielaが発表したウォレット「11 Dollar Bill」は、ラミネート加工した偽の11ドル札を革製の二つ折り財布に貼り付け、黒いゴムバンドでまとめたデザインだ。なお、ユーロ札や英ポンド札のバージョンもある。文字盤のない時計のように、普段使いのアイテムに典型的なマルジェラらしさを詰め込んだこのウォレットは、入手が恐ろしく困難で、現在およそ9,000ドルで再販されている。

F:4つの(Four)ステッチ

どんなブランドにも独自のロゴがあり、ブランディングがある。Maison Margielaの場合、それは外側に見える4つの白いステッチで、いかにもマルジェラらしく極度に控えめだ。1988年にマルジェラがブランドを立ち上げた当時、この4つのステッチは実用的な配慮の産物だった。元々、ブランド名のない服を求める人がタグを外しやすいようにと、真っ白なタグを緩めに縫い留めたものだったからだ。

春夏2007レディトゥウェア コレクションにて、ベルギー出身デザイナーMartin Margielaの作品を披露するモデル (2006年10月1日、フランス、パリ) 提供:AFP PHOTO/FRANCOIS GUILLOT 撮影:FRANCOIS GUILLOT/AFP via Getty Images

G:ファッション界のグレタ・ガルボ(Greta Garbo)

デザイナーがセレブリティの仲間入りをしつつあった時代に、マルジェラは匿名であることを好み、自分ではなく作品に注目を集めようとした。インタビューに応じず、ほとんど写真に写ることもなく、多くのデザイナーが当たり前のようにやっている、ランウェイでの挨拶にも絶対に現れない。自身の半生を描いた映画『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』にも顔を見せず、声だけの出演だった。身近な人々以外に、彼の容姿をはっきりと知る者は誰もいない。ただ、駆け出しの頃、マルジェラがアシスタントを務めたジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)によれば、「マルタンはすごく背が高い」らしい。

H:Hermès

1997年から2003年まで、マルジェラはHermèsのクリエイティブ ディレクターを務めた。当時、かくもアヴァンギャルドなデザイナーが、フランスを代表するラグジュアリー ブランドHermèsの洗練されたルックをどう解釈するのか、世間の耳目を集めた。「みんな、マルタンがKellyバッグを真っ二つにするんじゃないかと妄想したの」とアントワープのモード博物館ディレクターで、「エルメス時代のマルジェラ」展のキュレーションを担当したカート・デボ(Kaat Debo)は言う。長年、Hermèsでマルジェラが手掛けたコレクションは正しく理解されず、不当に低い評価を受けてきた。1920年代のスポーツウェアやレジャーウェアに着想した簡素なモノクロの服は、質を最重要視した作品だ。しかしマスコミはマルジェラの静謐なデザインに納得せず、目を剝くような驚きを服に求めた。だが今、周りを見回せば、現代ファッションの至るところでHermès時代のマルジェラの仕事を思わせる表現が見つかる。「クワイエット ラグジュアリー」という言葉がまだなかった時代に、マルジェラはそれを生み出した。

秋冬2007/2008レディトゥウェア コレクションにてにて、Maison Martin Margielaの作品を披露するモデル (2007年2月26日、フランス、パリ) 提供:AFP PHOTO PIERRE VERDY 撮影:PIERRE VERDY/AFP via Getty Images

I:影響(Influence)

マルジェラはデザイナーをデザインする。私たちと同時代の、ファッション界における世界的な才能たちの何人かは、彼の影響を受けている。マルジェラの1990年春夏ショーを見て、家具デザイナーだったラフ・シモンズ(Raf Simons)は、キャリアを転換してファッションを志した。「3人の若い女性が現れた。その一瞬で、自分がファッションをやりたいんだと確信した」とシモンズは言う。そんなシモンズの2016年秋冬コレクションのメンズラインは、マルジェラの1997年秋冬コレクションを踏まえたものだ。マーク・ジェイコブズ(Marc Jacobs)は、雑誌『WWD』に対して「現代の世界で生きることがどんなものか知っている人間なら、誰でも(マルジェラの)影響を受けている」と語り、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)は彼のデザインを「現代の古典」と呼んだ。アントワープ王立芸術学院を卒業後、パリのMaison Martin Margielaで初めての職を得たヴァザリアは、メゾンで過ごした日々を、大学院の修士課程になぞらえている。「Maison Martin Margielaで働いたことで、美は僕たちを取り巻くあらゆるものに宿っていることを知った。なんの変哲もない物が創造的な概念に変化し、まったく新しいプロダクトになる」と、彼は雑誌『i-D』に語っている。ヴァザリアの兄弟で、VETEMENTSのクリエイティブ ディレクターを務めるグラム・ヴァザリア(Guram Gvasalia)に至っては、ロンドン カレッジ オブ ファッションに在学中にマルジェラについて卒論を書いている。

パリ ファッションウィーク ウィメンズウェア秋冬2020/2021で、Maison Margielaショーのランウェイを歩くモデル (2020年2月26日、フランス、パリ) 撮影:Thierry Chesnot/Getty Images

J:ジョン・ガリアーノ(John Galliano)

2009年にマルジェラが去ってから数年のあいだ、ブランドは新しいデザイナーを公式に任命することを拒んでいた。しかし2014年にそれが一変する。2002年にMaison Martin Margielaの筆頭株主となったOnly The Braveの代表レンツォ・ロッソ(Renzo Rosso)が、メゾンの新クリエイティブ ディレクターとしてガリアーノの就任を発表したのだ。反ユダヤ主義的発言によって2011年にDiorを解雇されていたガリアーノにとって、これがファッション界への本格的な復帰となる。

K:カニエ・ウェスト(Kanye West)

ラッパーのカニエ・ウェストのマルジェラ愛は、あちこちで文字に記されている。自身のブログKanyeUniverseCity.comではしょっちゅうブランドを褒めたたえているし、「そのジャケットどこのだ、マルジェラか?(What’s that jacket, Margiela?)」といった具合にブランドについてラップしているし、ブランドがデザインした服をよく着ている。2016年、Instagramのアカウントを再開した彼は、たった3時間で、90年代後期から2000年代初期のレディースとメンズ、それにタビブーツなどマルジェラのデザインの写真を99枚も投稿した。いわば一種のデジタル ムードボードだ。だが最も記念すべきカニエとマルジェラのコラボレーションは、彼のコンサートツアー「Yeezus Tour」のワードローブだろう。その中身は、特別仕立ての10着、レディトゥウェア20着、限定スニーカー1足、そしてカニエのために特別に作られた宝石をぎっしり並べたマスクだ。カニエによってマルジェラの顧客層が広がったのは間違いない。そこには当然ヒップホップのオーディエンスも含まれる。

Maison Martin Margiela 2002秋ショーのランウェイを歩くモデル、撮影:Giovanni Giannoni/WWD/Penske Media via Getty Images

L:白のラボ(Lab)コート

Maison Margielaでは、インターンから販売スタッフ、ヘッドデザイナーに至るまで、チームの全員がブランドのシグネチャカラーである白の実験衣を着ている。複数のポケットが付いた、前を合わせて脇でベルトを結ぶデザインの「白衣(blouse blanche)」は、マルジェラが、集団としてのアイデンティティを強めることを意図して導入したユニフォームだ。マルジェラにとって、白という色もまた、白衣と同様に「調和と純粋性の象徴」たらんとするブランド哲学を体現する。白衣は現在も、ガリアーノとそのチームが引き継いでいる。

M:MMMのファクス

マルジェラと彼のチームはインタビューに応じなかった。そしてジャーナリストからの問い合わせにはファクスで回答することを好んだ。のちにはメールを使うようになったが、それでも常にメゾンとして対応し、個人としてやりとりすることは決してなかった。

ビバリーヒルズのMartin Margiela新店舗にて、6200個のシャンパングラス ピラミッドと、シグネチャである白のカバーのカウチ、撮影:Myung J. Chun/Los Angeles Times/Getty Images

N:ナンバー(Numbers)

Maison Margielaの服の白いラベルについた数字が何を意味しているのか、首をひねったことはないだろうか。1997年、ブランドは0から23の数字を並べた白いラベルを登場させた。それぞれの番号は製品ラインを表し、丸で囲まれているのがそのアイテムが属するコレクションだ。

0 男性と女性のためのアーティザナル コレクション
1 女性のためのコレクション
3 フレグランス
4 女性のためのベーシックなワードローブ
6 MM6、より幅広い顧客向けライン
8 アイウェアのコレクション
10 男性のためのコレクション
11 アクセサリー
12 ファインジュエリー
13 オブジェ、出版物
14 男性のためのワードローブ
15 廃止された3 Suissesによるメールオーダー
22 シューズ

2009春秋レディトゥウェア コレクションのショーにて、ベルギー出身デザイナーMartin Margielaの作品を披露するモデル (2008年9月29日、フランス、パリ) 提供:FRANCOIS GUILLOT / AFP 撮影:FRANCOIS GUILLOT/AFP via Getty Images

O:Only The Brave

2002年にDieselの創始者兼オーナーのレンツォ・ロッソが設立したOnly The Braveは、同年、Maison Martin Margielaの過半数の株式を取得し、2006年にメゾンの経営を完全に掌握した。現在OTBの傘下ブランドには、Viktor&Rolf、Marni、Amiri、Jil Sanderがある。

P:パトリック・スカロン(Patrick Scallon)

パトリック・スカロンは、1993年から2008年までMaison Martin Margielaの広報部門でディレクターを務めた。マルジェラの素顔は謎に包まれていたため、一部ではスカロンこそマルジェラだと信じる人もいた。マルジェラの引退後に彼もブランドを去り、Dries Van Notenに広報ディレクターとして参加した。昨年、彼はほぼ14年間在籍した同ブランドの職を辞したことを発表している。

Q:品質(Quality)とデザイン

マルジェラにとって、すべての道は服に通じていた。彼は、人々に服とデザインの質だけを見てほしいと考えた。匿名であり続けることを選び、モデルにマスクを着用させ、ブランディングすら最小限にとどめた理由の一端はここにある。「ラベルについては、1988年の創業時が転換点だった」とマルジェラは『Time Magazine』に語っている。「誰かが僕の服を手に取って、誰が作ったか知らないまま、まず『これは素敵だね』と言ってほしい。その上で店員が作り手を教えればいい。レストランのクロークで何か服を見かけても、それを誰が手掛けたのかはまったくわからない。でもそれで構わないんだ」

R:スニーカー「Replica」

1999年、ローカットのミニマルなスニーカー「Replica」がアーティザナル コレクションに初めてお目見えした。そのデザインの原点となったのは、adidasの創業者アディ・ダスラー(Adi Dassler)と、その兄弟でPumaを設立したルドルフ(Rudolf)がデザインしたドイツ陸軍トレーニングシューズだ。マルジェラがオーストリアでこのシューズに出会った3年後に、Replicaが発表された。以来、この靴は、Maison Margielaの代表的な一足となっている。もちろん、タビブーツは別格だが。

パリ ファッションウィークでMaison Martin Margielaファッションショーのランウェイを歩くモデル (2008年9月29日、フランス、パリ) 撮影:Antonio de Moraes Barros Filho/WireImage

S:Stockmanのトップス

Maison Martin Margielaの1997年春夏コレクションで発表されたStockmanのトップスは、マルジェラの作品のなかで非常に重要な位置を占めることになる。服の構築プロセスに着想を得たリネン地のトップスは、その上で服を制作し完成させるStockman社のトルソを象っている。ネックラインに「42」、裾に「semi-couture」と入っているのは、Stockmanの商標のステンシルを模したものだ。ファッション史上有数の重要な作品であり、希少性が高く、さまざまな美術館に展示され、転売価格は約2万ドルにのぼる。

T:タビ(Tabi)ブーツ

マルジェラのタビブーツほど、印象的で、思考を刺激するデザインは滅多にない。15世紀の日本にルーツを持つ足袋はマルジェラの発明品ではないが、彼がその伝統に敬意を払いながら微妙に手を加えて作り上げたものは今、熱狂的なファンを獲得している。伝えられるところによれば、マルジェラは1980年代の終わりに日本に旅行した後、自分流の足袋を作ろうと思い立った。「初めて東京に行った日の記憶が蘇った。そのとき、街の労働者たちが綿でできた地下足袋を履いているのを見かけたんだ」と、彼はドキュメンタリー映画『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』の中で回想している。「そうだ、この柔らかなタビシューズにハイヒールを付けたらどうだろう、と思いついた。それがタビシューズのアイデアの誕生だった」

オリジナルのショートブーツが初めて登場したのは、Maison Martin Margielaがデビューした1989年のショーだが、これを皮切りに、タビのデザインコンセプトは、Reebokとコラボレーションしたスニーカー、ニーハイブーツ、フラットなバレエシューズ、ローファー、クロッグ、ヒールなど、様々なフォルムで再構築された。個性的な作品も生まれた。ハンドペイントのタビブーツは、予算不足でマルジェラが売れなかったブーツを塗り替えて、次のショーに再利用しなくてはならなかった時代に先祖返りしたもの。1996年春夏コレクションのToplessと名付けられたタビサンダルは、足にテープを巻いて括りつける、ソールだけの靴だ。

メンズウェアのほかに、トロンプルイユのプリントや洋裁用トルソーに似たトップスを発表したコレクション、撮影: Giovanni Giannoni/Penske Media via Getty Images

U:型破り(Unconventional)なショーと招待状

Maison Margielaがしばしば「アンチ ファッション」ブランドとみなされるのは、マルジェラとそのチームが業界の常識を打ち破ってきたためだ。ファッションショーを例にとってみよう。モデルたちを街でスカウトすることは、当時のファッション業界ではまだ一般的ではなかった。多くのデザイナーがルーヴル美術館近くの豪奢な会場でコレクションを発表した時代に、墓地、救世軍のショップ、地下鉄の廃駅といった、洗練とは対極の場所をショー会場に選んだ。モデルがランウェイをまったく歩かなかったショーもある。1998年の春夏コレクションでは、オークションさながらに、白衣の男たちがハンガーに吊るした服を掲げてみせた。同じ年の秋冬コレクションでは、スタイリストのジェーン・ハウ(Jane How)が制作したマリオネットがモデルの代役を務めた。招待状すら型破りで、たとえば1989年秋冬コレクションの招待状は三行広告、1998年春夏コレクションは電報、2006年春夏コレクションは陶器の皿といった具合。今、ファッション界を見渡せば、Maison Margielaの影響が服だけにとどまらないことは一目瞭然だ。

V:ビジュアル(Visual)アート

ファッションの道を志す前、16歳のマルジェラは、ベルギーのシントルーカス芸術学校で学んだ。引退した今、彼はビジュアルアートにのめり込んでいる。創作における発想の源泉は、人体、都市環境、髪といったMaison Martin Margiela時代から続くお馴染みの主題で、作品は絵画、インスタレーション、コラージュ、映画、彫刻と多岐にわたる。2021年、マルジェラはパリのギャラリー、Lafayette Anticipationsで、アーティストとして初の展覧会を開催した。

パリ ファッションウィーク2009春夏でMaison Martin Margielaショーのランウェイを歩くモデル (2008年9月29日、フランス、パリ) 撮影:Karl Prouse/Catwalking/Getty Images

W:私たち(We)

Maison Margielaは、設立当初から、謎めいたベールに完全に包まれてきた。マルジェラは、人ではなく服が注目されることを望み、メゾンもひとりのデザイナーが動かすのではなく、クリエイターの集団として見られたいと考えていた。彼はブランド関連のすべての通信文に「Maison Martin Margiela」と署名し、ジャーナリストの質問への回答には、「私たち」という人称代名詞を使った。そして送信ファクスだった。彼がブランドを去り、ガリアーノが任命されるまで、Maison Margielaは引き続き匿名の技能集団として運営された。だからこそ、『Vogue』のスージー・メンケス(Suzy Menkes)が2014年秋冬のクチュール コレクションのレビューで、Maison Margielaのヘッドデザイナーが、現在はBottega Venetaのクリエイティブ ディレクターであるマチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)だとすっぱ抜いたときは、ファッション界に激震が走った。メンケスは、このコレクションが彼を「表舞台に引っ張り出した」と書いてブレイジーを称え、(ラフ・)シモンズと写っている写真を投稿した。これに対し、Maison Margielaは声明を出し、匿名性をめぐるブランドの厳格な方針をマスコミに向けて念押しした。リリースには「メゾンに変化はなく、MMMは、誰であれチームの特定のメンバーによる表現を行っているのではありません。私たちの作品はチームで制作され、その評価は同じくチームのみに帰します」と記されている。

X:20(XX)周年記念コレクション

2008年のMaison Martin Margiela創立20周年記念コレクションに先駆けて、マルジェラの引退が間近だという噂がささやかれた。ブランドの広報はこの噂を否定したが、その翌年、事実マルジェラはブランドを去った。その理由は完全には明らかになっていないが、2019年のドキュメンタリーで、マルジェラはこう述べている。「最終的に、僕は自分の会社のいわば芸術監督になってしまった。それがどうしても嫌だった」

Martin Margiela 2009春夏レディトゥウェア コレクション ショーのフィナーレ Maison Martin Margiela創立20周年記念を祝う (2008年9月29日) 提供:AFP PHOTO FRANCOIS GUILLOT 撮影:FRANCOIS GUILLOT / AFP) (Photo by FRANCOIS GUILLOT/AFP via Getty Images

Y:Y2K、Margielaの2000年春夏および秋冬ショー

身体にぴったりしたデザインが全盛だった時代に、マルジェラは2シーズン連続で、ビッグシルエットと戯れた。といっても単なるオーバーサイズの服ではない。2000年春夏コレクションで彼が制作したのは、米国サイズでXXXXLに相当するサイズ74や78のトレンチコート、スリップドレス、メンズシャツなど。2000年秋冬コレクションでは、ニットウェアをXXXXLサイズのマネキンに着せて熱処理をほどこし、その量感のあるフォルムを維持する手法を用いるなど、このコンセプトをさらに発展させた。当時は、こんな極端な形でサイズを操作するデザイナーは皆無だったが、今ではファッション界の至るところでマルジェラの痕跡を見ることができる。

Z:Zagato

今やブランドの顔となったタビブーツをマルジェラが初めて作ろうとしたとき、ほとんどの靴職人が協力を拒んだ。多くの伝統ある工房の目には、爪先の割れたデザインは斬新すぎると映ったからだ。幸いにして、アントワープのブティックCoccodrilloのオーナーで初期におけるマルジェラの支援者だったヘールト・ブルルート(Geert Bruloot)が、ザガート(Zagato)氏というイタリアの靴職人に引き合わせてくれた。ザガート氏は馬の蹄のようなブーツの制作にとりかかり、Maison Martin Margielaのデビューとなる1989年春夏ショーに間に合わせた。

  • 文: Karizza Sanchez
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: July 31, 2023