メイクアップの方程式

ケビン・オークイン、ハン・ヴァンゴ、リアーナにみる、簡潔でいたわりに満ちた美に関する考察

  • 文: Julia Cooper

メイクアップを語ることは、変貌のストーリーを語ることに他ならない。それは、Prabal Gurungの2018年春夏コレクションでランウェイを闊歩したモデルたちを見れば、一目瞭然だ。彼女たちの顔を彩っているのは、パントン社が2018年のトレンドカラーとして選出したウルトラバイオレット「18-3838」を先取りしたかのような、シアンとパープルの幾何学的なアイラインだ。あるいは、ランウェイ メイクの巨匠パット・マグラス(Pat McGrath)のメイク術もその点を如実に示している。彼女のメイクは、幻想と職人技が織りなすオートクチュールの数々を、それに勝るとも劣らない芸術性をもって引き立ててきた。そしてもちろん、ハリウッド映画においても、メイクアップは欠かせない演出として様々なシーンに取り入れられてきた。たとえば『ティファニーで朝食を』の中で、オードリー・ヘップバーン演じるホリー・ゴライトリーが、売れない作家ポールに対して、ベットの下からワニ革のヒールを取ってと頼みながら、眉にペンシルを入れ、まつ毛を整える。また、『クルーレス』では、主人公のシェール・ホロヴィッツが、人生最大の楽しみは、ダサい生徒を素敵に変身させることだと言ってはばからない。それが、「この混沌とした世界において、自分が物事をコントロールしているという気持ちにさせる」のだという。あるいは、『シザーハンズ』の中で、エドワードが、コンシーラーの使い方について「まずは淡い色を先に塗って、肌によーく、なじませるのがコツ」だということを学ぶ。

メイクアップの仕事とは、細かい手順の積み重ねがなせる、変身の業だ。緻密な作業によって少しずつ変化を加え、美肌効果があるとされるカタツムリのネバネバした粘液を、そっと円を描くように顔に塗ったりすることで、角のとれた「新しい自分」が完成する。こうした美しさや、いたわりに満ちた肌ケアは、一連の手順に従ってこそ可能になる。そもそも、いたわりを全く必要としない人などいない。美術家ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)の言葉を借りれば、「人を優しくいたわることは、結局のところ自分自身に優しい」のだから。

顔についての理論を形成するうえで、前提となるいくつかの考えを考察してみよう。

メイクアップは、なだらかなカーブを描く眉、長いまつ毛、さくら色の唇を生み出し、ランウェイや映画の中でストーリーテリング的役割を果たすだけでなく、私たち一般人の疲れ切った肌や開ききった毛穴を整え、より滑らかな肌に仕上げる役割をも果たす。メイクや美容液は、コンピューター画面に長時間釘付けになって過ごす現代人が、健康的な生活を送っているかのように見せる、頼り甲斐のある「偽装工作」だ。キュウリの輪切りをまぶたの上にのせるのは、North Faceのダウンジャケット並みに腫れあがった目によく効くし、ビタミンCのセラム美容液は、たっぷり深い睡眠をとったのと同じくらいの美肌効果を発揮する。

子供の頃の私は、雑誌についている、香水の香りのついたサンプル部分を切り取っては、首や手首にこすりつけている少女だった。スキンケアの習慣についても、ちょっとした知識があった。当時の私は、学校の休み時間になると、ふたりの友達と一緒に、雑誌やテレビで目にしたキャッチコピーを唱えていた。「オイル オブ オレイ(Oil of Olay)、朝晩2回。」まるで魔法の呪文を唱えるように、私たちは厳かに声を揃えて言うのだった。そして、校庭の真ん中で、ファンデーションを塗る真似をしながら、おでこ、顎、左右の頬を順番に触っていく。まるでカトリック教徒が十字架の前で十字を切るように、真剣そのものだった。

リアーナ(Rihanna)がプロデュースしたコスメティック ブランド「Fenty Beauty」の40色展開のファンデーションは、業界初の試みだ。それまで何十年もの間、「色白」から「モカ」までの限られた範囲の肌の色に生まれてこなかった女性たちは、ダークな色を混ぜて自分の肌の色に合ったファンデーションを作るか、アメリカ国外から化粧品を取り寄せなくてはならなかった。最近の『ヴォーグ』誌のインタビューで、リアーナは、彼女が初めて実際にメイクをしているのを目にしたのは、黒人の女性だったと説明している。すなわち、彼女の母親だ。リアーナのコスメティック業界への進出は、「美」という概念に様々な人種が含まれ多様化していく流れのなかで、画期的な試みとして歓迎されている。とはいえ、時は2017年ということを考えると、こうした動きはもっと早くに起こるべきだったと言える。

メイクアップに関するアイコニックな作品集『Making Faces』の著者であり、輪郭に沿って立体的にメリハリをもたらすコントアーメイクの先駆け的存在、故ケビン・オークインにとって、メイクアップとは、常にある種の魔術だった。彼の仕事は、メイクの下地、フェイスパウダー、シャドーの下に存在する、その人本来の顔の個性を生かしつつも、優美さとメリハリを与えることで、さらなる次元へと高める興奮を追い求めることだった。オークインのテクニックは、目元をよりはっきりさせ、頬骨に立体感を生み、顔の表情に華やぎを与えた。それは、まだスマートフォンが登場する前の時代に、まるでスナップチャットでフィルター加工をしたかのような効果を実現した。生前オークインは、メイクブラシを使って「人の魂に飛び込み、その想いをくみ取って顔の上で表現したい」のだと語っている。

『Making Faces』のなかでオークインは、メイクアップは芸術であり、女性は地上の女神たちだということを、かくも格調高く表現している。その手法のひとつが、セレブリティにメイクをほどこし、そこに別のセレブリティの雰囲気を重ね合わせる試みだ。リサ・マリー・プレスリー(Lisa Marie Presley)をマリリン・モンロー( Marilyn Monroe)のように、ウィノア・ライダー(Winona Ryder)をエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)のように、といった具合に。習慣的に顔を変貌させることは、美しさの別の形なのかもしれない。そしてオークインは、その楽しさを教えてくれた。

オークインが亡くなって15年経つが、その間、多くのメイクアップアーティストが、彼の後に続いてきた。そのうちのひとりであり、「すっぴん風メイク」の旗手として知られるハン・ヴァンゴ(Hung Vanngo)は「どんな顔であっても、完全な別人に変えてしまうのは嫌なんだ」と言う。彼もまた、オークインと同様に、メイクアップの下にある女性本来の顔を活かす手法にこだわる。ヴァンゴは、どんなに急ぎでセリーナ・ゴメス(Selena Gomez)やカイア・ガーバー(Kaia Gerber)にメイクをしなくてはならない時も、常にまずスキンケアから始める。ねっとりとした美容液を含んだシートマスクは、一見、映画『羊たちの沈黙』でハンニバル・レクターがつけていたマスクを彷彿とさせる。だが、そのシートマスクを乗せると、顔がまるで心を開くかのように、リラックスするのがわかる。ヴァンゴは、自分のメイクアップアーティストとしての仕事は、セラピストのようなものだと言う。自分が向き合っている女性と、時にはゴシップで盛り上がり、時には悩みや弱みを分かち合う。

インターネット上に溢れる、メイクの方法を説明するYou TubeビデオやInstagramの投稿では、こうした「弱み」の分かち合いを、数えきれないほど目にすることができる。ニューヨーク在住の、自称「肌ケアマニア」のGothamistaが、皮膚の色素沈着に対する緑茶の美容効果を微笑ましいくらいに熱く語っているかと思えば、トロントを訪れたキムが、メイクをする前に、洗顔を忘れたエピソードをシェアしたりする。私自身は、輪郭にメリハリを出す立体メイクにそれほど熱心なわけではないが、ネット上には、このテーマだけでも圧倒されるほどの数の動画がアップロードされている。そのひとつひとつが、ファンデーションの完璧なブレンド方法(スポンジは湿ったものを使うこと)や、秘密のコツ(眉の下に、弓形にハイライトを入れる)を伝授してくれる。

メイクをされた女性が、カメラから視線を逸らして自分の姿を鏡でとらえた瞬間、ハッとしたように少しだけ目を見開く様は、まるで、ナルキッソスが、泉に映った自分の姿に心を奪われていく様子を思わせる。だが現実では神話と異なり、己の姿に惹かれた後に罰が待っているわけではない。頬骨に沿ってチークを入れようとする時、あるいは上唇にそって弓形にリップラインを引こうとする時、人は集中し目を細め、まるで自分自身の魔法にかかって、時間が経つのを忘れたかのようになる。メイクという名の美の習慣に没頭し、それに心を奪われるのは、なんと夢のような時間だろう。そして、なんといたわりに満ちた行為だろう。

ジュリア・クーパーはトロント在住のライターである

  • 文: Julia Cooper