体験レポート:Dries Van NotenのCasalシャツ & Nebularセーター

『GQ』ライターでスタイルの預言者、レイチェル・タシジャンが考える、気分に寄り添う着こなし

    ここでひとつ、過激でありながら、同時に安堵したくなることを言いたいと思う。それは…本当に…もはやメンズウェアもウィメンズウェアも存在しない、ということだ。確かに、多くのデザイナーが今なおメンズ コレクションとウィメンズ コレクションを作っている。だが、世界中の着こなしの達人たちはメンズとウィメンズに関わらず服を選んでおり、彼らの関心は、決まったアイデンティティを追認したり否定したりするシルエットではなく、生地やカット、服の持つ雰囲気に向かっている。

    メンズ コレクションやウィメンズ コレクションというのは、むしろ気分のようなものなのだ。Dries Van Notenを例にとると、私は長年このブランドのウィメンズウェアに忠誠を尽くしてきたが、それは単に服が美しいと思うからではない。私が「あの雰囲気」を良しとしているからだ。30〜40代そこらで、しょっちゅう旅行しているような、一応、女性ということにしておこう。彼女は自宅での夕食に招いた客の前で、ブイヤベースを作りながら、オノ・ヨーコの初期のパフォーマンス アートを再評価してみせることができる。ベルベットとジャカードを愛し、日本のリサイクルショップで見つけてきた、昔のハリウッドのような気の利いた組み合わせの服を着ているような女性だ。

    だが私は彼女ではない。私は30歳前で、ヨーロッパ人並みのミステリアスさを醸し出すにはセルフィーを撮りすぎる。そして、私に言わせれば、オノ・ヨーコの「Cut Piece」は、悲惨なまでに中途半端な作品だ。それでも、情緒と霊感の宿る心の奥深くで、私は自分が「Dries Van Notenな女」だと感じている。

    だがこの雰囲気は、「Dries Van Notenな男」の場合、どのように揺れ動くだろうか。彼はDries Van Notenな女より、もっとアーティスト気取りだろうか。そもそも、彼は「もっとアーティスト気取り」などという言葉を使うだろうか。


    1—彼はスニーカーとポプリンのスーツでアートフェアに行くのが好きな、アクティブな男である。


    2—彼は複数の柄を組み合わせるが、その柄と柄がぶつかることは決してない。禅を意識したロールシャッハ テストの絵のように、どの解釈でも「おお」となる。


    3—彼はただ植物を育てているのではない。どんなオシャレ男子も、たまにシダ植物に水をシュッシュッとスプレーすることはできるだろう。だが、Dries Van Notenの男は違う。「花」を愛しているのだ。


    4—色彩がグルービー。彼は「色彩がグルービー」だと言う。


    5—彼は毎日3時になると、カフェに寄ってエスプレッソを頼み、立ったまま、ちびちび飲む。くつろいではいるが、タバコを手に、気取った姿勢は崩さない。


    6—彼は携帯を携帯ケースに入れない。iPhoneは、それ自体が繊細にデザインされているからだ。彼の待ち受け画像は、日本人の植物のアーティスト、東信による宇宙に花が浮かぶ画像だ。宇宙に花? (実際、これはかなり画期的だ。)


    そうそう、Dries Van Notenな男は、自分のデザインが本物であることを好む。例えば、2019年の春、ブランドはこれまでにないアーティストとのコラボレーションを行った。ヴェルナー・パントン(Verner Panton)のデンマークの斬新なインテリア デザインの遺産を取り入れたのだ。パントンのあの緩やかなウェーブのパターンや一体成型のプラスチックの形は、誰でも見たことがあるはずだ。当然、Dries Van Notenな男にとって、これらは共通言語のうちだ。強い色彩のパルスが、波のようにうねるチューブとなり、パンツやシャツ、ニット、サンダル、そしてカーディガンを走る。このコレクションのもうひとつの要素、繊細なプリントと控えめなファンキーさが、バカンスで訪れるイタリアの街の海沿いに浮かぶヨットのごとく、これらのアイテムの間に浮かんでは沈んでいる。それは、安定感を醸し出しながらも、いつもどこか唐突だ。

    私はスカイブルーと白のストライプのシャツを着て、この旅に乗り出した。計算してゆったりとさせた袖は、「金持ちすぎてドレスアップしない」悲しみを感じさせることなく、パジャマに堂々とした風格を与えている。私の体には大きすぎたが、独特の心地よい透け感があった。私はこれを、数シーズン前のDries Van Notenのウィメンズ コレクションの、ピンクのゆったりしたサテンのカーゴパンツに合わせた。(素晴らしきかな、Dries Van Noten。どのシーズンのどの服も、他のあらゆる服に合わせられる。人々は気づいてさえいないだろうが、箱に入れて届けて欲しいワードローブとは、こういうものだ。) 私はシャツの裾を半分パンツに入れ、ちょっと形を整えて、しゅっとしたChanelのエドワーディアン ブーツを履いた。なぜならDries Van Notenな男は、ちょっとしたラグジュアリーの仕草こそ、何よりも優雅であると知っているからだ。

    私はエレガントなおくるみに包まれている気分になった。

    Rachel Tashjian 着用アイテム:セーター(Dries Van Noten)

    外にでると、このおくるみはすこぶる評判が良かった。午後3時、エスプレッソを飲むためカフェに立ち寄り、その後、仕事をした。そして「自分用に」花を買った。一風変わったオレンジ色のチューリップだ。Dries Van Notenな男とは、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の本に出てくる女性のことだろうか? そう考えながら、私はエール(Air)を聴きながら、キャンドルの灯りでひとり食事をした。Driesな男は、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)な女なのだろうか? 私はブルジョワな満足感に満たされていた。

    次に、パントンに触発されたセーターを試してみた。首の周りでブルーの段が弧を描き、その色が徐々に濃くなって、最後にブラックになっている。セーターの身頃は、ブラウンの麻とネイビーの綿で織られた、千鳥格子によく似たジャカード柄だ。その繊細で高級感のある柄のため、「バーゼルの街中で勤務時間外に着る」ニットと呼ぶにふさわしいものになっている。当然、マイアミではなくスイスの方のバーゼルだが、Dries Van Notenな男に、そんな基本事項を説明する必要はない。

    とはいえ、あまりに型にはまりすぎるのは不本意だ。Dries Van Notenな男は、自分自身らしくあることを楽しんでいるが、彼は「習慣」という言葉が、「怠惰」のうまい言い換えに過ぎないことに気づいている。そういうわけで、当然のように私はそのセーターに、明るいブルーにゴールドで鳥とつる植物を手描きした奇抜なベルボトムを合わせた。いかにも「金持ちの子息という育ちの良さからくる、穏やかさを湛えたグラム・パーソンズ(Gram Parsons)」のようだと言ってくれる人はいないか、心待ちにしていたのに、1日を終わろうとしても、誰も褒めてはくれなかった。仕方なく、恋人に「金持ちの子息という育ちの良さからくる、穏やかさを湛えたグラム・パーソンズ」に見えるかどうか、聞いてみた。

    「もちろん」と彼は言った。

    Dries Van Notenな男として外出する3回目、私は、何か本当に高度な着こなしをしてみることにした。それはDries Van Notenな男にとっては、自転車に乗るくらい何てことない所作なのだろう。言うなれば、フランス語が母国語でありながらドイツ語で数を数えるくらいの難易度の着こなし。

    つまり、このセーターを首に巻いてみるということだ。

    この首巻きスタイルは、あまりにカントリークラブっぽく、あまりに保守的なため、現在ではほとんど人気がない。腰のまわりに袖を巻いて結ぶか、私が「スケーター結び」と呼んでいるように、胸のまわりに結ぶ方が、ずっとカッコいいからだ。(Sacaiなどは、エキセントリックな生地の結び方を繰り返すことで、服の小宇宙を作り出してしまった。)だが、Dries Van Notenな男は、ただ肩にそのセーターをかけたいだけなのだ。ジャカードはもこもことして見え、パジャマのストライプを背景にすると、大人っぽく見えた。ブルーのおかげで、私はミステリアスな蒸留酒の嗜み方を知っているように見える。いかにも、「グラッパのコレクション」を持っていそうで、トルコ コーヒー通で、インテリア デザインに懐疑的で、サンダルにソックスを合わせることに自信を持っているようなスタイルだ。かつて、これほど共感したことがあっただろうか。これぞまさに自然体だ。

    Rachel 着用アイテム:シャツ(Dries Van Noten)

    Rachel Tashjianは『GQ』のライターである

    • 文: Rachel Tashjian
    • 翻訳: Kanako Noda