輝け!ロッククライマー、白石阿島

記録を塗り替え続ける17歳が、ニューヨークでの生い立ちとプレッシャーへの対処を語る

  • インタビュー: Romany Williams
  • 写真: Monika Mogi

FaceTimeを使って、白石阿島が自分の部屋のクローゼットを見せてくれる。ハロウィーンの翌日で、つい最近、韓国でのトレーニング キャンプから東京へ戻ったばかりだ。キャンプでは、毎日朝の9時から夕方の5時まで、クライミングに明け暮れた。ハロウィーンにはエイリアンの仮装をするつもりだったけど、とても疲れていたので、結局止めにしたと言う。その代わり、放課後に友達とVRパークへ行き、渋谷をぶらぶらしてから原宿のリサイクル ショップへ行った。今着ているLeeのライト ブルーのデニム シャツと、「got my horse, got my dog, don’t need no cowboy(馬も持ってる、犬もいる、カウボーイは要らないわ)」と書かれたピンクのクルーネックのスウェットシャツを手に入れたが、何といっても一番の掘り出し物はVivienne Westwoodのボンデージ パンツ。なんと3千円とちょっとでゲットした戦利品について、しばし、ふたりで盛り上がる。当たり前のことだけど、結局、10代がやることをやりたい10代なんだな、とつくづく感じる。そして阿島とお喋りしている私も、今どきの10代に戻った気分だ。さて次は、すっかり彼女のシグネチャになったクライミング用のパンツ。ふくらはぎ丈のパンツはすべて母親の手縫いで、1本ずつきちんとクロゼットに吊るしてある。多分70本くらい、と阿島は言う。「好きなのは、ネコの柄かな。招き猫の模様のが大好き」。『ニューヨーカー』では「ウォール ダンサー」と形容され、日本では「スパイダー ガール」として知られる。17歳にして、阿島はスポーツ界でもっとも優秀なロック クライマーのひとりなのだ。

2015年、14歳にして女性では史上初めて、グレードV15のクライミングを完登した。日本の段級グレードで五段に相当するV15は、屋外ロッククライミングでは上から2番目の難易度だ。彼女はV15を完登した最年少でもある。同じく数々の記録を破り、おそらく世界でもっとも高い評価を得ているフリーのソロ クライマー、アレックス・オノルド(Alex Honnold)は、阿島を「間違いなく、アメリカで最高のクライマーのひとり」と絶賛する。国際スポーツクライミング連盟の世界ユース選手権は3連覇を誇る。今年の9月からは父親と一緒にニューヨークから東京へ拠点を移し、2020年東京オリンピックで正式種目になったクライミングへの出場を目指してトレーニングを重ねている。輝かしい成績のせいで子供の頃からスポーツ記者に追いかけられてきた阿島だが、自分の主張とスタイルを持ち始めた現在、別の分野からも注目が集まり始めている。

Ashima Shiraishi 着用アイテム:ジャケット(Gucci)トラウザーズ(Gucci) 冒頭の画像のアイテム:ラウンジ パンツ(Gucci)

YouTubeに、「Poppo」として知られる日本の舞踏家、白石久年が1990年に行ったパフォーマンスの動画がある。白塗りの頭部、裸体の上半身、右の耳から垂れ下がる長いシルバーのイヤリング。イギリスのポストインダストリアル バンド「Nocturnal Emissions」の音楽に乗って、身体がうねる。彼が踊るのは「舞踏」だ。日本で生まれた前衛的な舞踊であり、「暗黒舞踏」の名でも知られる。久年は滑るようにステージ上を動き、その両手は手首で直角に曲げられ、それぞれの指が独立した動きを見せる。曲がった指、真っ直ぐにのばされた指。1本1本が完璧に独自の振付に従っているみたいだ。これを見れば、彼の娘が巧みに指を使い、真似のできないスタイルで岩から岩へと軽やかに移動する能力を備えているのも納得がいくというものだ。ダンサーに指導されたクライマー、それが阿島だ。

「もちろん、お父さんを尊敬してます。いつも私のそばにいてくれました」と、阿島は言う。ほかにもコーチは何人かいたが、父親が阿島から離れることはなかった。一度もクライミングをしたことがない人物がコーチするのは意外であると同時に、とっておきの秘密兵器にもなりうる。「相談相手だし、でもお父さんでもあるし...。だから、ちょっと変な感じのバランスなんです。親友みたいな部分もあるから、よく喧嘩もします。お互いよく似てるし、一緒に過ごす時間も長いから。大好きなんだけど、いつもそばにいられるのにウンザリすることもあって。わかる? すごく昔風の日本の父親だから、とても厳しいときもあるし」

両親を語る言葉には、「とか」や「わかる?」といった10代特有の言い回しが混じって、世界共通のティーンならではの悩みがうかがえる。親が人前でちょっとでも「変な」ことをすると、たちまち死ぬほど恥ずかしくなる類だ。17歳という年齢にしてはおどろくほど現実的で、父親がコーチであることの難しさを隠そうとしない阿島だが、両親のなりそめを語るときは顔が輝く。そして自意識の片鱗さえなく、自分もお父さんやお母さんのようにカッコ良かったらいいのに、と言う。

四国で生まれ育った久年は、20歳で上京して、ファッションの学校へ通った。そこで阿島の母となる福島県出身のツヤと出会い、恋に落ちる。まもなく久年は舞踏に夢中になって退学し、ツヤは卒業。その後ふたりはニューヨーク、ロンドンと生活を移した後、1978年にニューヨークへ戻ってようやく腰を落ち着けた。この頃、久年は舞踏グループ「Poppo and the Go-Go Boys」を結成した。「お父さんは、ワシントン スクエア パークやローワー イースト サイドで、よくパフォーマンスを行っていたそうです」と語る阿島の口ぶりには、誇りが滲む。「ダンスなんて思いつかないような、汚い場所で踊るほうが好きでした。イベントや大きな会場でやることもあったけど、汚い場所ほどインスピレーションが湧くって...。お母さんはファッションの学校へ通った経験があるので、お父さんと団員の衣装は、全部、お母さんが縫ってました」。白石家が暮らすロフトには今でも、久年が着た衣装がとってある。阿島がプロムで着たドレスもその中のひとつだ。

白石夫妻は、チェルシーの家賃制限の恩恵を受けられる同じロフトで40年近く暮らしている。すぐそばには、FITの略称で知られるニューヨーク州立ファッション工科大学がある。「私が生まれたのはすごく遅くて、ふたりとも51歳でした。それでお父さんは踊りを止めて、お母さんが働きに出て家計を支えるようになりました。そのあいだ私の面倒を見るのがお父さんの役目。すごく貧乏だったから、小さい頃からずっと、私の洋服はほとんどお母さんが作ってました。お父さんはしょっちゅう私を公園へ連れて行っていました。できるだけ私を外へ連れ出すことを最優先にしてたから」。そして阿島は、ジムではなく、セントラル パークでクライミングの喜びを知る。

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白石家には常に、普通とは違う白石家独自のやり方があった。阿島がクライミングの世界でかくも型破りな存在になったのも頷ける。ロック クライミングには、比較的大きな変化もなく、創始期から続いてきた原型が存在する。つまり、強い筋力が要求され、ほぼ白人によって占められ、Patagoniaを愛用し、ヒッピー寄りのメンタリティで、時にワゴンで寝泊まりするライフスタイル、といった具合だ。その点、阿島は新世代のクライマー。常にネットに繋がり、Air Force 1 ボンバーを着るファッション好きで、Instagramのインフルエンサーでもある。信頼する相談相手は、同じアスリート仲間ではなく、俳優のアンセル・エルゴート(Ansel Elgort)と企業家ジェフ・ステイプル(Jeff Staple)だ。アンセルは子供の頃にロッククライミングのジムで出会い、ジェフとは早い時期にソーシャルメディアで知り合った。どこまでも「ニューヨーク ガール」なのだ。「正直言うと、私はみんなが思っているようなタイプのアスリートとは、少し違うと思います。ニューヨーク出身というところからして、すでに違うし。今の生活ではクライミングが一番大きな割合を占めてるけど、興味のあることがほかにも沢山あるんです。ファッションも大好きだし、学校も続けたい。 クライミングだけじゃなくて、ほかのこともやりたいです」

現在まで自ら自分のマネジメントをこなす阿島にとって、型にはまらない助言は特に貴重だ。若くして成功を手にし、なおかつメディアへの対応やアスリートとしての義務をすべて自分でやりくりするのは、並外れた離れ業だ。「ジェフもニューヨークで同じ境遇を辿って、10代で有名になって、自分のブランドを起こした人だから、これまですごく助けてくれました。何が自分の将来にとって一番いいことなのか、時々わからなくなることがあるんだけど、ジェフは、大局的に長い目で見なきゃいけないって教えてくれます。そういうふうにサポートしてくれるまわりの人たちには、本当に感謝してます」

阿島には、The North Face、Evolv、Petzlといったアウトドア ブランドの大御所がスポンサーについている。だが昨年、コカコーラ社のスポンサー契約が発表されたときには、ちょっとした非難が湧き起った。健康への配慮、反商業主義、反大手ブランドなど、長年スポーツが象徴してきた理念と矛盾する大金がらみの契約とみなされたのだ。にもかかわらず、クライミングするときと同じ素晴らしい柔軟性で、阿島は批判をかわした。「私はこれまでいろいろなところが人と違っていたし、これからもそういう違いを持っていたいと思っています。人と違っている、みんなと同じじゃないことを受け容れようと思っています」と、阿島は言う。「世界中のひとりひとりが違う。そのことを尊重して、同じになろうとしない。でないと、自分が失くなるから」

個人のイメージをブランドに仕立てる「パーソナル ブランディング」時代にあって、自分を失う可能性は現実として存在する。インフルエンサーが個人的な挫折の詳細を投稿したり、セレブのビデオ ブロガーが「今までで最高に辛かった動画」をYouTubeで披露するのは、ほぼ必然だと思われる。関わる分野やファンの多寡にかかわらず、常に成績が要求される重荷は、特に若いアスリートに信じがたいほどのストレスを与える。「神童」だの「天才」だの、世間は大袈裟なレッテルを貼りたがるけれど、子供はなんといってもまだ子供なのだ。

「クライミングを始めて11年ですけど、たくさんの人に天才って呼ばれてきたし、天才というレッテルと一緒に生きてきました。でもこれは決して楽ではありませんでした。皆が私のやることにいつも意見してくるんです。お父さんとお母さんもそう。私に付きっきりで、厳しいし、頑張らせようとする。すごくプレッシャーを感じることもあります。アスリートにはある程度のプレッシャーが大切だけど、大きすぎると本当に辛いです」

世間の注目を浴びるストレスをどうしているのか尋ねても、阿島は、彼女のような立場の人に当然期待されている、広報担当が準備したような答えはよこさない。軽い話題でも真剣な話題でも、まったく同じ口調で語れる資質は、他の若者では背負いきれないような状況に対処できる阿島の能力を、明確に示している。子供時代は、終わってしまえば思い出すのさえ難しいことがある。大人としての責任を負う以前、差し迫った重荷に左右されるようになる以前、人生に開いた小さな窓のような時間。足早に過ぎ去る青春に、阿島は素直に向き合っている。

着用アイテム:ジャケット(Gucci)

さて、ふたりのFaceTimeも1時間を過ぎた。10代に戻った気分の白日夢から、私の現実へ戻る時だ。通話を終えた後、話に出た家族写真をスキャンしたPDFファイルがメールで送られてきた。その1枚で、阿島はセントラル パークの小ぶりな岩にちょこんと座っている。夏。赤いバンダナ、おそろいの赤いTシャツ、ピンクのショートパンツ、茶色のサンダルをはいた阿島は6歳くらいだろうか。その横に、独特の無頓着な雰囲気で、久年が寄りかかっている。ブリーチした髪を四方八方に立て、肩にグリーンのセーターをひっかけている。リラックスしつつも真剣に何かを企んでいる雰囲気のふたりは、最高にクールなコンビに見える。

来年は、阿島も高校卒業だ。そして2020年のオリンピックに向けて、さらにトレーニングの時間が増える。オリンピックでは男女それぞれ20名しか出場枠がないから、まず来年夏の世界選手権大会で上位7位に入らないと出場資格が得られない。世界中の才能あるクライマーの数を考えると、非常に熾烈な競争だ。プレッシャーが消える日はまだまだ遠そうだが、阿島は自分を見失ってはいない。お父さんと一緒に公園へ出かけて岩に上った日々、それが幸せの源だ。

「子供の頃からずっと屋外で登ってきたし、有名になったのも、屋外の岩でクライミングで出した成果のおかげだと思います。ほかのクライマーと競争するより、自然の中で自分と壁面に挑戦する方が楽しいです。本当にやりたいのも、そういうクライミングです」

着用アイテム:ジャケット(Gucci)

Romany WilliamsはSSENSEのスタイリスト兼エディターである

  • インタビュー: Romany Williams
  • 写真: Monika Mogi
  • スタイリング: Monika Mogi
  • ヘア&メイクアップ: Sakie Miura
  • 画像提供: Hisatoshi Shiraishi