うちへ食事に来ない?

食事、成長、集いの考察

  • 文: Thessaly La Force

私の知り合いはほとんどがそうなのだが、私が料理を覚えたのもカレッジを卒業してからだ。18歳の若さで、料理に何の用があるだろうか? 私は北カリフォルニアを出てニューヨークのコロンビア大学へ入学したばかりで、ハーレム地区の端にある堂々たるキャンパスをのびのびと歩き回っていた。新古典様式の建物と赤レンガの通路があって、偉大な先人達の名前が石に刻まれていた。ジョン・ジェイ ホールにはカフェテリアがあったし、雑貨店、ベーグル ショップ、ひと切れ1ドルのピザ屋もあった。麦芽ビールを飲み、夜遅くにフライドポテトを食べるせいで体重が増えたが、その後、増えた以上の体重を落とした。空腹を抱えるのもまた、簡単なことだった。故郷を離れ、家族を離れ、食事は別次元の様相を帯び始めた。私たちは食事会を企画した。アムステルダム アベニューにある安い中華レストランをよく利用したのは、身分証明書で年齢を確認されることもないし、安ワインをケースで持ち込めたからだ。甘ったるいオレンジ チキン、牛肉とブロッコリー、とろみのあるソースがてかてかと光る料理は、故郷のベイ エリアで食べていた中華料理とはまったく別ものだったけど、私はガツガツ食べ、シャルドネを呑み過ぎて気分が悪くなると、夜はぼんやりと霞んでいくのだった。

そんな調子でも、大学生活が終わる頃には、手の届くすぐそこに世界があると思うようになった。もう子供ではなかったけど、大人の感じもしなかった。法科の大学院を志望するつもりで聴講した授業は、どうにも悪戦苦闘だった。自分を見つける方法がわからなかったし、その大きな理由は、まず自分が何者かがわからないことだった。私は色々な文学雑誌に目を通した。でも、クリエイティブ ライティングの講座には近付かなかった。卒業する前の最後の夏は、帰省しないで、ニューヨークで過ごした。ある暑い午後、ルームメイトのEと私は学生寮からマットレスを盗み出し、頭の上に担いで125th ストリートをてくてく歩き、craigslistで借りたイースト ハーレムのアパートの、太陽が燦燦と降り注ぐベッドルームへ運び込んだ。すでに自分の世界を作り上げた人、私がもがいていた制約の囲いをものともしない人と、このとき初めて友達になれた気がした。長く気怠い夜、私たちは語り合った。何を食べたかは記憶にない。素敵なレストランへ行く人たちを羨む気持ちは起こらなかった。ふたりともそんなゆとりはなかったし、あの夏、食べることは二の次だった。大切なのは、最終的に選択する教育、ニューヨークの街が私のものにもなると信じられる進路だった。


21歳のとき、料理が大好きな人と付き合うようになった。彼は裕福な家庭の出身で、後には彼の父が私たちのために素晴らしいアパートを買ってくれた。12th ストリートにあるタウンハウスのワン フロアで、高い天井、プラスチックだけどアンティーク風な装飾板、フランス窓があった。ままごと遊びにはぴったりの場所だったから、私たちはいちばん高価な物でキッチンを埋め尽くした。英国製の陶磁器、銅の鍋やフライパン、柄がマザー オブ パールの牡蠣用フォーク。気前よく振る舞うことがいとも容易い、満ち足りた暮らしだった。私は新しい生活にだんだん慣れていったが、安心感が増したわけではなかった。大抵の場合、私たちは大量の料理を作って、友人たちを招待し、彼の家族を招待した。彼が関心を寄せるものには、如才ない見せびらかしのオーラがあった。例えば何千ドルもするエスプレッソ マシンとか。一方の私は、白トリュフ、オイルをたっぷり含んだスペイン産アーモンド、手で収穫されたフランス産シー ソルトといった高級食材に目覚めた。「玉ねぎの切り方が間違ってるよ」などと、些細なことを彼に注意されたのを覚えているけれど、当時はためになるアドバイスだと思っていた。でも、人々をもてなしているとき、楽しいんだけどどこか快適ではない場所へ逸れてしまうことが多いのを、心の奥で知っていたと思う。料理に対する私の考え方は歪んでいた。料理の腕であれ、理不尽なほど高価な食材であれ、最新テクノロジーの器具であれ、人を招待することは何かを誇示する手段だと解釈していた。そして年月が流れるうちに、彼への愛情は冷めていった。

書きたいと願う気持ちに、私は気付いていた。現実の活動と異なるその欲求は、彼との関係に不満が募るに比例して膨らんだ気がする。彼と作り上げた暮らしは、どこにも執筆の余地がなかったのだ。執筆に必要なひとりになれる環境も、ある種の内省と自己認識もなかったし、それらは物質主義によって得られるものでもなかった。当時の私はあまりに未熟ではっきり言葉にできなかったが、富は往々にして他の特権、つまり優越感や博識や趣味の良さと混同されることに気付き始めていた。結局、アイオワ ライターズ ワークショップから合格通知が届いた時点で、私は家を出た。彼との関係がさっぱり清算されたわけではなかったが、奨学金だけで自活を始めた。アイオワの広大な空と凍えた平原には本物があった。

1年目は、詩人のサラと、ポーチと雑草だらけの庭があるこじんまりした農家で暮らした。2階の寝室の小さな机が私の執筆場所だった。壁はベビーブルーで、大きな窓から通りが見えた。2年目はドッジ アベニューにあるもっと大きな家へ引っ越した。芝生の庭はずっしりしたレンガの壁に囲まれ、本格的なダイニング ルームには花柄の壁紙が貼られ、スウィング ドアの先のキッチンには、スチール製のキャビネットとコイル式の電気調理台があった。とても家具をそろえる余裕はなかったし、寒さの厳しい冬のあいだは光熱費が容赦なく嵩んだ。でも私は、可愛らしいコットンのカーテンを窓に下ろした寝室で、書いて書いて書きまくった。書いてないときは、お互いのために料理をした。

この頃ほど料理が楽しかったことはない。いつも食べ物を囲んで人が集まっていた。毎週、ワークショップの講師たちが食事を作ったり、パイを焼いてくれることもあった。著名なライターが町へやって来たときは、日頃はさして使い道がないほど大きな私たちの家へ招待した。お金を貯めて、自分たちだけの豪勢な宴会に散財したこともある。仲間との集いは心が浮き立った。古道具屋で見つけたレースみたいに薄いアイボリーのテーブルクロスを広げて、ワインの空き瓶に安い蝋燭を立てて燭台代わりにした。それからグラント・グリーン(Grant Green)やソランジュ(Solange)やノルウェーの民俗音楽をかけて、みんなで熱心に対話や議論を続けた。文学、テレビ、私たちの人生について。執筆中の小説や短編について。狂っていて、飲んだくれだけど、羨ましくなるような自滅的詩人たちについて。かつてワークショップで教鞭をとったレイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)やジョン・ベリーマン(John Berryman)の亡霊が、今でも辺りに浮遊しているようだった。料理はいつも慎ましかった。パスタとかシチューとかローストとか、昔ながらの家庭料理だ。なんといっても、誰もが執筆に長い時間を費やしていたし、滑り去る氷河のように時が過ぎることもあったのだから。アイオワ シティは空っぽで、灰色になったトウモロコシ畑が地平線を埋め尽くしていた。私はようやく、試しに書いてみるではなく、隠れて書くのでもなく、何ページも何ページも書き続けた。何ひとつ不可能なことはないと感じた当時の幸福感が、ついに書き始めたという事実から生じたのかもしれないとは、思ってもみなかった。

アイオワの春は遅かった。でも遅い春がやって来ると、あっという間に地面は緑の草で覆われて、芝刈りに追われる。セミの鳴き声が響き、熱気が立ち込める。学期末が近づくと、みんなで集まる機会もどっと増え、ポーチでまだ温かい料理を食べたり庭でピクニックする私たちにも、開花の季節が巡ってきたようだった。小説は語数が増え、長めになり、私たちの胸は将来への信念に膨らんだ。

学期末が近づくと、みんなで集まる機会もどっと増え、ポーチでまだ温かい料理を食べたり庭でピクニックする私たちにも、開花の季節が巡ってきたようだった

その当時から現在に至るまでの出来事は、特に関心を引くことでもない。私はついに20代のボーイフレンドと縁を切り、割に合わない仕事を辞め、新しい仕事を見つけた。書いたものを編集者へ送り、丁寧な断りの返事を受け取り、いくつかは出版された。東京、ヴェネチア、リオデジャネイロへひとり旅をした。キスすべきでない人たちとキスした後、波が岸に当たって砕けるように突然恋に落ち、結婚し、新しい種類の落ち着きに収まった。私の料理は少し向上し、見映えは少し大人しくなって、もっと自信が持てた。煮込んだ肉、茹でた魚、ラムを利かせたフランス風のアップル ケーキ。たとえゲストを迎えたディナーがアイオワ時代の精彩を欠き、ボヘミアン的要素が弱まり、上等なワインや高級な調理器具といったブルジョワ的要素が増えたとしても、ようやく私自身のなかに見出した心からの何かがあった。友人たちを家へ招き、手料理を出し、みんなの考えやアイデアと自分の考えやアイデアを交わし、酔い心地で夜更けへ運ばれていくのは、本当に楽しかった。最後に数人を招待してディナーを開いたのはパンデミックが始まる前、冬の向こう側へ渡り切る前の2月末だったから、もう1年以上が過ぎた。あのときは、ひとりが妊娠中で、ひとりが禁酒したばかりで、集まるかどうか迷った挙句に決行したのだった。私は牛肉の赤ワイン煮込みを作った。オーブンのなかでゆっくりローストされる肉の匂いが、午後の間ずっとアパートに立ち込め、まるでクリスマスみたいだった。立ちっぱなしでジャガイモの皮をむく私の足は痛み始めていたけれど、気持ちは静かに落ち着いていた。自分の進む道にもっと手応えがあった。


ここ数か月というもの、私は家にこもっている。何週間も外へ出ないことさえある。知らぬ間に日は暮れ、窓に向かって座っていないと、何時にお昼ご飯を食べたのか、体が何を必要としているのか、思い出せない。小包の配達で時刻が刻まれ、ストレチアが伸ばし始めた新しい葉で日付が刻まれる。書き、読み、散歩し、電話をかけ、くだらないテレビ番組を見る。夫と私は、木星の月がそれぞれの軌道を回るようにすれ違う。私たちが幸運なことはわかっている。追い回される生活、ノーと言うべき相手にイエスということ、家へ帰る時間なのにもう1杯のお酒に付き合うことに、未練はない。

私生活以外のディナーやディナー パーティということなら、私は文学に目を向ける。ジェームズ・ボールドウィン(James Baldwin)の『ジョヴァンニの部屋』では、デイヴィッドとジョヴァンニが初めて共にする食事の席で互いに引き寄せられ、期待し、誰の目にも明らかな恋の陶酔が始まる。食事はストーリーの展開にとって重要な場面になることが多い。シャーリー・ハザード(Shirley Hazzard)の『金星のトランジット』のように、ふたりの登場人物が運命の出会いをすることもあるし、ヘルマン・コッホ(Herman Koch)の『冷たい晩餐』のように、避けがたく対立することもある。ルシア・ベルリン(Lucia Berlin)が書いた短編小説のディナーでは、登場人物が目にしてはならないものを目撃するし、イーディス・ウォートン(Edith Wharton)の『お国の習慣』では、世界についてそれまで知らなかったことが理解される。ディナーの場で、初めて欲望と軽蔑が表出することもある。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie)の『半分のぼった黄色い太陽』は、食事の内容あるいは食べ残しを詳細に記述し、アーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway)の『移動祝祭日』は、多くの場合、実話の回想でさらりとふれるだけだ。文学に現れる食事は、セックスや幸福と同じく、それ自体ではさほど役に立たない。あまりに陳腐でブルジョワ的なのだ。だがそうであることが、逆に道具にもなる。常識に従う息詰る倦怠を表現する手段になる。

これを書いているとき、ディナーあるいはパーティに関連して頭に浮かんだのは、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の『ダロウェイ夫人』だ。全篇を通じて語られる運命の日、ダロウェイ夫人はロンドンの通りを抜けて、ピム嬢の花屋へ出かける。スイートピー、カーネーション、バラ。その夜のパーティのために飾る花を選ばなきゃいけない。この場面の書き出しはお祝い気分だが、直前に起こった惨状も重くのしかかっている。

だって、今は6月の半ば。戦争は終わった。ただ、フォックスクロフトさんみたいな人は別。夕べの大使館での席では、人知れず悲嘆に暮れていた。というのも、素敵な息子さんが死んでしまったから、古いマナーハウス(領主の邸宅)は従兄弟の手に渡さないといけない。それから、バザールを開いたベックスバラ夫人もそうね。人が噂してたことだけど、お気に入りの息子さんのジョンの戦死を知らせる電報を手にしてたっていうことだわ。でも終わったの。ありがたいわ。終わったのよ。

パンデミックが始まって最初の数か月、私は拠り所のない戸惑いを感じていた。それまで世界を動き回っていた気軽さが、今では、私を含むすべての人からも失われてしまったことを理解できなかった。目の前の写真を見ているように、2月の末のある場面が明瞭に思い浮かぶ。ロウワー イーストサイドの知らない人で溢れた暑い部屋で踊り、外に出て、冷気に当たりながら友人とタバコを吸った。私たちのうち誰かひとりでも、突然、生活が立ち止まってしまうと信じられたろうか? やがて月が流れ次の年へ変わると、私は退屈な諦めを受け容れた。でももうすぐ、パンデミックがついに収束するときが来るように願っている。それは『ダロウェイ夫人』と同じように、6月かもしれない。多分、もう少し先だろう。そのとき私たちは、計り知れない喪失と向き合うのだろう。変わったもの、逝った人々、次の冬にもコートのポケットに潜んでいるはずの予備のマスクに、私たちが越えてきたものと消えることのない悲嘆が絶えずつきまとうだろう。

今私の傍のボウルには、夕飯に料理する白い豆が浸してある。2〜3日は残り物が続くはずだ。こうして日々を暮らしながらも、今からずっと先のことを考えないではいられない。いつか重い腰を上げて、椅子の背に掛けられたままの冬物のコート、散らかったリビング、私の本が積み上がった食卓を、本当に整理整頓するときだ。そのときが来たら、花を買い、お皿とワイン グラスを並べよう。キャンドルを灯し、音楽をかけよう。素敵な服に着替えるつもりでも、そんな時間はないかもしれない。その頃にはもう友人たちが到着し、先ずエレベーターの音が聞こえ、廊下に笑い声が響くだろうから。私は急いでオリーブの入ったボウルをテーブルに出す。テーブルの上で冷ましているケーキの匂いが、アパート全体に立ち込める。シャンペンの栓を抜くのもいい。話が弾み、近況を教え合い、誠実な問いに訥々と深く考えた返事が返されるだろう。テーブルの向かい側にいる友人にちらりと視線を向けるだけですべてが伝わり、冗談と噂話は真剣な議論と討論に変わるだろう。私はもう1本ボトルの栓を抜き、「もう少しいいじゃないの」と言い張って、誰も帰らせないだろう。まだ夜は長いのだから。

Thessaly La Forceは、ライターであり、『T: The New York Styles Magazine』のフィーチャー ディレクター

  • 文: Thessaly La Force
  • アートワーク: Max Guther
  • メニュー & レシピ: Sue Chan
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: May 28, 2021