Ext. Queens Evening — With Actor Buddy Duress

俳優バディ・デュレスと歩く
クイーンズの長い夜

「Good Time」の
見事なストーリーテラー

インタビュー: Durga Chew-Bose
写真:Jody Rogac

その顔にもっと似合う名前を見付けるのは、簡単なことではない。それとも、名前をもっと完璧に体現する顔、と言うべきか。バディ・デュレス(Buddy Duress)は、一目見ただけで、いかにもバディ・デュレスだ。ニューヨーク州クイーンズ区出身のデュレスは、ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟(Josh and Benny Safdie)監督の残酷で醜悪でアドレナリン全開の犯罪映画「Good Time」で、ロバート・パティンソン(Robert Pattinson)の相手役を演じた。彼はソフトでハードだ。肩幅の広い立派な体つきなのに、いとも簡単にエキセントリックな雰囲気を発する。フェリーニ映画のシュールな人類から引っ張り出されたように、惜しみなく多くを語る顔に両極が存在する。まるで「道」のジュリエッタ・マシーナ(Giulietta Massina)とアンソニー・クイン(Anthony Quinn)だ。喧嘩腰で荒削りだけど、真実味があって、想像を働かせるに値する無声映画の時代に登場した、道化師のようだ。実名と芸名が同じバディ・デュレスは、あんぐり口を開けて、なんだかぼんやりして、せっかちで、同時に異常なほど落ち着きはらっている。どんな障害、心配事、計画の変更が起こっても、「問題ないさ」が口癖だ。

デュレスの深く窪んだ淡いブルーの目を最初に見たのは、2014年。サフディ兄弟に見出されて、ヘロイン中毒を扱った痛ましい映画「神様なんてくそくらえ」(原題:Heaven Knows What)に出演したときだ。その目は、もうひとりの深く窪んだ眼差しを思い出させる。狂気じみた過激に追い込まれる役で知られる、エキセントリックで乱暴な俳優ティモシー・キャリー(Timothy Carey)だ。1971年公開のジョン・カサベテス(John Cassavetes)監督作「ミニー & モスコウィッツ」(原題:Minnie and Moskowitz)で演じたモーガン・モーガン(Morgan Morgan)のように、彼が演じる端役は奇妙に気分を高揚させ、主役を食う存在感とカリスマ的な粗暴を放つ。

蒸し暑い7月の宵。私はちょうど、ティモシー・キャリーを引き合いに出したところだ。間違いだったかもしれない。デュレスと私は、アストリア30番街の同じ区画を行ったり来たりしている。デュレスが母のジョアンや弟のクリスChrisと暮らす家も、遠くはない。「オレたちはイタリア人だから、すごく家族を大切にするんだ」。デュレスは言う。「山ほど金があっても、オレはママと一緒の家に住むな。ママはもう年だから、近くにいて面倒を見なきゃいけないんだ」。私たちは、もう数えられないほど何度も、スタンウェイ通りを渡った。行って帰って、行って帰って。ドラッグストアのデュアン リードは以前ユナイテッド アーティスツの映画館だったところで、デュレスは子供の頃に「モータル コンバット」(原題:Mortal Kombat)を見たのを覚えている。デュレスのお気に入りのビタミン ウォーター「オレンジ オレンジ」と、(3時間に及ぶインタビューのあいだずっと吸い続けた)バラ売りのタバコ10本、ガールフレンドと夜に食べる冷凍マカロニ&チーズの2ポンドパックを買う以外、私たちはほとんど立ち止ることも休むこともなかった。私の携帯でキャリーの画像を見た32歳のデュレスは、顔をしかめて言う。「オレの方が格好いいよ!」

その通り。私は謝る。私が間違っていたからではなく、言いたかったことをきちんと伝えなかったから。ようやく私は、デュレスも同意するキャリーの写真を検索できた。「ああ、その写真はいい顔だな。分かる、分かる。オレの眼の周りの骨はすごく出っ張ってるんだ。夜はアライグマみたいに見えるって言われる」。私が伝えたくてできなかったのは、単に容貌のことだけじゃない。ふたりの繋がりは、映画のもっと奥深い遺伝の一部のような気がするのだ。

キャリーやデュレスのような顔、大きな鳥を連想させる顔は写真写りがいい。ジャーナリストのグローバー・ルイス(Grover Lewis)が書いているように、「異端児やはぐれ者を本当に愛するのは、おそらくカメラだけだろう。出演料の安い道化師や脇役や悪役たちは、花崗岩の断崖に走る鉱脈のように、映画史を貫いている」。いやおそらく、カメラだけではないだろう。デュレスのように勢いのある貴重な「異端児やはぐれ者」が、自分はスクリーンに属する人間だと理解したときに生まれる印象に過ぎないのではないか。なぜなら、デュレスの純粋で自由なエネルギーは、映像の魔術に訴えるからだ。「緊張したり面食らったりするような思考過程や科学反応を、オレは一切持ち合わせてないんだ。別に大口を叩いてるわけじゃない。とにかく恐れることがないんだ。心臓がバクバクすることも全然ない」

サフディ兄弟が「神様なんてくそくらえ」で、デュレスに気さくなジャンキーのマイクを演じさせたのも頷ける。映画に出る前に、ストリートで暮らし、ドラッグ関連の罪でライカーズ刑務所に服役した経験を持つデュレスの実生活と、この役はそれほど違わない。デュレスには、あり余るほどクレイジーな逸話がある。ジョッシュが私宛のメールで形容したごとく、デュレスはそれらを「異常なディテール」で語る。

対話の途中、ジョッシュと会った2013年にデュレスがホームレスになった経緯を話し始めた。「オレはライカーズを出たばっかりだった。あそこにいたのは3ヵ月半だったかな。ドラッグ。奴らは、オレに入院プログラムを受けさせようとしたんだ。8ヵ月から10ヵ月プログラムに入るか、2年間刑務所に入るか、どっちか。だからプログラムを選んで、クイーンズの裁判所のすぐ近くの更生プログラムのビルへ行った。そこで待ってれば、誰かが来てプログラムへ連れて行くって言われたんだ。だけど、そこに座っているあいだにもう、オレはこのプログラムは受けないと思ってた。1時間半くらい待ったけど、結局誰も来なかったから、そのまま外に出て、地下鉄で見ず知らずの人に頼んで、そいつのカードで改札を通ったんだ。家に帰って、シャワーを浴びて、ヒゲを剃って、お袋に事の次第を話して、どうやってできるだけ長く姿を隠して警察から逃げるつもりか、説明した。そのときは、とにかくできるだけ長く逃げて、夏を楽んで、当局の目をくらまそうと思ってた。もし捕まったら、そのときはそのとき。ジタバタしない。結局ストリートで暮らすことになって、セントラル パークやリバーサイド パークで寝泊りした。ある教会で、偽の身分証を手に入れたんだ。運転免許じゃなくて、ホームレスの炊き出しの施設が発行した身分証みたいなもの。好きな名前を書けたから、偽名を使った。警察が身分証を見せろと言ったら、それを見せて、やり過ごせる。自分でも、かなり賢いなと思ったよ。2013年の8月2日にライカーズ島を出て、捕まったのが2014年の8月1日だから、364日間逃げおおせたわけだ」

緊張したり面食らったりするような思考過程や科学反応を、オレは一切持ち合わせてないんだ。別に大口を叩いてるわけじゃない。とにかく恐れることがないんだ。心臓がバクバクすることも全然ない

その間に、長い付き合いの友だちで、のヒロインに抜擢されたアリエル・ホームズ(Arielle Holmes)が、ジョッシュに紹介してくれた。「神様なんてくそくらえ」は、アリエルがホームレス生活やドラッグ中毒の体験を綴った回想録『Mad Love in New York City』から生まれた。「オレはアリとつるんでたんだ。一緒にストリートにいるとき、そのアリが『ねえ、私映画に出るの』って言うんだよ。それから、ジョッシュがテキーラを1瓶持ってやって来た。オレらはジョッシュの車に乗って、その酒を飲んだ。ジョッシュは運転があるから飲まなかったけどな。そのとき、色々話し始めたんだ」

数ヶ月後、サフディが端役を演ってみないかと尋ねてきた。デュラスの詐欺師まがいの自信と温かみのあるパワーが難なく映画になじむことがはっきりすると、最終的に、その役は当初よりずっと大きく膨らんだ。「もちろん。何の迷いもなかったさ。映画に出たいかって聞かれたら、オレは迷わず『もちろん』って答える」。私と会ってから全くと言っていいほど動くのを止めなかったデュラスが、ここでふと立ち止まり、私の方へと向き直った。「今でも思い出すんだ。もしあの更生プログラムに行っていたら、オレは『神様なんてくそくらえ』には出てなかった。おそらく、今頃俳優にもなってなかった。本当のことさ。きっと、なってなかった。なりようがないから」

ああいう状況では、自分と仲良くするしかないさ

サフディ兄弟は、グローバー・ルイスの説に反して、デュラスに今もっとも有名な俳優と並ぶ主役級の役を「Good Time」で与えた。それどころか、その役は、常々サフディとコラボレーションを重ね、2009年に発表されたインディー映画「Daddy Longlegs」で主役を演じたロナルド・ブロンスタイン(Ronald Bronstein)と共同で、デュラスを念頭に書いたものだった。「Daddy Longlegs」には「Good Time」の前兆があった。すなわち、容赦なく頑なにストリート感を畳み掛けるスタイル、そして、親への愛情が包含する不穏な側面を描くサフディ兄弟のこだわり。深い愛は、人生に立ち向かう力を与えるのと同じように、人を損ないうる。

サフディ兄弟の場合は映画中毒だ。その意味で、ふたりの執着は作品の陰気で、不可欠な要素であるのと同時に、時に目を背けたくなるものでもある。兄と弟のサフディは、自分たちが作り出す鼓動のようなリズムで動き、芸術的こだわりの深部や衝動の回廊を駆け巡る。例えば、「Good Time」でデュレスが演じるキャラクターのレイは、早口でいかがわしい、仮出所中の男だ。映画もほぼ半分を過ぎたあたりでミイラのように生命を得て(実際に目にすれば意味が分かるはず)、それまでコニー・ニカスを演じていた主役のパティンソンを食ってしまう。ベニー・サフディが演じる発達障害で聴覚障害の弟ニックと強盗をやったものの、逃亡中にしくじったコニーは、レイと一緒にLSD液体を売ろうとしたり、最低最悪で滅茶苦茶な一夜を過ごす羽目になる。

「Good Time」の世界は異常だ。コニーは、すぐに興奮して我を忘れるが、どうしようもなく自らの限界に縛られている。頭の回転は速いが、自分が作り出すおびただしい混乱にに対処できない。不快なシーン、というか絶対に間違った展開がある。でも、偽りには思えない。コニーは、誰であろうと、出会う者を片っ端から利用していく。レイ然り、その場に居合わせただけで上手く話に乗せられ、挙句に最後は見捨てられる16歳のクリスタル然り。ちなみに、クリスタルを演じたタリア・ウェブスター(Taliah Webster)は、本作が長編映画デビュー作になる。1984年にジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)ははみ出し者たちのコメディ「Stranger Than Paradise」を発表したが、ファーストフード店の外に駐めた車の中のレイとコニーとクリスタルは、「Stranger Than Paradise」の3人組とよく似たダイナミズムを展開する。ただし、「Good Time」のストーリーは、悲劇的に間違った方向へ転がり落ちていく。

私は、2011年、サフディ兄弟が発表した短編映画『John’s Gone』に関してふたりにインタビューしたことがある。そして対話の間中ずっと、ふたり共、椅子の後の足に体重をかけてバランスをとっていたのを覚えている。不安体な姿勢が、とりわけジョッシュの早口と合わさって、まるで彼らの映画を見ているような気がした。いつ何時、荒々しい熱狂と強迫的で過剰な激情が衝突するのを目にするかもしれない。ガッシャーン。

だが、サフディ兄弟の作品に関してもっと重要で特筆すべきことは、協働のプロセスだ。メディアに向けて、「Good Time」がパティンソンとデュレスの協力から実現したと発表された。「このプロジェクトの核は、ロブとバディを同じ作品に出演させることだった。(略) 最初は、ロブがバディの相手役を助演するはずだった」。そう語るジョシュは、プロジェクトの早い段階で、ある夜ダイナーでデュレスに会い、デュレスに喋らせて、それを携帯カメラで記録し、後からパティンソンに見せた。デュレスが語った実生活の中でも、ひどく酔っ払った夜に財布を失くした体験は、最終的に「Good Time」に登場することになった。動いている車から飛び出すこと以外にはあまり触れないで、「殴られて気絶」したりコブや切り傷や擦り傷を作って帰って来る息子に、彼の母はどういう反応を示したか、尋ねてみた。「何が起きたかを話したら、笑ってたよ。『俳優になったと思ったら、今度はスタントマンになるつもりかい?』って」

デュレスがパティンソンに対峙しつつ、同時に、どこかパティンソンと同じ側に立つ姿こそ、本当の意味で私たちの心を引きつける。コニーにとって、レイは厄介の種だ。デュレスを自然体と形容する向きもあるが、本当に物を言うのはしたたかさだ。デュレスは自らの苦闘を活用する。自分の知識、自分が目にしたものを利用する。何も無駄にしない。彼のパフォーマンスはエンジンであり、彼は「Good Time」のガソリンだ。まるで追われているように走り、まるで仲間を頼りにせざる得ない人間のように込み入った熱いストーリーを語る。

何の迷いもなかった。映画に出たいかって聞かれたら、オレは迷わず「もちろん」と答える

こんな話も聞いた。2015年、ジョッシュ・サフディと映画監督のダスティン・ガイ・ディーファ(Dustin Guy Defa)が、仮釈放中の違反行為でデュレスが3ヶ月拘留されていたライカーズ刑務所を訪ねたときのことだ。ちなみに、ディーファの最新作「Person to Person」はニューヨークを舞台にした群像劇で、マイケル・セラ(Michael Cera)、アビー・ジャコブソン(Abbi Jacobson)、そして三流の詐欺師としてデュレスが出演している。さて、サフディとデュレスが互いの近況を話すあいだ、ディーファは主に聞き役にまわった。その面会時、デュレスは何があっても髪を切らないように指示された。次の役に必要だったから。デュレスは約束した。が、「3ヶ月間の拘留期間の最後の週に刑務所へ行かされた。たぶん仮釈放中の違反は、刑務所から釈放することになってたんだと思う。刑務所へ行ったら、型通りの規則を全部やられた。裸にして所持品検査して、シラミ用のシャンプーふりかけて、『乾かせ!』って命令するんだ。その後、理容室の外に並ばせて、軍隊みたいにオレの頭を剃り上げようとした。オレは列のいちばんせ後で、刑務官が『お前の番だ!』と言うから、オレは『やらない』って言い返した。『なんだと?! なんだと?! 嫌だと言ってる奴がいるぞ!』って、大騒ぎだ。大体あそこの刑務官は、何かしくじった奴をひどい目に遭わせることで有名なんだ。だけどオレは頭の中で『構うもんか。絶対、髪は切らせない。あの映画の役をものにするんだ』と思ってた」

それで?

「刑務官は首の血管が膨らむくらい怒って『なんで嫌がるんだ?』って喚いてた。オレは映画のことは言わなかった。あいつらの知ったこっちゃないからな」

なんて答えたんですか?

「嘘をでっち上げた。『マンハッタンで仕事をしてるんだよ。前科者みたいな格好じゃ、仕事に行けない。オレの仕事は見た目が肝心だから』。そしたら何の仕事か聞くから、『たぶん知らないと思うよ』ってごまかした後、必死で頭を使って『5番街のDiesel、知ってるか? オレは5番街のDieselで客の出迎え係をしてるんだ。だからちゃんとした身なりでなきゃダメなのさ。申し訳ないが、失業するわけにはいかない。Dieselの仕事に行かなくちゃいけないんでね』」

それで窮地を脱したんですか?

「そう! 刑務官は『お前は懲罰房行きだ!』って。オレは『いいよ。そっちも仕事だからな』と言ってやった。残りは1週間だったから、オレは最後の1週間を懲罰房で過ごした。本を2冊ほど読んで、独り言を言って、大きな声で歌ったりもした。いやあ、退屈だったぜ。ああいう状況では、自分と仲良くするしかないさ」

まあ。

「そう。あそこへは絶対戻らない。絶対戻らない」

まさにそういう話、そしてデュレスの語り口に、私たちは惹きつけられる。デュレスの腕が大きく動くにつれ、声も大きくなって、彼の演技について、彼のシャドー ボクシングについて、私の感想を尋ねる。「オレの動き、キレある? どう?」。あるいは芸名が「それらしい」か? 「Good Time」の内容が不穏過ぎるか? それが気になるようだ。「でも、憂鬱になるような映画じゃないだろ、そうだろ?」。彼は何度も念を押す。

デュレスの母は、息子が俳優になるとずっと前から分かっていたらしい。彼女は、デュレスの「クレイジーな逸話」を聞かされた最初の人物だった。デュレスといっしょにカンヌへ行って、コンペティション部門でプレミア上映を迎えが体験したときの気持ちをジョッシュに尋ねると、「泣いたよ。バディには本当に素晴らしい才能がある。『神様なんてくそくらえ』から刑務所へ行って、それからクラーク・ミドルトン(Clark Middleton)の演技クラスへ通って、どんどん良くなってる。デュレスのオーディションはいつも楽しみなんだ。やつのおかげで、オーディションを信じられるようになった」

私はディーファにもメールを送って、デュレスとの仕事について聞いてみた。デュレスが「Person to Person」で演じた端役と間抜けなヘアカットは、目を引いただけでなく、デュレスが身体を張ったコメディを好むことを暗示している。「僕が惹かれるのは、自分自身でいられる人物、ある種の粗暴さと優しさを併せ持ったカリスマです」。ディーファからの返信だ。「必ずしもこれと正確に捉えることのできない資質というものがあります。そういう自然な在りようです。できればそのままにしておきたい、映画的な存在です。とはいえ、理解しようとして理解できるものでもありません。捉えどころのなさが、その魅力の一部だからです。バディはカメラに愛されます。カメラは常にバディを追いかけるけれど、決してバディが捕まることはありません」

カンヌでの「Good Time」の記者会見。最後の最後にデュレスが口を開く箇所まで、ぜひ見て欲しい。司会者の問いに対するデュレスの答えは、レイというキャラクターに関する率直なモノローグへ流れていく。「レイは心の中で自由を感じてる。誰にもその生き方は壊せない」。モノローグは、新しくひらけた人生に躊躇なく飛び込み、演じることを真摯に徹底的に追求する意欲を表していく。「オレは犯罪者だ。前科者だ。オレは、オレが犯したすべての悪事の原因だった犯罪的な考え方、オレの人生の全部の汚点を材料にして、それをよく考えて、ポジティブに使うつもりだ。オレは俳優を続けたい。3年前、オレは最悪の場所にいた。そして今はカンヌにいる。クレージーだ」。そのとき、プロデューサーのセバスチャン・ベア・マックラード(Sebastian Bear-McClard)に浮かんだ微笑みと、ロナルド・ブロンスタインの温かい面持ちに目をやって欲しい。ふたりが知らず知らずに浮かべた畏敬の念は、感謝の念にとてもよく似ている。映画を見に行ったときの、私たちの表情の変化にとてもよく似ている。

インタビュー: Durga Chew-Bose
写真:Jody Rogac
写真アシスタント:Justin Leveritt
スタイリスト:Eugenie Dalland
スタイリスト アシスタント:Jillian Amos
ヘア:Fernando Torrent
スキン:Allie Smith