写真家ピーター・アッシュ・リーが韓国の伝統とスタイルを世界に教える
衰退しつつある海女文化を記録したファッション写真は文化の再生でもある
- 文: Hyunji Nam
- 写真: WooJeong Lee

ソウル中の桜が咲き誇り、韓国が総選挙を迎えた日、人々でごった返すダウンタウンのウルチロ地区でひとつのビルがにわかに活気づく。金物や照明器具を売る古びた店や工場があちこちに散らばる中で、見落としてしまいそうに小さなギャラリーが賑わっている。付近の工場が1日の稼働を終え、通りを照らす灯が少なくなるにつれ、飾り気のないスペースにさまざまな人たちが詰めかける。ニューヨークとソウルを拠点にする写真家ピーター・アッシュ・リー(Peter Ash Lee)が韓国で初めて開催する個展を、一目見ようとやってきた人たちだ。

「The Last Mermaid」展初日のピーター・アッシュ・リー。

冒頭の画像: 韓国人モデル、ソラ・チョイ(Sora Choi)をフィーチャーした2024年『Vogue』China(Copyright by Peter Ash Lee)。
ゲストも多彩な顔ぶれだ。ミシェル・ザウナー(Michelle Zauner)は、ソロ プロジェクトJapanese Breakfastとして活動する韓国系アメリカ人のミュージシャンであり、ベストセラーになった『Hマートで泣きながら』の著者でもある。俳優のイェスル・ハン(Ye-seul Han)とチャンヨン・ユン(Chan-young Yoon)は、Netflixのホラー シリーズ『今、私たちの学校は…』でお馴染みだ。そのほかにも、リーの韓国デビューを応援しようと、世界的なファッション ブランドの関係者、モデル、マガジン編集者たちが次から次へと会場に姿を現す。

ミシェル・ザウナー、ミュージシャンおよび『Hマートで泣きながら』著者。
韓国系カナダ人のリーは、「ヘニョ(해녀)」と呼ばれる海女をテーマに、母国のユニークな文化遺産を写しとった。海女文化を写真で記録する取組みは1月に出版された『The Last Mermaid』の延長だが、元々は、期せずして旅行中に始まったプロジェクトだ。「韓国の伝統や文化との繋がりを取り戻したいという気持ちがすごく強くなって、2018年に僕個人の写真プロジェクトを始めたんだ」と説明する。「韓国へ行って色んなテーマを追いかけてみたけど、最終的に心を掴まれたのが、韓国の女性ダイバーたち『ヘニョ』の素晴らしい歴史だった」

チャンヨン・ユンとシン・ジェハ、共に俳優。

イェスル・ハン、女優。
2016年にユネスコ無形文化遺産に登録された「ヘニョ」は、済州島の女性コミュニティだ。80代を含む海人たちは、酸素マスクもつけずに最深10メートルまで潜り、アワビやウニや貝類を採って生計を立てている。「『The Last Mermaid(最後の人魚)』というタイトルは、ヘニョのゴリョゥジェン(Koryoujin)を見てて思いついたんだ。ゴリョゥジェンやゴリョゥジェンのお母さんと交流を持てたおかげで、僕の人生は信じられないくらい豊かなものになった」とリーは続ける。「ヘニョは自分たちの時間と体験を惜しみなく僕と分かち合ってくれた。最初は、写真集の形でヘニョの暮らしを見せるつもりだったけど、ヘニョの伝統を尊重してもっとたくさんの人に知ってもらうには本にしたほうが大きな力になるとわかって、計画を変えたんだ。本ならヘニョが継承する文化とヘニョが直面する困難があるという認識を高めて、正しく理解するプラットフォームになれる」。本と展示会からの収益の一部は、いまだに旧式の道具を使っているヘニョたちの協会に寄付する予定だ。

「最後の人魚」のゴリョゥジェンとリー。後ろはゴリョゥジェンのポートレート写真。
それから何年も経った今も、リーはヘニョたちと共にした時間を鮮明に覚えている。「いちばん感動したのは、ヘニョのみんなが驚くほど親切で温かかったこと。気配りと愛情で僕を家族みたいに受け入れてくれて…僕は祖母を思い出したよ。あの深い感動と忘れられない経験は、今も強い印象として僕のなかに残っている」

「The Last Mermaid」展、ソウル。
残念なことに、ヘニョの文化は絶えようとしている。ヘニョたち自身も、時代の終わりが近づきつつあることを感じている。「ヘニョの世界について調べれば調べるほど、地球温暖化の影響でヘニョたちが直面している危機を、強く意識するようになった」とリーは言う。紀元後503年の歴史文書に初めて記録されたヘニョは、2023年現在でおよそ3,000人。そのうち70歳以上の高齢者が2,090人と全体の64.8%に相当する。
「最後の人魚」を思わせたヘニョのゴリョゥジェンも、「The Last Mermaid」展の初日に家族と一緒に来場し、ヘニョの今後への願いについてリーに語った。「私の祖母も母もヘニョです。ヘニョの系譜を継承して、今は3世代が海で仕事をしています。ヘニョのことをたくさんの人に知ってほしいし、ヘニョになりたいという人が出てくれたら嬉しい。ヘニョは韓国の文化に欠くことのできない一部なので、途切れることなく続いてほしい。そのために、私も頑張ってるんです」

ゴリョゥジェン。
母国の文化を見せようとするリーの取組みは、ファッション関係の多様なプロジェクトでも一貫している。例えば、Japanese Breakfastのアルバム『Jubilee』では、韓国の伝統でもある干し柿「ゴットガム(곶감)」を吊るした。「セット デザイナーが大量の柿をスタジオへ持ち込んで装飾に使ってみたら、とてもいい背景になった。素晴らしい才能のミュージシャンと一緒に仕事をするのは光栄だったし、『Hマートで泣きながら』にも、ものすごく胸を打たれた」

2023年『Vogue』US(Copyright by Peter Ash Lee)。
リーによると、近年のキャリアで特記したいのは、韓国人ヘア アーティストのガベ・シン(Gabe Sin)とコラボしたアメリカ版『Vogue』の撮影だ。「ガベ・シンは唖然とするようなヘア デザインをクリエイトするけど、あれは韓国の伝統工芸がインスピレーションの源になってる。ナジャンチルギといって、マザーオブパールを使ったものすごく緻密な螺鈿細工。韓国の優れた工芸と現代ファッションの表現を融合することで、とてもエキサイティングなビジュアルが作れたと思う」

2024年『Vogue』Korea (Copyright by Peter Ash Lee)。

韓国では、グローバルな視点を持つ写真家への需要が高まっているが、第1候補に挙がるのはリーだ。今では、さまざまなメディアや広告の撮影のために、月に1度は韓国へ戻る。K-POPと韓国ドラマが世界で人気を得たことも、リーの帰国に拍車をかける。アジアの多様なタレントたちの撮影で最初に希望される写真家として、これまでに撮影したポートレート写真は数多い。2021年に『ミナリ』でアカデミー助演女優賞を受賞したユン・ヨジョン(Youn Yuh-jung)、『パスト ライブス/再会』で主演したグレタ・リー(Greta Lee)のほか、BLACKPINK、BTS、等々。

K-popスターBlackpinkをフィーチャーした2022年『Rolling Stone』(Copyright by Peter Ash Lee)。
「K-POPのスターたちと仕事をするのは、驚くほど幸運な体験だ」とリーは言う。「K-POPの音楽は世界に愛されてるし、スタイルはファッション ブランドのキャンペーンやアンバサダーに起用されるほど人気がある。アジア人の存在を世界に示すうえで、K-POPの大きな影響力は重要な役割を果たしてる。K-POPというプラットフォームができたおかげで、世界がアジア人に目を向けるようになったことに、僕はすごく感謝してる」

K-popスターBTSをフィーチャーした2018年『Billboard』(Copyright by Peter Ash Lee)。
リーは、アジア人アーティストを応援マガジン『Burdock』の編集長でもある。早くからマガジンや印刷媒体やファッション写真に強く惹かれていたが、主流メディアにはアジア人の存在が希薄だった。「僕が夢中になって見ていたマガジンにはアジア人の写真家がほとんどいなくて、がっかりしていた。そういう欠落感を感じてたから、果たして業界に自分の居場所があるのか、僕が素晴らしいと思う印刷物に写真家として参加する機会があるのか、疑問だった」

「The Last Mermaid」展、ソウル
『Burdock』は若きクリエイターたちにインスピレーションを与えることが目標であり、目標に向けてリーはたゆまぬ努力を続けている。「写真であれ、それ以外であれ、クリエイティブな活動をしている限り、僕は充実と満足を感じられる。確かに本当の自分を生きている、って実感する。だから、これからもずっと学びと成長を続けていきたい」
『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ(Bong Joon-ho)監督は、アカデミー授賞式で「もっとも私的なことがもっとも創造的なことなのです」と述べた。リーの私的な思いは、現在の仕事にどのように作用しているのだろうか?「僕は、確かな帰属感を持てないまま、成長した。韓国で通用する韓国人とは思えなかったし、かといって、北米で通用するカナダ系アメリカ人とも思えなかった。そういう体験から不安と先の見えない戸惑いを感じるようになったけど、今では、自分のアイデンティティを弱点ではなく、強みだと思うようになった。僕自身の人生のさまざまな体験から、僕だけの視点と美学が生まれたんだ。自己発見の道を辿り続けたら、僕自身のアイデンティティを受け止めて、自分であることに力を見つけられるようになったよ」
- 文: Hyunji Nam
- 写真: WooJeong Lee
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: May 1, 2024

